「大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす-矛盾のスパイラルにおちいった創価学会-」という御本を読み返してみた。
大御本尊、弘安二年(1279年)十月十二日御図顕の、一閻浮提総与の日蓮正宗富士大石寺に厳護の根本とすべき御本尊への信仰を放棄することを、創価学会は平成26年11月7日に決め、翌8日に聖教新聞に発表した。
私はしばらくこの事実を知らなかった。大御本尊様を一度もその当時は見たことはなかったが、第二代会長戸田城聖先生の数多くの著作でその面影だけは拝することが出来た。
その事実を平成29年初頭に初めて知った。当初は学会首脳幹部、学会中央が決めたことなんだから、と従う意向だったが、次第に何か、首脳幹部に騙され、馬鹿にされているような、何もそれら指導者達へも何一つ批判も文句も言えないイエスマンなのかこの私は、という疑念、怒りが込み上げてきた。
あちこちのそれら大御本尊否定の、日蓮正宗関連のサイトを見て、唖然。それでも意思のはっきりしない私は、私の死ぬような思い、結局最悪を脱してその年の二月八日、最高の宗教、日蓮正宗末寺、郡山市の無量山寿海寺に駆け込み、助けを求めて、帰りには正真の本物の御本尊様を手にして御満悦の私がいた。
その日から何日か後にこの本を手にしたのだった。創価を脱会した私はむさぼるように線を引きつつ読んだ。私の所属する日蓮正宗が本物で本当の真実を語っていて、創価の情報は一切が嘘と謀略に満ち満ちた権化だったんだと感じ入った。
今、私は創価の罪障が出て来ていて、それまでの日蓮正宗・日顕上人への謗法が悔やまれる。しかし、大聖人様の「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し、いかなる病さはりをなすべきや」(「経王殿御返事」新編御書六八五頁)の御金言を噛み締め、又明日へと踏み出そうと思う私なのである。