Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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昨日買ったCD―Jポップとクラシック

2017年09月06日 15時16分34秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
昨日買ったCD。森山直太朗の「さくら」。古いかも知れないが、私は大好きな一曲。卒業シーズンの曲で、季節違いだが、思わず買ってしまった。

モーツアルトの「交響曲第41番<ジュピター>・第40番」レナード・バーンスタイン指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏。暗いと思うモーツアルトで、一、二を争う程、私の好きな曲。

森山直太朗のさくらを聴くと、ふと自分が卒業した時の事を思い出す。いずれの学校でも、自分は卒業式の時には泣かなかった。泣いたらみっともないと思ったし、当時は受験や就職の事であたまが一杯で、泣く余裕もなかった。男が泣けるか、と。

しかし、当時、他のクラスで柴田君という野球部でキャプテン級の、頭は余り良くはなかったみたいだが、彼は一人、男泣きに大泣きしていた。皆と別れたくはない、離れたくはないと一心に泣いていた。

当時私は、何でそんなに大泣きするのか聴いてみたかった位だったが、本当に悲しかったのだろう。そうやって感情をどこでもむき出しにして泣ける柴田君が、今から考えるととても羨ましい。私よりも少なくとも何十倍も青春を謳歌した事になるだろうから。

そうやって、男の癖に泣いていた柴田君も、今はもう立派に成人して立派になっているだろう。私よりも当時から大人びた所があった。中森明菜が大好きで、彼はレコードを買い集めていた。感性が豊かな方で、よく学校時代は彼は泣いたり笑ったり、喜怒哀楽の幅が広かった。豪放磊落というか、気分屋かも知れないが、義侠心、男気もあった。

私は、何であの時に泣かなかったのだろう。カッコばっかり付けて、クールな、硬派でバンカラな、応援団員の様な自分を決め込んでいた。だから、当時の思い出が余り残っていない。友人たちと肩をたたき合い、互いに涙を拭いて慰め合ったり、励まし合ったりした事もついぞは無かった。灰色に帯びた、受験受験就職の、悲しい、虚しい青春時代であった。

まるでシンガーソングライター歌手、東大卒銀行員勤めの二足の草鞋を履いた小椋佳の「しおさいの詩」に出てくる、歌の内容が今の偽らざる私の心境である。勉強ばっかりで、世間一般の、人並みの男女間の純粋な恋愛もしてみたかったし、お友達付き合いですら、親友すら余りいず、出来なかった。

本当に、青春時代を不意に、無為に過ごしてしまった後悔たるや、尋常ならざる、これが平常心で居られようか、という程の悔いがある。

だから、という訳でもないが、今は今を一生懸命に生きて、この一身を、心も体も焼かれて完全燃焼し尽くす覚悟で生きている。あの時の後悔があるから、今の私がある。その覚悟で、今日の今を生きていく、正に生きて生き抜く私が、ここに居る。

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