うちの近所にTという、婆さんがいる。この人は、婆さんと言う程年はとってはいないだろうが、辛気臭く、ネズミの如くコソコソとうちに悪事を働くようなきらいがある。この人は創価学会員である。うちの母とは前からツーカーの中で、母のが年上なのに馬鹿にしてため口を聞く。この婆さんは、四月の十三日にうちに来て、母に、これ○○君(私の事)と一緒に飲んでついでに読んでと言って、私がいないのをいい事に、勝手に創価の新聞の類とチラシ(トラクト)と安いヤクルトのまがい物のインチキ商品をうちにこれ見よがしに置いて行った。
こんな姑息な真似をして、私らはとっくに創価学会への脱会届を出して平穏無事な生活を送りたいのに、余りにしつこ過ぎるその対応に業を煮やしてた私はそのT一家のうちに乗り込んで文句を言いに一目散で出かけた。
夕方五時五十五分ごろ、当T宅へ着き、ベルを鳴らし、「おい」と言うと、Tとその夫がすぐさま出て来た。
この一家は、昭和の五十年頃の以前からしつこく(宗門が池田に騙されていた時代から)近所で色々と画策してうちにも他人にも付きまとっていた地域の創価の癌、元凶。
うちにトラクト(嫌がらせの為の学会のチラシ)等と何か得体の知れない何時製造したかも賞味期限もわからない安いヤクルトの物真似商品を入れて食事で釣ろうとして、それを私は「何だこんな物入れやがって。人を馬鹿にしてるのか」と言って突き返した。二度と持ってくるなとこちらも凄い剣幕で怒鳴ると、その夫が加勢。二人対一人(私)の折伏。つっかえした書類にはしっかり日蓮正宗のパンフレットを忍ばせた。
しかし、私は、本を上げようと思って、こちらの本を見せて、あげようとして、相手も一瞥(「大御本尊への信仰を捨てた創価学会」と言う本)。しかし、相手が言うには、それらは勿体なくも読まずに、即、創価幹部に渡して、捨ててもらうという。それじゃあ、誰が預けるか、立派に金が掛かってるんだぞ、と言って引っ込めた。
ためしにこちらが、「依法不依人」(法に依り、人に依らず)という言葉を知ってるか?と聞いても(日蓮正宗寿海寺で散々教わった)、相手のTのババアは「誰の言葉?」「大聖人の言葉(私)」とろくに仏法の教学のなさを露呈!。
「おたく、顕正会か何か?(Tのバカ女)」と聞いて来たので、
「日蓮正宗寿海寺法華講員だ!(私)」大声で叫んだ私。
相手の夫は、自分の敷地で大声で喋ったものだからカンカン。
相手の夫は「何だ、コイツ、この野郎、貴様!、何様の積りだ、」「俺の敷地なんだぞ」と言うので(夫名義の私有地の所有権の権利の事を言っているらしい)、それならば、こちらで話せば文句はないだろうと、敷地の外(道路側)のこちらと向こうで大声で自然、声を掛け合う事になる。
すると、相手は今度は、「近所迷惑だから大声を出すな」と言い、又もやそれを飲むと、又もや「お宅、顕正会?」と聞くので、再度、
「日蓮大聖人様の直系の弟子たる、日蓮正宗寿海寺の信徒だア!」と言った。再度寿海寺の者だと名乗るとそいつらは「わたしらは寺は関係ない」の一点張り。
今日のこの事は自分ら創価学会では大幹部の人に必ず言うからとそいつらに脅かされ、じゃあ、私も今日の事はお寺に必ず言うぞ、と言うと、「どうぞ、日顕さんにでもお山にでもどうぞ言ってください。」と言うから、「違う、日顕上人猊下様は今は御陰尊猊下様だ。今現在の御法主上人は日如上人猊下様だ。この薄バカ野郎奴めらめ。」とこちらも応戦した。
人を小馬鹿にしたような相手の虚しい冷笑を聞き、こちらは立ち去り、出て来た。「二度とうちに来るな!」と私が言うと、「何度でも来る」と言う。じゃあ又今日のような繰り返しになるぞと言うと、じゃあ、少なくするとか何とか、言い訳がましいのに業を煮やして、私は「いい加減にしろ!」と言い残し、そいつらの喚いている中を振り返りもせずにそいつらの家を後にした。
私のいない時に限って、何も知らない母に親切ごかしに近づき、言葉巧みに話し掛け、親身になったつもりが、只の新興宗教、邪宗教のイケダ邪師一派による邪義邪教邪道邪説の勧誘じゃないか。このインチキ・イカサマ・コンコンチキのバカ低俗・低級宗教が!母も怖がって母が応じ、その手提げ袋がうちの庭にもったいぶって放って置いてあったのを私が見たから、こうなった。
結局、反省点としては、こちらも折伏とはいっても、大聖人、日蓮正宗の教えの一端には触れられず仕舞い。
つくづく、池田教の洗脳マインドコントロールの怖さを実感。
私達家族が脱会した事による、後の事、陰険な仕返しは覚悟の上で、堂々と受けて立つが、果たして何時までこれを続ければいいのか(苦笑)。
今後の反省点
後日、お寺で同信の同志の信徒にその事を話した。私は「ぶっ飛ばしてやれば良かった」とか皆のいるその場でそれは豪勢に語り、実際それに近い言葉はその時に私の口からポンポン無我夢中でそのT一家の前で発していた。皆は黙って聞いていたが、或る夫人の方が、こう仰った。
「それはわたくし共の折伏姿勢とは違う。それでは、そんな”顕正会”と間違われるようなものは、折伏じゃあない。相手の土俵、地獄界なら地獄界、修羅界ならば修羅界、餓鬼界なら餓鬼界、畜生界なら畜生界の、相手と同じ境涯に染まり、同じ立ち位置でこちらが馬鹿になっているも同然。何も折伏は子供の喧嘩じゃない。慈悲から行うものだ。○○さん(私)は若いし頭がいいから、弁が立って、それが寧ろ意地になりムキになって、そういうやり方になったのかも知れないが、わたしなら、最初っから諦めてそんな事はやらない。第一、そんな”顕正会”だなんて、日蓮正宗が暴力宗教と勘違いされたら、皆全体の迷惑、皆のイメージダウンになる。もうそんなやり方、もうそんな所へ出入りしちゃダメだよ」と仰られた。
でも無視したくても、月に何回も我が家にそいつら創価学会の奴らがしつこく押しかけて来て、付きまとっていてうちでも持て余して困っていると言うと、そういう時は、今は忙しいので止めて下さい、やめない場合は、実力行使で警察を場合によっては呼ぶ事もありだと皆は言った。そして、
「うちは家族の皆、脱会届を出しているので、もう関わり合いにはならないで下さい」と一言いえば済む話だ、とも仰られていた。
このT一家も、うちが学会員時代、うちの父の死を伝聞で聞いていて、そんな死に様はどんな気持ちだろうね、とうちの玄関で母に死(病気)の怖さを言っていたようだが、母は、よくもまあ、生前、うちの父の居た玄関先で、しかも仏様も聞いてるかも知れないのに、そんな明け透けで人の心を蔑ろにするような事をよくも言えるね、と憤慨していた。それもうちが脱会以前、同じ同志と言う「創価学会員」が抜け抜けと人を出し抜いて言い放ったのだ。許せないと母は怒るより呆れていた。
日蓮正宗の人達は、皆、私が父の生前の思い出話を簡単に言うだけで、先輩のある方など(S楽さん)は、「きっと○○君(私)のお父さんも、草葉の陰で○○君とお母さんをじっと見詰めて見守って下さっているよ。お父さんにも感謝して、○○君(私)が、今、生きているお母さんには、親孝行できなかったお父さんの分も、精一杯親孝行しなくっちゃ駄目だよ。お母さんお母さんって慕って、常に母親を大事にしていつも離れずに付き従っているんだよ!」とこちらが思わず泣き崩れてしまうような事をしんみりと、しかししっかりと噛み締めるようにハッキリ言う。 それに対し、ただ「本当に、有難う御座います。」とこちらも涙交じりで言う他はなかった。
この時は、たまたま、私の母への親孝行不足を私が嘆いて言ったので、そんな会話にもなった。
常に、日蓮正宗とは、別名、親孝行の宗教、と言える位、日蓮大聖人様も、御書の中では、口酸っぱく、親孝行の徳を、なぜ親孝行が大事か、親孝行をしないものの成れの果て、無様で情けがない、堕地獄の姿を、大聖人様ほど、説いたお方もいない。
こんなにうちの家族の事を一切合切、心配してくれる人達なんか、創価学会には一人たりとも居なかった。むしろ、近所の創価学会員たちは皆、一様に軽薄で底意地悪く、うちの事を呪うように、陰に日向(ひなた)にあざ笑い、馬鹿にして、軽く見て、人を軽蔑して、コケにしていた。
それを、私がお寺で日蓮正宗によって日蓮大聖人の御書を学ぶ事に真剣になっているのを創価学会が知ってか知らずか、突っ返す前に、その手提げ袋に入っていた書類に目を通すと、「御書講義」とあり、何月何日何時にどこどこである、と書いてあり、学会員時代は何一つそんな知らせは一切知らせなかったくせに、と思った。こいつら今の今になって、学会時代、私がやりたくて学びたくて仕方なかった、しかし、今はその夢叶ってお寺で日蓮大聖人御書を家から持ち出して学べている、その大聖人の「御書講義」を持ち出すなんて、百年遅いよ、と思い、その紙をふと見ると「池田センセーのスピーチには」と、余計な邪師イケダの虚しい、今は植物人間の成れの果ての下らない、過去の栄華に酔ったような、時代錯誤の意気揚々とした、馬鹿に呑気な、昭和時代と平成の時代らしき池田の虚しい言葉が載っていた。
私は、時すでに遅し、今頃になってバカな奴ら、と思わず笑いたいような泣きたいような、これ程邪教の宿業因縁、謗法罪障の深さには、打ちのめされそうだった。
見なければ良かった、と思った。こうやって奴らは、その活字やテレビやラジオの宣伝の声で、映像を通しても、言葉巧みに人を操り、心を操作し、洗脳していく。私は、学会関係の書籍類は、ことごとくお寺にお納めしていた。奴らの魂胆が、ひと際私の脳裏によみがえり、「許せない」と私をあんな行動に駆り立てさせた。
この日の行動、出来事は、その自分の非常識さ、をも露呈してしまった。しかし、日蓮正宗が今、御命題で必死に取り組む、「法華講員八十万人体勢の構築」への、自分の第一歩と言って良く、私が生まれて初めて折伏らしい折伏をした、実際は親戚にも日蓮正宗の話をしたり、友人知人にパンフレットを上げたり、折伏がてら、その友人知人親戚等に、日蓮正宗を宣揚するハガキを出したりして、感化を与えて、自分の身の回りにも自然と私の生活を見て、何となくだが下種、感化は、何となくだが与えては来た。その働きが、実際に強折したり、こちらから折伏したりという行動には、こちらも学会時代から、何となく避けてきたせいで、本当は、私から仏法の話を聞きたがっていた人もいるには居たろうが。しかし、こちらも時間がないとか何とか理由を付けて、やめて来た。それが創価学会の布教に誰一人結び付かなかったのは、不幸中の幸い、願ったり叶ったりの、時宜に叶った、正に御仏智だった。
寧ろ、これからは、日蓮正宗を日本中世界中に宣揚し、大折伏戦を展開して、どこまでも、いつでもどこでも、大いに一文一句なりとも(語りに)語らせたまへで、折伏の鬼、”折伏鬼”になってやろうとさえ、思っている。否、創価の如く強引に勧誘するんじゃなく、人事を尽くして天命を待つ、じっくりと根気良くゆっくりと牛のようにノロくとも地道に勉学・勉強して、行学を身に着けて、しっかりと地に足付けて付け焼刃じゃなくちゃんと理解して、誠意を込めて精魂傾けてやる事にしよう。
こうなったら、世界に蔓延する腐った邪宗教の、筆頭格の両雄の一神教、神を人の前に立てた時点ですべての間違いが生じたキリスト教を、同じくアラビアを中心にはびこり跋扈するイスラム教を、それから後は憎っくき仏教もどきの池田教こと創価学会の、撲滅運動を起こし、壊滅状態に導く導火線の役目を、私が果たしてやろう。それが日蓮大聖人が仰る、「今生(こんじょう)人界(にんかい)の思ひ出」となるであろう。
『日蓮大聖人御書新編 大石寺』より。
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病障りをなすべきや。」(経王殿御返事六八五頁)、
「法華経の剣は信心のけなげ(健気)なる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼう(鉄棒)たるべし。」(同)、
「日蓮がたましひ(魂)を墨にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。(略)日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(同)、
「わざはひも転じて幸ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。(略)『現世安穏、後生善処』疑ひなからん。」(同六八五~六八六頁)の御金言が虚しかろう筈が無い。
私も仏様の子供、日蓮正宗の曲がりなりにも一信徒だ。この尊いお教えを、これからは自分でのみ、愉楽遊楽し、信じ切るのみでなく(それでは完全なるエゴ、利己主義だ)、他の人へも分けて行こう。そう思えた一切の教訓となった一日だった。