今、反田恭平さんの、「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番ハ短調 作品18」を聴いて、ホッと一息ついている。
これだけじゃない。この(私のはダウンロード版だが、同じく、本来ならばCDの)アルバムには、「パガニーニの主題による狂詩曲」という、これは、短い時間の曲がいっぱい入っていて、これで全一曲とこのアルバムでは成っているらしい。この「パガニーニ……」というのも、どうやらラフマニノフ作曲らしい。
これが、二つで、一時間くらいのものである。素晴らしい演奏力で反田恭平さんはピアノを演奏なさっている。本当に、良いのである。凄い出来だ。ブラボー、大拍手、である。
この曲は、ロシアの作曲家のラフマニノフが作ったクラシック曲だが、とてもロシアっぽくて、土臭くて、私は同じロシアでは、チャイコフスキーと並んで、ラフマニノフが、私は大好きだ。今はロシアは、対ウクライナ戦争で、問題が大ありなんだが…。昔は、あの頃は、良かった、と言う事で…。
反田恭平さんと、ロシアのアンドレア・バティストーニ指揮、RAI国立交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団のオーケストラとの、ピアノの丁々発止であり、ピアノと楽団が、互角に闘う、というか、協調する、というべきなのか、元々、協奏曲、というぐらいだから、共に手を取り合い、仲良くやろう、といった風なんだろう。
反田さんも、極めて御謙遜な方であり、常にオーケストラの方々、指揮者の方には大変に気を使って居られる風である。その謙虚さが、又いい。
とにかく、今日、朝、初めて通しで聴いて、今が、二度目である。何度でもイケそうな気がして来た。こんなに、一枚のアルバム、音楽を、一曲通して、何度も聴くなんて、自分には大変珍しい事だ。それだけ、素晴らしい。
昨日届いた、しばじゅん、柴田淳さんのCDも、昨日全三枚聴いてから、今日、Disc1を通して聴いた。こちらも非常に良い。これもエクセレント、秀逸である。これも、この後、心して聴くつもり。
私は、最近、ずっと音楽づいて来ている。音楽を趣味にする私は無敵だと思う。私に、音楽をとれば、なーんにも無くなってしまう事は、想像に難くはない。
それと読書だ。昨日、早速、五木寛之先生の、「捨てない生きかた」(マガジンハウス新書)が届き、これを早くも、ページをめくりつつ、秋は終わってしまったが、「読書の冬」と、自分自身で銘打ち、頑張って読んでいる。と言っても、自分が気取って頑張らなくても、極めて気楽に通して読めてしまう、五木先生の優しい御本の語り口なのである。
これと、二日前くらいにブログ記事に書いた、青春の門、竜馬がゆく、がばいばあちゃん、西郷隆盛、等々と、それと、忘れてはいけない、日蓮正宗の御本「妙法蓮華経並びに開結」「日蓮正宗聖典」の二冊、それから、今、手元にある、これも日蓮正宗の機関紙「大白法」(令和4年11月1日号と、11月16日号)、「慧妙」(令和4年11月1日号と、11月16日号、つまり両紙とも同じ日付)の新聞も読む。
できれば、これに、先々日、先月位にここの、このブログ記事でも述べた、うちに来たヘルパーさんとの会話の中で出て来た、渡辺淳一著「遠き落日」(上下二巻)も福島県民としても、福島を代表する世界的医学者、医学的権威の、野口英世博士の全生涯の話をも、是非とも読みたい。
他にも、読んでない本、積読状態、一杯有り!
と言うと、これは、大変な事で、その他、うちでは、先月のと、今月今週日曜から月曜日の「断捨離」というか、本の整理にて、大量の本が出て来ているので、これも読む必要性があるのである。
こんな、本を読む時には、絶対に歌や歌詞の無い、クラシックを聴くに限る。これにこんなのに、曲に、歌詞、詩が載せてついていたら、とてもじゃないが、やってられない。
音楽か、本・書物・著作物、どっちか無視の、どちらも無視かの、とんでもない事になりそうだ。ラジオかけながら、読書、というのも有りだが、やはり、最後は、ラジオは消してしまう事が多い。
ラジオでは、音楽特集が主でDJ(ディスクジョッキー)が少々、ならば聴けるが。その音楽も歌詞無しがベスト。と言う事は、自然、NHK-FMということになるか。それ以外は、英語などの外国歌ならばOK。
それよか、最初から、ラジオなんかは聴かずに、無音の、部屋で一人、テレビもラジオもPCも音楽という、音の鳴るもの一切何もつけずに、本と孤独に無言に一対一の対話をしているのも大あり。その方がむしろ、自分は集中できる。当たり前田のクラッカーだ。(私も、古いなあ)。
別の機会に、ラジオはラジオで集中して聴きたい。
それだから、しばじゅん、柴田淳さんの曲などを聴く時は、特別に時間を作ってあげて、極めて集中力を高めて、私は耳を凝らして、聞き耳を立てて、ゆっくりじっくりしっかりと、これは、しばじゅんさんの曲を聴いて、聴き抜いて、知り尽くさねば、聴いた者じゃないと、その良さを知らないと、判り切った物、事ではないと、私は断言出来ます。その素晴らしさが…。
反田恭平さんのダウンロードアルバムが、それを聴く回数が、とうとう、今、今日の段階で、三回目となっています。パソコンでキーを叩き、物書きをするには、クラシックも、歌詞付きの歌も、この場合は、どっちでもいいんですが、やはり、歌・歌詞無しのクラシック音楽の右に出る者はないでしょうね。
以上。よしなに。wainai

読書のBGMにクラシック🎵
ラフマニノフはピアニストであり指揮者もできましたから、反田恭平さんとなんか被りますよね。
ラフマニノフの音源は聞いたことがないのですが、とても大きい方だったそうで、音も大きく響かせたのだろうなと思うと、ピアニストなのに増量して演奏される反田さんになんとなく通じるものがあるような気がしてます。
明日からラフマニノフ聞いてみます。
断捨離もよいですが、その前に読もうと思うとなかなか捨てられませんよね(笑)
読んじゃうといい本だなとまた捨てられないものです(笑)
私も本はなかなか捨てれなくて、だから買わないことにしてます。滅多に買わないので買ったのは読んだあとたまに掘り返して読みます😆
一年に一冊くらいしか買わないのでなんとなく思いれあります(笑)
「近ごろはスペースの問題がありますから、書斎のある家というのが少なくなってきているのではないでしょうか。本棚のない家もあるでしょうし、作家の「全集」がある部屋などはもう稀かもしれません。
しかもいまは電子書籍でも読めますから、紙の本というものがあまり必要とされていない。
それでも、やはり、大事な本の五、六冊くらいは古本屋に売り払ったりせず、部屋のなかにあったほうがいいという気がするのです。
本というのは不思議なものです。スマートフォンなどの機器を使って電子書籍で読むというのは、確かに実用的です。しかし、何かそこには、読んでいる実感というか、読むことに付随してくるいろんな楽しみがありません。
本はやはりきれいに装幀された紙の本で読みたい。古い映画をテレビ放送やDVDで観ても面白いけれども、かつて映画館で観たものとは少し違う、というのと似ています。」
この言葉に集約されている気が致します。私も、電子書籍、スマートフォン、がとっても苦手です。
携帯電話の二つ折りの、ガラケー携帯は持って居ますが、外へ出かけるには、最近までも、それによる、写真撮影、携帯付属のカメラ撮影に非常に抵抗があり、その携帯の外に、また別に、別の、カメラ専用機、コンパクトデジタルカメラ、コンデジを持ち運んでいます。
私は、五木先生の言葉に賛同するが如く、非常にモノに対する愛着、執着が強い人間です。
今まで、レコード、カセットテープ、CD文化全盛の時代を生き抜き、今現在現代の、インターネットによる、音楽ダウンロード文化には、私はだいぶ長い間、否定的に、非常に背を向けてはいたのですが、母が今から十年近く前に入院を三か月ほどしていた頃、私は入院中の母の世話に明け暮れ、そこへ、たまたま柴田淳さんに興味を持ち、しかし、CDを買いに行く暇も時間も労力もない時に、どうしよう、どうしたかというと、ネットによるダウンロードでした。
こんなに、音楽が瞬時に聴けると言う事が何て非常に便利な事だとは、この年、この、十年前の時代に、初めて知った事です。
ですから、ここ、この前文の引用の、五木先生の文章にも、勿論賛同致するんですが、どうしても、今は、アマゾン一強の時代であり、地域地方の各書店、本屋さんは立ち行かず、閉店倒産の憂き目に遭っています。
この時代に、本を手に入れ、買う事は、非常に極めて困難さを抱えている事も、五木先生には判って頂きたいとも思う。
けれども、五木先生御主張の、紙の本の良さ、素晴らしさ、其れへの所有欲、それが達成された瞬間の征服感達成感、これらは誰人にも物を言われ、言葉を指し挟まれたくはない感じが、私も五木寛之先生の御意見には全く同意である。
この著作「捨てない生きかた」は、私にとっては、近年にない、「名著」の一冊になるという予感に包まれ、今日あたりも本当に私が言う「読書の冬」でまことに読みつつある。この本は、正に、麻薬?に等しい位、私にとり正論を述べた、筋の通った御本である。
以上。よしなに。wainai
何か麻薬、アヘンと連呼してるが、私は、とにかく、こういった音楽が大好きなのだ。これは、私は現在は、歌無しの、ベートーヴェン作曲の(第九抜きの他の)交響曲群。ベートーヴェンのピアノソナタ全曲集、これは、ピアノ演奏家だけでも、三人分の人達のCD全集を持って居る。他にもあるかも知れない位、ベートーヴェンのピアノソナタ全集は、かなりの大ファンなのである。それに、ベートーヴェンの三大ピアノソナタ、悲愴、熱情、月光、の、各ソナタのCDが、この「三大ピアノソナタCD」の一枚のCDの楽曲になると、一体何人分自分は演奏家の作品を持ってるんだか判別が出来ない程、一杯あり、大好物である。
私は、ベートーヴェンの、男らしい、凄まじいまでの男の美学、大天才の産み出した音楽遺産に目を、耳をじっくりしっかりと留めて、いつも感心しながら聴いている。ああいう生き方、彼が、彼そのものが、基本、大好きなのだ。
これらを聴いて、勿論、他にも、余り世間が言う程、明るい感じはせぬが、そう嫌いでもないモーツアルトとか、バッハ、ブラームス、リスト、ショパン、ドビュッシー、ワーグナー、チャイコフスキー、先にもCDで出て来た、ラフマニノフ、他、ほか、多くの西洋音楽、クラシック音楽が、この世には一杯ある。
これらを聴きながらでも勿論良いが、私は昨日のブログ記事発言に反し矛盾するようだが、パソコン執筆中は、常にラジオ、この場合、「ラジオ福島」か、「NHK第一ラジオ」か、「ふくしまFM」の三局を決まって聴いている事が多い。
ラジオは、私の、小学校、中学校からの、深夜放送世代からの、昔っからの大ファンであり、これを外す訳には絶対にゆかない。
五木先生も、自身がラジオ放送一筋、ラジオ畑出身者と公言して憚らない。この他、永六輔氏や野坂昭如氏、同じ作家の井上ひさし氏も、ラジオ出身であるという。
とにかく、昭和の頃のラジオはとーっても面白かった。それを、現代現在も語り継ぎ、引き継ぎ、今のラジオ局の人達も頑張って放送をし続け、命を正に賭けて放送に血眼になって取り組んでいる(はず)。
閑話休題。それはさておき。
反田恭平さんの事で、書こうと思って、何故か、ラジオ論で又もや脱線してしまった。反田恭平さんは、とても素晴らしい。近年にない、掘り出し物、金鉱脈に出会い、発見した思いがある。実際に彼のコンサートでも聴こうものならば、それこそ病み付きだろう。
今は、私は、Twitterやら、Instagramやら、Facebookやら、Windows11やらの、勉強中だ。それぞれの解説本をもアマゾンのアカウントにある返金残高で買ってしまい、もうお金も残り少なくなってしまった。
今度は、YouTube動画で反田恭平さんの楽曲があるんならば、是非、試みて、観て聴いてみたい。
一番は、生の演奏だが、それを、現代は、テレビ放送もあるが、ユーチューブがあるから、是非見てみたい。それ、この、ダウンロード楽曲だけでも、これだけのインパクト、破壊力、演奏力で私に迫って来たのだから、彼のピアノの演奏力には、確信が持てるのである。
反田恭平さんは、素晴らしい音楽家、演奏家である。(別に私が言わなくても、世間では、ちゃーんと認められている人、ピアニスト、であるが)
以上。よしなに。wainai