Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

私が今、一番、最も行きたい大学、志望校「東京大学」!!※長文失礼/後にその事で反省、それら夢は来世に引き継ぎ、又尚新たな道を模索、現世今世では大仏法哲学の日蓮正宗の仏道修行に励む事を私は願い、誓った。

2022年08月20日 08時34分23秒 | 学校・教育への提言特集、注文・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
 私は、数日前の夕方、福島ローカルの8チャンネル福島テレビのニュースの中のドキュメンタリー的な番組があり、何気なく画面を見つめていた。

 東京大学についての放送だった。皆、東大生たちは、親孝行がしたくて、日本一頭の良い、そして親に楽をさせてあげたくて、親の喜ぶ顔が見たくて、日本一学費の安い大学、東大を選び受けました、と口々に自信と誇りを持って答えていたのが強く私の印象に残った。

 皆、その辺にいるような、普通の明るい青年男女だ。それがこうして日本の最高学府、知識のレベルも最高度の大学に通う青年たちなのだから、私も興味を持ち、好奇の目で見てしまう。

 ある中年男性をカメラは追いかけ映し出す。その中年男性は過去、他にも以前大学を出て、今まで四十歳になるまでエンジニアで食べて来たという。

 しかし、彼は、又大学を目指すに当たり、もう他の大学、学費の高い、私立などは嫌だ、次にゆく大学はズバリ、日本の最高峰、教育レベルの高い、教育設備も整った東京大学しかないと思い、彼は猛勉強の挙句の末、遂に最難関の東京大学医学部に合格、入学し、医師を目指し、今は何年生とか言っていた。東大の周りの彼の友人たちは、彼がそんな年とは知らず、驚き、キャッキャッと笑いつつ、感じ入っていたようだ。

 東大生は決して裕福な生活は送っていない。今、東大には留学生が3,4千人位いるらしいが、中国の貧しい両親からの仕送りに頼る中国人東大女子留学生の食事内容は、スーパーで商品二つで合計380円の極めて安い、春巻きと思われる物と、大学芋のパック詰めがその日の夕食であった。

 束の間の食事の後は、又パソコンに向かい論文作成だ。大学から色々提案、試されて、毎日論文の課題をこなさなければいけない。

 そのテレビ番組では、東大受験生の一日を追っていた。一日の内、勉強が十一時間、その内、六時間が予備校で、五時間が家庭勉強。一、二時間が電車による通学時間。二、三時間が食事や風呂や余暇等。寝る時間は数時間しかない。

 いつも勉強勉強。カフェテラス喫茶店に友達と入っても、そこのテーブルで参考書とノートを広げて又勉強する。自分でも勉強良くやってるな、と受験生は自分を褒める。

 日本一、最高峰の学力を誇り、日本一の設備、環境が整い、日本一、優秀な教授陣が指導して教えてくれる、日本一学費が安く親にも迷惑を掛けずにむしろ、家族にとっても名誉であり、誇らしく、大変に喜ばれる。学友、友達も最高の学力を持った個性的な若く明るく頼もしい人が溢れる、友人にするなら最適の、日本一・最高の大学が、東京大学なのだ。

 私はこのドキュメンタリーを見て考えた。四十歳になっても、東大を目指し、自分の夢を追い掛けている人がいる。一日十一時間かけて、勉学に打ち込み、青春を燃焼させる若者がいる。私も、難しいだろうが、簡単な事ではないが、同じ人間、出来ない事ではないともその番組を見て、思い考えていた。

 私は若い頃、精神を病んだ、病人だ。でも、私の学校時代、就職活動、社会人時代に受けた様々な大きなあれだけの苦しみ悲しみに比べたら、こんな、たかがと言っちゃ悪いが、東大への道のりの方が実に極めて簡単で楽に思えてしまう程、私の受験生時代、就職氷河期の就職難、ブラック企業により不当な脅迫恫喝のような圧迫面接、社会人になってからの低賃金・多時間労働、底辺での人間関係の軋轢、自身の病魔の苦痛苦難、等々の困難を極めたあの頃に比べたら、楽勝の一言に過ぎる。

 東大受験の方が、まだ荷が軽く、甘い、それだけの苦労と恥と差別と困苦と貧苦を、人生の中で私は受けて来たと豪語しつつ、大げさではなく語れるし、実感する。それに勉強は元々私は好きな方だし、それが苦労を苦労とも思わない。

 私の父親は、私が福島県立安積高校一年の時の最初の春の進路調査の時、私が大学選びに悩んでいた時、お前は東大には行きたくはないのか、と率直に聞いてきた。

 私の父は無学で、高等小学校しか出ておらず、福島県本宮市の豪農農家の長男であった。後年は事故による後遺症が尾を引き早くに亡くなるが、それでも大変機転が利き、賢く、商売上の知恵、頭は良かったらしい。

 話を戻して、しかし母は違い、常に優秀であり、昭和二十年代の、多くの東大進学者を輩出していた、三大都立、日比谷・戸山・西の、東京都立戸山高校卒業出身者であり、私の祖父とおばあちゃんが離婚し、再婚した意地悪な後妻、継母が自分の子供には食べ物他、玩具などの贅沢品ほかを沢山買うくせに、血がつながらない母には昼食のお金も出してくれない程、ケチで大学には行かなかった。

 (ちなみに祖父、おじいちゃんは明治大正昭和と、東京第一弁護士会所属の弁護士であり、当時法律学で東大早大よりも優秀だった、中央大学法学部を、鹿児島県奄美大島から上京して来て非常に立派で優秀な成績で卒業し、後に司法試験を受け、見事合格。
 東京新宿区早稲田に(wainai)法律事務所を開設し、警察官僚として国家試験にも合格。後々まで働き生きるも、ある日、自家製のヤミ酒を飲み、アルコール・エタノールとメチルアルコールとの毒物調剤調合混合間違いにより、目がつぶれて後遺症で亡くなる。
 私は学生時代の化学の成績は生涯オール5だったが、祖父には化学の知識は無かったようである。
 ちなみにうちの父は婿養子で母の姓wainaiを名乗り、町田市に母が女手一つで親孝行の為に購入した家に母と祖母と父の三人で暮らしていた)。

 母は当時から学力はとても優秀で、現役戸山高校生徒時代はお茶の水女子大学を目指しており、友人たちからは学力優秀な母をあだ名で「お湯の水」と呼んで尊敬されていたそうだ。

 私の父が、何でこの前のあの時、お父さんは偏差値が高くただでさえ難関の、勉強ばかりしなければならない東京大学に行けなんて言ったんだろうと私が母に聞くと、
 「お父さんは以前、私と結婚した頃、道路工事で土方として東京大学の敷地内のアスファルト舗装工事を何か月かやっていた事があるの。そこで東大の先生や東大生ともお話したりもしたらしく、あの人ったら、大学といえば、東大、早稲田、慶応位しか知らないのよ(笑い)」と言っていた。

 親不孝な私は、その時東京大学は難しくて自分には無理だと思ったし、その気にもなれず、その高校一年時の進路調査では、志望校を、うちでは全く無名の大学、全く関係ない「東京都立大学」(笑い)と書き、父はてっきり、「東京大学か?」と聞き間違い、聞き返す程だった。

 その後の私は結局、母も勧めぬ早稲田とかを望んだが結局行けず、結局法政を選んでしまった。振り返ると、私も大学は法政大学で、もう私立は高くて嫌だと懲り懲り思った。

 法政の学生時代話したのは、法政は、教授は一流、学校設備は二流、学生は三流、という触れ込みだった。余り自信も誇りもない残念な学生生活だった。

 それに比べ、東京大学は、学校は一流、教授は一流、学生も一流の、全てが一流尽くし、揃いの、優等生、優秀校であり、通うなら何も不足が無いのである。

 もう飽き飽きする程地下鉄や電車・バスで東京市ヶ谷駅、飯田橋駅、曙橋駅等々に通ったので、私も上記の、あのテレビに出ていた四十歳の中年東大医学部学生氏のように、次に行くならば、絶対に日本の最高峰、最高学府の、日本一学費も安い、最高の講師陣、最高の環境の、最高の人脈も築ける、国立の東京大学に行きたいと思う。

 私なりに真面目に考えたが、実生活上問題もかなり山積し、今の所迷いもある。本当に実現するか否か、実行に移し、やるか否か。当面様子見。

 東大生は、常に親孝行を考えていて、次代を担う孝行息子娘たちであり、謙虚だがその裏に自信があり、凄く偉いし、好感が持て、尊敬する。君子豹変すで、そんな東大生に、私も自分が近づき、自分もなってみたいと思う。

 あそこのバカ息子、今度は東大行きたいなんて言い出したよ、なんて近所の陰口苦情が来ないことを祈る。

 私は行くんなら、是非、絶対、学費が安く、恵まれた講師陣、設備、一流の学校がいい。法政の三流は、もう嫌だ。高校は地元でも一流校の、福島県立安積高校入学、栃木県立宇都宮高校卒業だったが。

 是非とも近い遠い将来チャレンジしたいとも思うが、テレビに左右され影響されるのもなんだが、テレビは人生を変えてしまうような、時々良い放送を放映する事がたまにはある。誇大な妄想に終わらせず、あくまでも私のとおい道のりの、遠望、希望、願望、目標である。

 考えるのは自由だし、税金も掛からないのだから自由だ。それを実行に移さねば、絵に描いた餅であるだけだ。

 もし、東京大学へ入れたら、生きている内に、今は施設に住まう、認知症の高齢の母を、是非とも春は四月の桜花咲く日本武道館での、東大の入学式に車椅子の母を伴い連れて一緒に父兄父母親子母子で登校参加し、悔しくも、お茶の水女子大学に入りたくても行けなかった母と喜びを分かち合い、親不孝を重ねたわたくしめの、人生最大最高の親孝行をして母へ私が生まれて来た御恩をお返しして詫びたい。
 
 いまだに歌い歌える「見よ、この、振興の気概、恐れぞなき、力持て、行け闘え、破れ堅塁を、我らが勝利の凱歌、おお高らかに叫ばん、若き日の誇りぞ法政法政法政」(法政大学応援歌)の前母校の歌々と共々に。

 日蓮正宗の信心をしていれば、その甚大莫大なる御利益で、「法華経の行者の祈りの叶わざる事なきなり」の、日蓮正宗総本山富士大石寺、御本仏宗祖日蓮大聖人様の御力をお借りし、「日本一の智者にならしめ給へ」との御金言の通り、真っ直ぐすくすくと事が成り上がり、成り切り、遂には事を為し遂げる事が出来るような予感、直感をビンビンビシビシ感じている。

 (中々折伏と同じく、針の山を登るが如く、そうはやすやすと事が成らないのは百も承知)
 
 「懲りず候」(御本仏宗祖日蓮大聖人様『御書』御金言)。

 ただじゃあ、起きない。全ての困難をひっくり返し、戻し、治める。
 正に、仏法者の、信心信仰は強し、である。

  ※今、現在の私の考え方、基本的スタンス(2022年令和四年、八月二十九日月曜日夜半、夏と秋の狭間はざまの現在の偽らざる私の心境)
 今の私は、この時のこのブログ記事の時点での考え方は余りに無理があった、と思う。向上心・向学心は尊重されるべきであるが、事は日本の最高峰の名門大学、国立東京大学である。皆さん、現役東大生の学生さん、それを目指す受験生の皆さんも、皆、漏れなく御両親が揃いも揃った、恵まれた御家庭が多いものと思われます。
 それに、低収入の家庭もあるにはあるが、そのほとんど、否、何割かの家庭は皆、経済的にも学問を支えて余りある恩恵を蒙(こうむ)った、幸せな御家庭が多いと思う。これはその東大受験生、東大生の家庭環境、家計調査等を見ればはっきりすると思う。
 言わば、勉強だけをし続けても誰にも何にも文句を言われず、後ろ指も差されず、おめでたい、言っては悪いが、アルバイトも恐らく受験時代、東大生時代も禁止か自分たちで歯止めをかけていて、モラトリアム期間、労働をも課せられない、幸せな種族、人種、今どき珍しい人々なのだ。
 それ程、一日に十一時間もの勉強、勉学に掛ける等、今の私には不可能だ。今現在においては私は、働く事に最も一番、血道を上げており、自分でも頑張って働いていると思うし、仕事・労働に熱心に取り組んでいる最中だ。それから、お寺・自宅での仏道修行もある。
 もう一度学生生活を送りたい、それは理想だが、それならば、今ではテレビを見たりブルーレイレコーダーで録画して、自由に時間を有効活用できる通信制の放送大学等があり、大学生にならなくてもお試しで、一科目や数科目からの単科授業入学制度、そちらで十分とも思う。学ぶ道は多種多様。
 とにかく、こんな考えを起こしたことにより、大それた言を吐いた、身の程知らずにも程がある、何か一般の、平凡な、普通の生き方をしている多くの日本の市井の庶民の一般人たちにも悪い気、傷つけているような気が致しました。
 私は、それら考えを一旦は納め、又、平凡な日常の日々に戻ります。不可能という事に気付き、自分の考えを改め、悟りました。
 それら願いは、来世、次なる生まれ変わった未来の現世、現在世にて、大仏法の三世永遠の生命に基づき、踏み行って必ずや自分がなくなった後の必ずや来る未来世で達成し抜いて参ろうと、今はこの世での肝心要の仏道修行を今は噛み締めてしっかり行って人生を生きてゆこうと思いました。
 そんな風な事を考え、思ったこの十日間の毎日の日々でした。

 私の愚かな駄文、長文、心の軌跡、迷いためらい、最後は丸く収まり、そしてここまでお付き合い下さり、誠にありがとう。誠に申し訳ございませんでした。全6606文字。
 非常に私自身踏ん切りがつきました。
 以上。よしなに。wainai


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