12月31日(月):大晦日
朝より魚慶へ行き、おせちをピックアップし、北村さんとうちの両親に届けた。しかしすごい量のおせちであった。
2007年も今日で終わりである。思えばあっという間だったな。振り返ると、例年と変わらない自分がいたりする。それが幸福なのか不幸なのか。変化のない自分に関しては、まったく不満足である。時間だけが流れていく。取り残されてはならないと思う。
来年は今よりさらにプレッシャーがかかる一年になろう。俺も前厄である。3月には40歳となる。血圧もこないだはかったら、上が155、下が98と高かった。
健康管理には十分注意して、少しずつでも体を動かしたい。もっと心の豊かな人間になりたい。この大晦日を忘れない。
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12月30日(日):
午前中は会社へ。淀の代理店に預けていた委託商品を引き取りに行ってきた。今日は寒い。京都で初雪とのこと。
天候は変わりやすく、雨で曇っていたら晴れた。そしたら雪が降った。
天下一品へ行って激辛ラーメンを食べた。今年の食い納めである。今年は元旦雪が降る予想である。
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12月28日(金):
今日で一応会社は仕事納めのため、午前中より会社の大掃除をした。俺は恒例の1階と2階のトイレ掃除である。
帰り道、立ち寄った山科の釣具屋で、船釣り用の道具一式を購入してしまったのだ。竿とリールとその他もろもろ。正月、白浜で船に乗れたらいいな。
今月は去年と同じくらいのピリッとしない売り上げだった。今のところ俺の売り上げは前年の96.5%。来年は最初からがんがん飛ばしていくつもり。
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12月27日(木):
今日は棚卸しの予定だったが、商品が外に出ているので年始にして営業に出た。
澤田の母上がおうちにいるとのことなので、お邪魔して澤田の仏前に線香をあげてきた。久しぶりに母上と話してきた。
今年も一年あっという間だったなぁ。
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12月24日(月):クリスマスイブ
朝10時まで驚くほど寝た。舞と桜と朝飯。舞はもち、桜は俺と同じ納豆ごはん。嫁は寝ている。
昼から、一人で大和の湯へサウナに行ってきた。
帰ると、3人で年賀状を作ってきた。俺は暇なのでまた寝た。
夕方、起きて舞とフレンドマートへ夕食の買い物。鳥のカラアゲとイタリア風サラダを作る。
夕食の後、イタリアから持ち帰ったチョコで、チョコレートフォンドを作り、果物をチョコにつけてみんなで食べた。
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12月23日(日):
一週間の東京出張から戻った。売上的には決して満足のいく出張ではなかったが、こんなことも視野に入れて他で頑張らないといけないのである。今期は数字が前期より結構下がっている。これから1月、2月と破竹の勢いで頑張るのみである。
家に久しぶりに戻り、物置から火鉢を出してきて火を入れた。火鉢の火を電気を消してみると心がとてもなごむ。しかし2階では相変わらずやんちゃな二人ががたがた走り回っている。通知簿は少しだけ1学期より良くなっていたみたいである。
今夜はカニが届いたので、もちろんカニスキである。すでにビールを飲んでいる。明日は年賀状を作らないといけないなぁ・・・。
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12月15日(土):
今日は、仕事の後、夕方から清水の爺婆と家族でふぐを食べに行ってきた。久しぶりのふぐは最高であった。
なかなか家族だけではいけないふぐ料理。てっちりがこんなに旨かったなんて・・・。忘れていたな。明日から東京である。気を引き締めていこうとおもう。
来年の正月休みは白浜に爺婆と白浜へ行き、釣りをすることにした。ちびらは遅れて参加。嫁は不参加。
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12月14日(金):
今日ついに!ついに手にした!!船舶操縦免許!!
これで俺は船に乗れるのである。万歳といいたい!
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12月12日(水):
ミラノから成田を経由し、京都に戻ってきた。さすがに疲れた。しかし、自分としては実りのある出張であったと思う。
さて明日から、またこの地で営業に頑張りたいと思う。今月の俺はこれからである。気を引き締めなければいけない。つねにオーバーフローするくらいの情熱で仕事に取り組みたいと思っている。俺ならできる。俺ならできる。仕事は俺の人生の最も重要な課題である。
家に帰ると、たこ焼きとかす汁だった。ほのぼのうまい。白菜の漬物にゴマをかけて、味の素、しょうゆで食べる。
あー、やはり俺は日本人である。日本が一番いい。
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12月10日(月):
ミラノ。朝一番から今主力となりつつある仕入元の事務所へ向かい、エマニュエルと商談。
11時のミラノ中央駅からVERCHELLI行きの電車に乗る。約1時間ほどで到着しレンツォと合流する。その後、VALENZAに入り、働いた。
北イタリアはすごい霧である。まだまだ普通とレンツォは話す。しかし寒かった。帰りのミラノへの電車を待つプラットホームは、常に動いてないと寒くてたまらない。皮じゃんの前をぎゅっと締めて、暗くなった空に向けて白い息をはく。すぐにそれは霧の中に混じりこんでいく。
これでイタリアでの仕事が終了した。自分なりには良くできたと思う。さて帰ってからまた頑張らなくちゃな。
明日のフライトで日本に帰国する。日本も寒くなっているんだろうな。
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12月7日(金):
フィレンツェ。すでに街は暗く、辺りは薄い霧で包まれている。浅い夜の石畳を歩く。クリスマスイルミネーションがぼんやりと幻想的である。ちょうどドゥオモ広場の前に来た時、午後6時の鐘が鳴り響きはじめた。数分間、その鐘は鳴り続ける。その鐘が鳴るドゥオモを左に見上げ、立ち止まり、又、石畳を歩いた。<o:p> </o:p>
知る限りでは一番レートが良かったウフィッツィ美術館脇の両替屋へ向かい、ユーロを作った。ここですら169円である。なんとも高いことだろうか。
今朝は、早朝4時半に起き、パレルモからローマを経由し、飛行機を乗り継ぎフィレンツェに入ったのが正午前。すぐにジョバンニマネッティ氏の工房に出向いた。
数年前、ジョバンニの工房で偶然出会い、ジョバンニに紹介された高貴なご婦人がおり、その際、彼女の住む宮殿にて紅茶をご馳走になったのだが、そのご婦人、かの『モナリザ』の血族であるということを今日、初めてジョバンニに聞き、ただただ吃驚した。
この街は知識で知る歴史と現実が交差している。
仕事の後、ジョバンニに昼飯をご馳走になる。小さくと頼んだフローレンティーヌステーキなのに、全部食べると腹が割れそうになった。ホテルに戻り、昼寝した。
目を覚ましたのが夕方5時。そして再度、街にでたのであった。
今夜の晩飯は不要である。スーパーでビールと赤ワインを買ってホテルに帰った。
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12月6日(木):
今日は船舶免許合格発表の日である。早朝、試験に落ちる夢を見て、パレルモのホテルで飛び起きた。気になったのでボートスクールに国際電話する。
『おめでとうございます。合格しています。』 天使のような女性の声。
『よし!』 電話を切った後、俺は一人、小さく微笑んだ。
昼過ぎ、ファブリチオの店でVISAカードを使用し、金額訂正の為、一度キャンセルをした所、なぜか、カードにロックがかかってしまい全く使用できなくなるというハプニングが起きた。VISAに電話するも、詳細はカードを発行している『りそなカード』でしかわからないとの話。日本に電話するも、日本時間深夜0時にて、朝9時まで待たなければならないという状況。こんなのは初めてである。ファブリチオには状況を説明し、帰国したら送金するという事にして商品を受け取った。しかし、高い年会費を払っているゴールドカードがこれかとかなり頭にくる。
明日の朝が早いので今夜はマクドナルドでハンバーガーを購入し、スーパーでビールとワインを求め部屋に戻った。
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12月5日(水):
朝のフライトにてミラノよりパレルモへ。南に行けば行くほど日差しが強くなってくるのがわかる。機上からみえる地中海は群青色。どこまでも群青色である。船に乗って沖に出て、釣りがしたくなった。6年ぶりのパレルモ訪問。岩を削ったままのような山々は勿論何も変わっていない。時の流れのはやさだけをひしひしと感じる。
空港には新規取引先メーカーの運転手が待っていた。彼の車で、ホテルにスーツケースを預け、早速メーカーへ出向いた。ここは恐らくイタリアでも屈指のメーカーであろう。アンティークビルを所有し、その最上階に会社があった。そのブランドは、VOUGUE誌でも何度も目にしていたのだが、そのオーナーであるクラウディオ氏はとても頭脳明晰でてきぱき動く。かなり仕事ができそうだ。
昼、氏とその家族とにパスタをごちそうになる。会社には更に上階があり、そこが客間になっていた。そこでメイドが作るパスタをご馳走になった。貝の形をしたパスタ。こことのパイプを太く長く延ばす事ができればいいなと考える。
その後、ファブリチオの店に向かう。彼とは6年前大喧嘩をして以来、顔を合わせていなかった。今回はなんの連絡もせずの訪問。彼の店の前で手を振る俺を見たファブリチオの驚きの顔ったらなかった。手土産の玄米茶を渡す。一瞬にして昔の仲に戻る。懐かしいあの頃の話。本当によかった。奥さんのジュリアも手伝う息子のフランチェスコも元気そう。みんなが少しずつ年を取っていた。そして子供だった娘のジュリアは俺よりも背が高いイタリア女性になっていた。でも笑う顔は子供の頃のままだった。明日の再訪を伝え、ホテルに戻った。
そして夜は、トロント留学時代の友人であるロベルトと奥さんであるテレサがホテルに迎えにきてくれた。ロベルトとも6年ぶりの再会である。テレサのお腹が割れそうなぐらい膨らんでいた。来年1月出産予定とのこと。ほんのわずかだったが、とても楽しい時間の夕食を共にした。ウニのスパゲッティをご馳走になった。美味。
しかし充実した一日だった。
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12月4日(火):
イタリア・ミラノのにきて2日目。ミラノでの仕事をそれなりにこなすことができた。相変わらず時差には悩まされているが、それ以上にユーロ高には悩まされ続けている。
今夜はこれから、アントニオとペッパームーンに夕食を食べに行ってくる。俺が頼むのはもちろんローストビーフのルッコラ和えである。すでに心に決めているのである。
そして明日は朝から久しぶりにシシリー島に飛ぶ予定である。ロベルトに会えるのが楽しみである。
あと一週間続くイタリアの旅。相変わらずのことだが気を引き締めていこうと思う。今夜はミラノとセルテックのサッカーの試合があるみたいだ。セルテックのサポーターがドゥオモ広場を占領している。酔っ払い集団である。こわいこわい。
朝より魚慶へ行き、おせちをピックアップし、北村さんとうちの両親に届けた。しかしすごい量のおせちであった。
2007年も今日で終わりである。思えばあっという間だったな。振り返ると、例年と変わらない自分がいたりする。それが幸福なのか不幸なのか。変化のない自分に関しては、まったく不満足である。時間だけが流れていく。取り残されてはならないと思う。
来年は今よりさらにプレッシャーがかかる一年になろう。俺も前厄である。3月には40歳となる。血圧もこないだはかったら、上が155、下が98と高かった。
健康管理には十分注意して、少しずつでも体を動かしたい。もっと心の豊かな人間になりたい。この大晦日を忘れない。
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12月30日(日):
午前中は会社へ。淀の代理店に預けていた委託商品を引き取りに行ってきた。今日は寒い。京都で初雪とのこと。
天候は変わりやすく、雨で曇っていたら晴れた。そしたら雪が降った。
天下一品へ行って激辛ラーメンを食べた。今年の食い納めである。今年は元旦雪が降る予想である。
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12月28日(金):
今日で一応会社は仕事納めのため、午前中より会社の大掃除をした。俺は恒例の1階と2階のトイレ掃除である。
帰り道、立ち寄った山科の釣具屋で、船釣り用の道具一式を購入してしまったのだ。竿とリールとその他もろもろ。正月、白浜で船に乗れたらいいな。
今月は去年と同じくらいのピリッとしない売り上げだった。今のところ俺の売り上げは前年の96.5%。来年は最初からがんがん飛ばしていくつもり。
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12月27日(木):
今日は棚卸しの予定だったが、商品が外に出ているので年始にして営業に出た。
澤田の母上がおうちにいるとのことなので、お邪魔して澤田の仏前に線香をあげてきた。久しぶりに母上と話してきた。
今年も一年あっという間だったなぁ。
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12月24日(月):クリスマスイブ
朝10時まで驚くほど寝た。舞と桜と朝飯。舞はもち、桜は俺と同じ納豆ごはん。嫁は寝ている。
昼から、一人で大和の湯へサウナに行ってきた。
帰ると、3人で年賀状を作ってきた。俺は暇なのでまた寝た。
夕方、起きて舞とフレンドマートへ夕食の買い物。鳥のカラアゲとイタリア風サラダを作る。
夕食の後、イタリアから持ち帰ったチョコで、チョコレートフォンドを作り、果物をチョコにつけてみんなで食べた。
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12月23日(日):
一週間の東京出張から戻った。売上的には決して満足のいく出張ではなかったが、こんなことも視野に入れて他で頑張らないといけないのである。今期は数字が前期より結構下がっている。これから1月、2月と破竹の勢いで頑張るのみである。
家に久しぶりに戻り、物置から火鉢を出してきて火を入れた。火鉢の火を電気を消してみると心がとてもなごむ。しかし2階では相変わらずやんちゃな二人ががたがた走り回っている。通知簿は少しだけ1学期より良くなっていたみたいである。
今夜はカニが届いたので、もちろんカニスキである。すでにビールを飲んでいる。明日は年賀状を作らないといけないなぁ・・・。
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12月15日(土):
今日は、仕事の後、夕方から清水の爺婆と家族でふぐを食べに行ってきた。久しぶりのふぐは最高であった。
なかなか家族だけではいけないふぐ料理。てっちりがこんなに旨かったなんて・・・。忘れていたな。明日から東京である。気を引き締めていこうとおもう。
来年の正月休みは白浜に爺婆と白浜へ行き、釣りをすることにした。ちびらは遅れて参加。嫁は不参加。
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12月14日(金):
今日ついに!ついに手にした!!船舶操縦免許!!
これで俺は船に乗れるのである。万歳といいたい!
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12月12日(水):
ミラノから成田を経由し、京都に戻ってきた。さすがに疲れた。しかし、自分としては実りのある出張であったと思う。
さて明日から、またこの地で営業に頑張りたいと思う。今月の俺はこれからである。気を引き締めなければいけない。つねにオーバーフローするくらいの情熱で仕事に取り組みたいと思っている。俺ならできる。俺ならできる。仕事は俺の人生の最も重要な課題である。
家に帰ると、たこ焼きとかす汁だった。ほのぼのうまい。白菜の漬物にゴマをかけて、味の素、しょうゆで食べる。
あー、やはり俺は日本人である。日本が一番いい。
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12月10日(月):
ミラノ。朝一番から今主力となりつつある仕入元の事務所へ向かい、エマニュエルと商談。
11時のミラノ中央駅からVERCHELLI行きの電車に乗る。約1時間ほどで到着しレンツォと合流する。その後、VALENZAに入り、働いた。
北イタリアはすごい霧である。まだまだ普通とレンツォは話す。しかし寒かった。帰りのミラノへの電車を待つプラットホームは、常に動いてないと寒くてたまらない。皮じゃんの前をぎゅっと締めて、暗くなった空に向けて白い息をはく。すぐにそれは霧の中に混じりこんでいく。
これでイタリアでの仕事が終了した。自分なりには良くできたと思う。さて帰ってからまた頑張らなくちゃな。
明日のフライトで日本に帰国する。日本も寒くなっているんだろうな。
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12月7日(金):
フィレンツェ。すでに街は暗く、辺りは薄い霧で包まれている。浅い夜の石畳を歩く。クリスマスイルミネーションがぼんやりと幻想的である。ちょうどドゥオモ広場の前に来た時、午後6時の鐘が鳴り響きはじめた。数分間、その鐘は鳴り続ける。その鐘が鳴るドゥオモを左に見上げ、立ち止まり、又、石畳を歩いた。<o:p> </o:p>
知る限りでは一番レートが良かったウフィッツィ美術館脇の両替屋へ向かい、ユーロを作った。ここですら169円である。なんとも高いことだろうか。
今朝は、早朝4時半に起き、パレルモからローマを経由し、飛行機を乗り継ぎフィレンツェに入ったのが正午前。すぐにジョバンニマネッティ氏の工房に出向いた。
数年前、ジョバンニの工房で偶然出会い、ジョバンニに紹介された高貴なご婦人がおり、その際、彼女の住む宮殿にて紅茶をご馳走になったのだが、そのご婦人、かの『モナリザ』の血族であるということを今日、初めてジョバンニに聞き、ただただ吃驚した。
この街は知識で知る歴史と現実が交差している。
仕事の後、ジョバンニに昼飯をご馳走になる。小さくと頼んだフローレンティーヌステーキなのに、全部食べると腹が割れそうになった。ホテルに戻り、昼寝した。
目を覚ましたのが夕方5時。そして再度、街にでたのであった。
今夜の晩飯は不要である。スーパーでビールと赤ワインを買ってホテルに帰った。
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12月6日(木):
今日は船舶免許合格発表の日である。早朝、試験に落ちる夢を見て、パレルモのホテルで飛び起きた。気になったのでボートスクールに国際電話する。
『おめでとうございます。合格しています。』 天使のような女性の声。
『よし!』 電話を切った後、俺は一人、小さく微笑んだ。
昼過ぎ、ファブリチオの店でVISAカードを使用し、金額訂正の為、一度キャンセルをした所、なぜか、カードにロックがかかってしまい全く使用できなくなるというハプニングが起きた。VISAに電話するも、詳細はカードを発行している『りそなカード』でしかわからないとの話。日本に電話するも、日本時間深夜0時にて、朝9時まで待たなければならないという状況。こんなのは初めてである。ファブリチオには状況を説明し、帰国したら送金するという事にして商品を受け取った。しかし、高い年会費を払っているゴールドカードがこれかとかなり頭にくる。
明日の朝が早いので今夜はマクドナルドでハンバーガーを購入し、スーパーでビールとワインを求め部屋に戻った。
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12月5日(水):
朝のフライトにてミラノよりパレルモへ。南に行けば行くほど日差しが強くなってくるのがわかる。機上からみえる地中海は群青色。どこまでも群青色である。船に乗って沖に出て、釣りがしたくなった。6年ぶりのパレルモ訪問。岩を削ったままのような山々は勿論何も変わっていない。時の流れのはやさだけをひしひしと感じる。
空港には新規取引先メーカーの運転手が待っていた。彼の車で、ホテルにスーツケースを預け、早速メーカーへ出向いた。ここは恐らくイタリアでも屈指のメーカーであろう。アンティークビルを所有し、その最上階に会社があった。そのブランドは、VOUGUE誌でも何度も目にしていたのだが、そのオーナーであるクラウディオ氏はとても頭脳明晰でてきぱき動く。かなり仕事ができそうだ。
昼、氏とその家族とにパスタをごちそうになる。会社には更に上階があり、そこが客間になっていた。そこでメイドが作るパスタをご馳走になった。貝の形をしたパスタ。こことのパイプを太く長く延ばす事ができればいいなと考える。
その後、ファブリチオの店に向かう。彼とは6年前大喧嘩をして以来、顔を合わせていなかった。今回はなんの連絡もせずの訪問。彼の店の前で手を振る俺を見たファブリチオの驚きの顔ったらなかった。手土産の玄米茶を渡す。一瞬にして昔の仲に戻る。懐かしいあの頃の話。本当によかった。奥さんのジュリアも手伝う息子のフランチェスコも元気そう。みんなが少しずつ年を取っていた。そして子供だった娘のジュリアは俺よりも背が高いイタリア女性になっていた。でも笑う顔は子供の頃のままだった。明日の再訪を伝え、ホテルに戻った。
そして夜は、トロント留学時代の友人であるロベルトと奥さんであるテレサがホテルに迎えにきてくれた。ロベルトとも6年ぶりの再会である。テレサのお腹が割れそうなぐらい膨らんでいた。来年1月出産予定とのこと。ほんのわずかだったが、とても楽しい時間の夕食を共にした。ウニのスパゲッティをご馳走になった。美味。
しかし充実した一日だった。
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12月4日(火):
イタリア・ミラノのにきて2日目。ミラノでの仕事をそれなりにこなすことができた。相変わらず時差には悩まされているが、それ以上にユーロ高には悩まされ続けている。
今夜はこれから、アントニオとペッパームーンに夕食を食べに行ってくる。俺が頼むのはもちろんローストビーフのルッコラ和えである。すでに心に決めているのである。
そして明日は朝から久しぶりにシシリー島に飛ぶ予定である。ロベルトに会えるのが楽しみである。
あと一週間続くイタリアの旅。相変わらずのことだが気を引き締めていこうと思う。今夜はミラノとセルテックのサッカーの試合があるみたいだ。セルテックのサポーターがドゥオモ広場を占領している。酔っ払い集団である。こわいこわい。