2004年初夏・ポルトガル訪問記
2004年6月11日正午過ぎ、予定より30分遅れのポルトガル航空TO809便はミラノ・マルペンサ空港より多くの西洋人と、そして一人の東洋人を乗せて、リスボンへ飛び立った。
これからの2日間、2年ぶりに訪れるポルトガル・リスボンにて貴重な時間を過ごすことになっている。
新たな何かに出会うというワクワクした感覚と、孤独であるというシンシンと心を刺す感覚が混在している。
離陸後しばらく、スチュワートがバケットに入った昼食を配る。中には、パックのサラダとポークをはさんだサンドイッチ。ここ一週間、日本を離れバンコクよりイタリアへと廻り、ビタミンが取れていないのか口内炎がいくつもできて、かなり痛い。
トマトと大きくて大味な胡瓜を口に放り込む。さして腹が減っているわけでもなかったが、サンドイッチを手で千切り、口に放り込む。
「・・・」
記憶の中より何かが泡立つ。何かが僕の脳裏をノックする。更に一口放り込む。
「・・・!!」
そうだ!この味は、前にリスボンの街並みを一人歩いていた際に、ふと目に付いたBAR(バル)にて、街のおっさん達がカウンターに立ち並び食べていたサンドイッチ。旨そうなので釣られて入り、身振り手振りでそれを頼み、隣のオッサンに勧められるままチューブ入りのマスタードをたっぷりと挟んだポークに練りこんでかぶりついたあの味。
懐かしい記憶が甦る。そういう時、僕の場合、なぜか必ず鼻の先辺りがツンツンと痛むのである。
ずっと昔、泣いた後に感じた感覚。
『SAGRAS』というポルトガルの缶ビールを飲む。どういう風にこの味を表現できる?
濃い味。重い味。深い味。長く寝かせた味。
イベリア半島を横切り、飛行機はユーラシア大陸を西へ、西へ向かう。イベリア半島はとても茶色い。
リスボンの空港を出た所に僕を待ち受けていたものは、タクシーの為の長蛇の列であった。明日からサッカーのヨーロピアンチャンピオンシップス「EURO2004」がここポルトガルにて開催されるためだ。人々は、かつて日韓ワールドカップの時に見覚えあるカラフルな、それぞれの国のユニフォームを着ている。スーツを着ているのは僕ぐらいなものだ。長蛇の列をテレビカメラが廻っている。恐らく夕方のニュースにでも空港の混雑ぶりが出るのであろう。
「こんな所で顔がテレビに出ても誰も観てくれないな」
人々は朗らかで話す声も大きい。もうフェスティバルは始まっているようだ。
結局、30分近く並んでようやく僕の順番になった。ホテル・ムンディアルへと頼んだ後、早速、ドライバーとサッカーの話で花が咲いた。
「今回は、イタリアの知人に聞いたんだけど、ポルトガルは強いらしいね。どうなの?」
他のヨーロッパ人同様、愛国心高そうなこのドライバーは嬉しそうに答えた。
「そうだね。サッカーは試合が始まらないとどうなるかわからないけどね。ただ、決勝リーグには出れるんじゃないかなぁ」
第一リーグにはどの国と組まれているのか聞いてみた。
「ポルトガルのリーグは、スペインとギリシャとロシアだよ。順当に行けば、スペインとポルトガルだろうね」
「ポルトガルにはフィーゴやルイ・コスタもいるね。他にはやっぱりフランスが強いって聞いたけど」
「フランスも強いし、イタリアも強いよ。でも僕はイングランドも有力だと思っているんだ」
ドライバーはそう答えた。
乗車中、ずっと楽しく話していた事が幸いしたか、ドライバーはタクシー代をまけてくれた。そして最後に一言。
「リスボンでの素敵な時間を送ってください」
海外訪問の際、現地でのこういう風な始まりだしは、とても気持ちが良い。心から彼に感謝する。
ホテルにチェックイン後、暑くて嫌だったが、一応、外見は大切と思い、ネクタイをはめ直し、メインとなる取引先へ向かった。そこはリスボンの中心、バイシャ地区の目抜き通りに在る。個人的にはこれまで面識はなかったが、オーナーのトレス氏が待っていてくれた。この人、身長190センチはあるだろうか、茶色い口ひげをくるりんとカールさせているのが特徴的だった。如何にも金持ちといった風貌である。スーツで来たのは正解であった。ヨーロッパで我々の商材を商う場合、きちんとした身なりをしていないと、商品を見せてもらえないどころか、店に入れてもらえない事も有り得るのだ。
今回のポルトガル訪問の目的は、ポルトガルで製作されたアンティーク及びアンティーク調ジュエリーを探求する事にある。モダンな物は、イタリアの方が数段優れており、ポルトガルでの購入は不要なのだ。但し、現地にて昔ながらにハンドメイドで作られているジュエリーは、19金という通常より金の純度の高い地金を用いており、また、エナメル等を用い、独特な味あるものなのである。ほとんどこれまで、日本市場にまだ広まっていないものなのである。
商談後、一度ホテルに戻り、軽装に着替えた後、バイシャ地区を歩き回った。
バイシャ地区の中心であるロッシオ広場には、たくさんの人々が集まり、日光浴を楽しみながら、道にはみ出すぎているオープンデッキに腰掛け、恐ろしく大きなジョッキでビールを飲んでいる。
ヨーロッパで唯一、『侘び寂び』がわかる国民と云われるポルトガル人。
「サウダージ」という過ぎ去った過去を懐かしむ心を持つ人々の街。その建物にも石畳にも、道端で佇む乞食の手にするアコーディオンから奏でる物哀しい音色にも、これまで訪れたヨーロッパの他の街とは違う何かがある。僕には、その街並みとビールを呑みながらはしゃいでいる人々の喧騒とのギャップが、それはそれでなかなか良いものだと感じていた。
しばらくふらつくと、一つのことに気づいた。
オープンデッキでビールを飲む人々の多くが、ジョッキを手にしながら、皿に山積みにされた小さな巻貝のようなものを、爪楊枝で穿り出しながら美味そうに食べているのだ。8割近いテーブルの上には、その食べつくされた巻貝の殻が皿に山盛りに積まれている。
「バイ貝の一種であろうか・・・」
歩き回り、程よくのどの渇いた僕は、口ひげにギョロ目の愛想の良い呼び込みのオッサンの誘いに応じ、オープンデッキの一角に腰を下ろして、斜め向こうのテーブルを指差し言った。
「生ビールとあの巻貝みたいなの頼むよ」
「生ビールとエスカルゴね。わかりました」
「えっ! エスカルゴ・・・!」
あのみんなが美味そうに食べている巻貝はカタツムリだったのか。
僕は今まで、食べたことはないけど、よく高級フランス料理に出てくる事とかを思い出しながら、ビールを飲みのみしばらく待った。
それは、やはり皿に山積みにされて、予想通り、ドカンと僕のテーブルに置かれたのであった。よく見ると、紛れもなく、それはカタツムリであり、中にはあのニョロっとした目玉を出している奴もいる。えいやっと、爪楊枝を突き刺し、引っ張り出してみると身は簡単に出てくる。
食べてみる。
複雑な味。これまでに食べたことのない味。少ししょっぱい淡水の味。
「たしかナメクジとかカタツムリは塩をかけると溶けてしまうはずなのに、どうしてしょっぱい味なのかなぁ。元々の味なのかなぁ。歯ごたえないなぁ・・・」
結局、ひ弱な僕は6コ、カタツムリを食べたところで、さっきのチョビ髭ギョロ目オッサンを呼び出し、小さな声で、アサリの蒸したものと交換してもらったのであった。
その後、歩いているとついに発見した!
あの以前に訪れた、煮込んだポークをパンに挟んで出す立ち食い店があったのだ。
もちろん飛び込んだ。
相変わらず店の雰囲気は全然変わっていなかった。とりあえず生ビールを頼む。店の入口横がガラス張りになっており、そこに3つのフライパンを少し底深くした鍋、その中にはタレだかポークから出た油だか判別がつかないくらいの煮汁が沸騰している。
まず男は、生肉を左側の鍋に放り込む。約5分後、その肉を真ん中の鍋に移す。右の鍋は今使っていないようである。真ん中の鍋は味付け用なのだろうか。わからない。
身振り手振りで、昔と同じようにオーダーすると、男は鍋の横に積まれているパンを一つ掴み、真ん中の鍋からポークをグイっと挟んで、「はいどうぞ!」という感じ。
オーダーから20秒かからない。
早速、備え付けのマスタードをたっぷりとポークになすりつけ、かぶりつく。
「めちゃくちゃうめー!」ひとりで唸った。
僕は結局、この店には、滞在中の二日とも顔を出したのであった。
この時期のヨーロッパの夜は長い。夜九時頃までは街は明るく、気の向くままにブラブラと歩いた。
翌日も早く起き、ホテルで朝食を取った後、街を歩いた。歩きながら気になる店に飛び込む。これも市場調査、大切な仕事なのである。
昼ごろまできちんと働いた後、グルベンキン美術館へタクシーで向かった。ここには、アールデコ期のガラス作家であるルネ・ラリックの芸術品が保管されているのである。これで二回目の訪問となるのだが、歴史ある芸術は何度見ても、そのものが僕が生まれる以前にどんな風に、どんな状況で作られたか想像するだけでも楽しい。心が膨らむ。
僕が生を受けてから今に至るまで36年間など、これらの芸術品を考えると、ほんのわずかのピリオドに過ぎない。
夕方、店先にイワシを並べるレストランを見つけ、中に入った。
今夜の夕食はイワシの塩焼きである。皿には大きめのイワシが5匹乗って出てくる。これにビネガーとオリーブ油をかけて食べる。
「いわゆる南蛮漬けってこの事なのかなぁ」などと思いながら一人食べる。なかなかいける。
テレビではヨーロッパチャンピオンシップの開幕第一戦であるポルトガル対ギリシャが始まった。
前半はこのレストランで、そして後半はホテルの部屋で、買っておいたチェリーを食べながら観賞した。結果はポルトガルが2対0で負けるという予想に反した事態に。素人ながらにもポルトガルのディフェンスに問題があるような気がした。かのフィーゴも年齢的衰えは逆らえないのか、後半はあまり画面に映らなくなった。
どうしても欲しかった僕の応援するイタリアの青のTシャツを手に入れた。
短い滞在中にイタリアの試合を直に応援することは出来なかったが、通常であれば決勝トーナメントに残るであろう実力、帰路のバンコクではこのTシャツを着て、テレビにて応援しようと思った。(イタリアはその後、残念ながら予選落ちすることになる。ギリシャがチャンピオンになる。サッカーとは分からないものだ。)
リスボンは本当に心和む街であった。ここであれば生活してみたいと思える街である。
翌朝、日が昇る前にタクシーに乗り込み空港へ向かった。
完
2004年6月11日正午過ぎ、予定より30分遅れのポルトガル航空TO809便はミラノ・マルペンサ空港より多くの西洋人と、そして一人の東洋人を乗せて、リスボンへ飛び立った。
これからの2日間、2年ぶりに訪れるポルトガル・リスボンにて貴重な時間を過ごすことになっている。
新たな何かに出会うというワクワクした感覚と、孤独であるというシンシンと心を刺す感覚が混在している。
離陸後しばらく、スチュワートがバケットに入った昼食を配る。中には、パックのサラダとポークをはさんだサンドイッチ。ここ一週間、日本を離れバンコクよりイタリアへと廻り、ビタミンが取れていないのか口内炎がいくつもできて、かなり痛い。
トマトと大きくて大味な胡瓜を口に放り込む。さして腹が減っているわけでもなかったが、サンドイッチを手で千切り、口に放り込む。
「・・・」
記憶の中より何かが泡立つ。何かが僕の脳裏をノックする。更に一口放り込む。
「・・・!!」
そうだ!この味は、前にリスボンの街並みを一人歩いていた際に、ふと目に付いたBAR(バル)にて、街のおっさん達がカウンターに立ち並び食べていたサンドイッチ。旨そうなので釣られて入り、身振り手振りでそれを頼み、隣のオッサンに勧められるままチューブ入りのマスタードをたっぷりと挟んだポークに練りこんでかぶりついたあの味。
懐かしい記憶が甦る。そういう時、僕の場合、なぜか必ず鼻の先辺りがツンツンと痛むのである。
ずっと昔、泣いた後に感じた感覚。
『SAGRAS』というポルトガルの缶ビールを飲む。どういう風にこの味を表現できる?
濃い味。重い味。深い味。長く寝かせた味。
イベリア半島を横切り、飛行機はユーラシア大陸を西へ、西へ向かう。イベリア半島はとても茶色い。
リスボンの空港を出た所に僕を待ち受けていたものは、タクシーの為の長蛇の列であった。明日からサッカーのヨーロピアンチャンピオンシップス「EURO2004」がここポルトガルにて開催されるためだ。人々は、かつて日韓ワールドカップの時に見覚えあるカラフルな、それぞれの国のユニフォームを着ている。スーツを着ているのは僕ぐらいなものだ。長蛇の列をテレビカメラが廻っている。恐らく夕方のニュースにでも空港の混雑ぶりが出るのであろう。
「こんな所で顔がテレビに出ても誰も観てくれないな」
人々は朗らかで話す声も大きい。もうフェスティバルは始まっているようだ。
結局、30分近く並んでようやく僕の順番になった。ホテル・ムンディアルへと頼んだ後、早速、ドライバーとサッカーの話で花が咲いた。
「今回は、イタリアの知人に聞いたんだけど、ポルトガルは強いらしいね。どうなの?」
他のヨーロッパ人同様、愛国心高そうなこのドライバーは嬉しそうに答えた。
「そうだね。サッカーは試合が始まらないとどうなるかわからないけどね。ただ、決勝リーグには出れるんじゃないかなぁ」
第一リーグにはどの国と組まれているのか聞いてみた。
「ポルトガルのリーグは、スペインとギリシャとロシアだよ。順当に行けば、スペインとポルトガルだろうね」
「ポルトガルにはフィーゴやルイ・コスタもいるね。他にはやっぱりフランスが強いって聞いたけど」
「フランスも強いし、イタリアも強いよ。でも僕はイングランドも有力だと思っているんだ」
ドライバーはそう答えた。
乗車中、ずっと楽しく話していた事が幸いしたか、ドライバーはタクシー代をまけてくれた。そして最後に一言。
「リスボンでの素敵な時間を送ってください」
海外訪問の際、現地でのこういう風な始まりだしは、とても気持ちが良い。心から彼に感謝する。
ホテルにチェックイン後、暑くて嫌だったが、一応、外見は大切と思い、ネクタイをはめ直し、メインとなる取引先へ向かった。そこはリスボンの中心、バイシャ地区の目抜き通りに在る。個人的にはこれまで面識はなかったが、オーナーのトレス氏が待っていてくれた。この人、身長190センチはあるだろうか、茶色い口ひげをくるりんとカールさせているのが特徴的だった。如何にも金持ちといった風貌である。スーツで来たのは正解であった。ヨーロッパで我々の商材を商う場合、きちんとした身なりをしていないと、商品を見せてもらえないどころか、店に入れてもらえない事も有り得るのだ。
今回のポルトガル訪問の目的は、ポルトガルで製作されたアンティーク及びアンティーク調ジュエリーを探求する事にある。モダンな物は、イタリアの方が数段優れており、ポルトガルでの購入は不要なのだ。但し、現地にて昔ながらにハンドメイドで作られているジュエリーは、19金という通常より金の純度の高い地金を用いており、また、エナメル等を用い、独特な味あるものなのである。ほとんどこれまで、日本市場にまだ広まっていないものなのである。
商談後、一度ホテルに戻り、軽装に着替えた後、バイシャ地区を歩き回った。
バイシャ地区の中心であるロッシオ広場には、たくさんの人々が集まり、日光浴を楽しみながら、道にはみ出すぎているオープンデッキに腰掛け、恐ろしく大きなジョッキでビールを飲んでいる。
ヨーロッパで唯一、『侘び寂び』がわかる国民と云われるポルトガル人。
「サウダージ」という過ぎ去った過去を懐かしむ心を持つ人々の街。その建物にも石畳にも、道端で佇む乞食の手にするアコーディオンから奏でる物哀しい音色にも、これまで訪れたヨーロッパの他の街とは違う何かがある。僕には、その街並みとビールを呑みながらはしゃいでいる人々の喧騒とのギャップが、それはそれでなかなか良いものだと感じていた。
しばらくふらつくと、一つのことに気づいた。
オープンデッキでビールを飲む人々の多くが、ジョッキを手にしながら、皿に山積みにされた小さな巻貝のようなものを、爪楊枝で穿り出しながら美味そうに食べているのだ。8割近いテーブルの上には、その食べつくされた巻貝の殻が皿に山盛りに積まれている。
「バイ貝の一種であろうか・・・」
歩き回り、程よくのどの渇いた僕は、口ひげにギョロ目の愛想の良い呼び込みのオッサンの誘いに応じ、オープンデッキの一角に腰を下ろして、斜め向こうのテーブルを指差し言った。
「生ビールとあの巻貝みたいなの頼むよ」
「生ビールとエスカルゴね。わかりました」
「えっ! エスカルゴ・・・!」
あのみんなが美味そうに食べている巻貝はカタツムリだったのか。
僕は今まで、食べたことはないけど、よく高級フランス料理に出てくる事とかを思い出しながら、ビールを飲みのみしばらく待った。
それは、やはり皿に山積みにされて、予想通り、ドカンと僕のテーブルに置かれたのであった。よく見ると、紛れもなく、それはカタツムリであり、中にはあのニョロっとした目玉を出している奴もいる。えいやっと、爪楊枝を突き刺し、引っ張り出してみると身は簡単に出てくる。
食べてみる。
複雑な味。これまでに食べたことのない味。少ししょっぱい淡水の味。
「たしかナメクジとかカタツムリは塩をかけると溶けてしまうはずなのに、どうしてしょっぱい味なのかなぁ。元々の味なのかなぁ。歯ごたえないなぁ・・・」
結局、ひ弱な僕は6コ、カタツムリを食べたところで、さっきのチョビ髭ギョロ目オッサンを呼び出し、小さな声で、アサリの蒸したものと交換してもらったのであった。
その後、歩いているとついに発見した!
あの以前に訪れた、煮込んだポークをパンに挟んで出す立ち食い店があったのだ。
もちろん飛び込んだ。
相変わらず店の雰囲気は全然変わっていなかった。とりあえず生ビールを頼む。店の入口横がガラス張りになっており、そこに3つのフライパンを少し底深くした鍋、その中にはタレだかポークから出た油だか判別がつかないくらいの煮汁が沸騰している。
まず男は、生肉を左側の鍋に放り込む。約5分後、その肉を真ん中の鍋に移す。右の鍋は今使っていないようである。真ん中の鍋は味付け用なのだろうか。わからない。
身振り手振りで、昔と同じようにオーダーすると、男は鍋の横に積まれているパンを一つ掴み、真ん中の鍋からポークをグイっと挟んで、「はいどうぞ!」という感じ。
オーダーから20秒かからない。
早速、備え付けのマスタードをたっぷりとポークになすりつけ、かぶりつく。
「めちゃくちゃうめー!」ひとりで唸った。
僕は結局、この店には、滞在中の二日とも顔を出したのであった。
この時期のヨーロッパの夜は長い。夜九時頃までは街は明るく、気の向くままにブラブラと歩いた。
翌日も早く起き、ホテルで朝食を取った後、街を歩いた。歩きながら気になる店に飛び込む。これも市場調査、大切な仕事なのである。
昼ごろまできちんと働いた後、グルベンキン美術館へタクシーで向かった。ここには、アールデコ期のガラス作家であるルネ・ラリックの芸術品が保管されているのである。これで二回目の訪問となるのだが、歴史ある芸術は何度見ても、そのものが僕が生まれる以前にどんな風に、どんな状況で作られたか想像するだけでも楽しい。心が膨らむ。
僕が生を受けてから今に至るまで36年間など、これらの芸術品を考えると、ほんのわずかのピリオドに過ぎない。
夕方、店先にイワシを並べるレストランを見つけ、中に入った。
今夜の夕食はイワシの塩焼きである。皿には大きめのイワシが5匹乗って出てくる。これにビネガーとオリーブ油をかけて食べる。
「いわゆる南蛮漬けってこの事なのかなぁ」などと思いながら一人食べる。なかなかいける。
テレビではヨーロッパチャンピオンシップの開幕第一戦であるポルトガル対ギリシャが始まった。
前半はこのレストランで、そして後半はホテルの部屋で、買っておいたチェリーを食べながら観賞した。結果はポルトガルが2対0で負けるという予想に反した事態に。素人ながらにもポルトガルのディフェンスに問題があるような気がした。かのフィーゴも年齢的衰えは逆らえないのか、後半はあまり画面に映らなくなった。
どうしても欲しかった僕の応援するイタリアの青のTシャツを手に入れた。
短い滞在中にイタリアの試合を直に応援することは出来なかったが、通常であれば決勝トーナメントに残るであろう実力、帰路のバンコクではこのTシャツを着て、テレビにて応援しようと思った。(イタリアはその後、残念ながら予選落ちすることになる。ギリシャがチャンピオンになる。サッカーとは分からないものだ。)
リスボンは本当に心和む街であった。ここであれば生活してみたいと思える街である。
翌朝、日が昇る前にタクシーに乗り込み空港へ向かった。
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