バナナを買って、小雨のサイゴンから1泊2日でカンボジアのプノンペンを目指すことにした。
サイゴンから陸路、バスで6時間の旅となる。片道11ドル。
カンボジアに入国するためにはビザが必要なのだが、どうやら国境に行けばその場で買えるようだ。買えなければ国境の街に1泊して引き返せばよい。
そんな軽い気持ちでバスに乗った。
バスにはバックパッカーの欧米人若者グループ、地元の人々多数、僕と同じく個人の旅行者がぽつりぽつり。日本人は僕だけである。
これまで訪れたことのないプノンペンの街を見てみたいという気持ちは勿論だが、それ以上にこのバスでの道中で車窓からみれるベトナムとカンボジアの田舎風景とそこで暮らす人々を見てみたい。
これが陸路でプノンペンを目指すことにした最も大きな理由であった。
そしてアジアの国境を飛行機ではなく陸路で跨ぎたい。
郊外にでるとすぐに田園風景となった。
しかし時たま少し大きめの町に訪れる。そしてまた田園風景。
とても美しい。
しかしバックパッカーの若者たちはただただくだらないことを話すか寝るか、周りの景色など一向にかまっていない様子。彼らの旅は見聞するということではなく、とにかくパスポートにハンコを押して歩くというものになっているような気がしてならなかった。
まぁ、僕の気のせいであれば良いのだが…。
2時間半ほど走ると、ベトナムとカンボジアとの国境にやってきた。
Here I am on the border!!!
国境の風景が、まるでかつて亡き友・SAWADAが架けた国境の橋の辺りの風景と同じだったので驚いた。
カンボジアのイミグレーションとタイのイミグレーションの建物が本当によく似ていたのだ。
あの国境の橋を訪れた数年前の記憶と今がかなりオーバーラップして少しだけ悲しい過去を一人思い出したりした。
申請のための写真もなにも準備していなかったのだが、25ドルでビザを発行してくれた。
かなりゆるい国境である。
その国境をカンボジアに越えてすぐの長屋のようなお店で20分ほど休憩があった。
国境カンボジアサイドには、中国資本によるカジノ&ホテルが乱立していた。社会主義国であるベトナムからやってきてカジノを楽しんで帰る人がいるということだろう。
しかしこんなにカジノがあっても全くもってガラガラ状態であった。やっていけるのであろうか…と素朴な疑問。
そんなことを考えながら店端で立っていると蒸したトウモロコシを売る女性が寄ってきたので値段を聞くと20円と云うではないか。買うことにした。
なにも調味料もつけずただただ蒸しただけのトウモロコシだが、とても甘かった。
店先に佇む可愛い男の子がいたのでカメラを向けるとすごく恥ずかしがった。パチリ!
更にしばらくバスで走ると、また少し拓けたような町になりバスは止まった。窓より前を見ると大河である。
メコン河である。
このサイゴンからプノンペンへの路はメコン河で一度分断されているのであった。
そしてこのメコン河をバスごとフェリーに乗り込み渡るのであった。
この泥水の河でも釣りをしている人も見かけられた。
カンボジアに入ると、ベトナムよりさらに貧困度合が増したように感じたのは気のせいかもしれないが、道の両サイドに軒をだしてるお店がちらほら。
普段は農家で収穫した野菜を売っているようだ。すごい速度でバスは走るので何を売っているかはよくわからない。
きっとお金のいらない生活なんだろうなとふと思った。
バスがプノンペンに到着した時、僕はある意味がっかりしたと書くのが正しいのかもしれない。
首都とはいへ、とてつもなく地方都市という感じなのであった。サイゴンの印象が強すぎたためかもしれない。きっとそうだと思う。
とりあえずIPHONEで予約を入れたホテルを目指し歩き始めたのだが、街にほとんどタクシーがないからであろうバイクやトゥクトゥクの客引きが凄い。凄すぎる!
5メートル間隔で寄ってきて話しかけるのだ。お前、オレが目の前で他の客引きを断っているのを見ていなかったのか?という具合なのである。
だんだんゲンナリ、どんどん辟易って感じである。無視していることすら頭にくるほどである。
ついでにココのきてついにお腹が壊れた。
ダブルパンチである。
あの客引きが嫌なのでホテルから出たくない気にすらなってきたのだが、せっかくプノンペンにきてるのにそれは勿体ないと心に鞭を売って市内を歩き回った。
セントラルマーケット、ロイヤルパレス等々…。
しかし、やはりサイゴンのほうが活気があって、それに勝てない。
確か沢木耕太郎が著書・『深夜特急』にて香港が余りに刺激的すぎて、その後に訪れたバンコクがイマイチだったと書いていたことを思い出した。
なんだかそんな感じかもしれない。
歩き疲れて足腰がかなり痛かったので、プノンペンでもマッサージを受けることに。1時間45分で900円也。サイゴンで受けたマッサージの更に上を行く技術であった。
おばちゃんの握力がかなり強くて、ちと痛かった…。
お腹がダメなので、歩いている時に見つけた日本食居酒屋へ。
なんでこんな料理がこんな高いの?っていう感じ。
その後、BARで飲んだ。そのBARのオーナーのOさんは日本人でプノンペンにて働くようになり27年とのこと。プノンペンでは最も永い日本人であった。日本食レストラン(上記とは別)も経営されている。カウンターでしばらく話した。
カンボジアは貧しい国だけど、食糧自給率がほぼ100%なので、お金がないという意味では貧しいが、生活は豊かで餓死することはありえないとOさん曰く。
なるほどそういう考え方もある。
イオンもプノンペンに展開を決めており、これから日本よりたくさんの投資家がやってくるであろう。
そうなったときこの街は、いやここの人々はどう変わるのであろうか…。
酔ったBARの帰りにホテルの前の屋台で焼きそばを頼み、カンボジアビールでこの日を締めた。
翌朝、バスまでの時間はまた街をぶらぶらと。
セントラルマーケットにてせっかくなので釣りの時に使えばいいと思い、お土産として6ドルのデジタル時計を購入したのだが、日本に帰国するまでに壊れてしまった。
なってこった…。
お昼、カンボジア炒飯を食べてホーチミンへ戻るバスに飛び乗った。
やはり旅の陸路での移動は日中移動が鉄則とつくづく痛感したプノンペンへの旅であった~
サイゴンから陸路、バスで6時間の旅となる。片道11ドル。
カンボジアに入国するためにはビザが必要なのだが、どうやら国境に行けばその場で買えるようだ。買えなければ国境の街に1泊して引き返せばよい。
そんな軽い気持ちでバスに乗った。
バスにはバックパッカーの欧米人若者グループ、地元の人々多数、僕と同じく個人の旅行者がぽつりぽつり。日本人は僕だけである。
これまで訪れたことのないプノンペンの街を見てみたいという気持ちは勿論だが、それ以上にこのバスでの道中で車窓からみれるベトナムとカンボジアの田舎風景とそこで暮らす人々を見てみたい。
これが陸路でプノンペンを目指すことにした最も大きな理由であった。
そしてアジアの国境を飛行機ではなく陸路で跨ぎたい。
郊外にでるとすぐに田園風景となった。
しかし時たま少し大きめの町に訪れる。そしてまた田園風景。
とても美しい。
しかしバックパッカーの若者たちはただただくだらないことを話すか寝るか、周りの景色など一向にかまっていない様子。彼らの旅は見聞するということではなく、とにかくパスポートにハンコを押して歩くというものになっているような気がしてならなかった。
まぁ、僕の気のせいであれば良いのだが…。
2時間半ほど走ると、ベトナムとカンボジアとの国境にやってきた。
Here I am on the border!!!
国境の風景が、まるでかつて亡き友・SAWADAが架けた国境の橋の辺りの風景と同じだったので驚いた。
カンボジアのイミグレーションとタイのイミグレーションの建物が本当によく似ていたのだ。
あの国境の橋を訪れた数年前の記憶と今がかなりオーバーラップして少しだけ悲しい過去を一人思い出したりした。
申請のための写真もなにも準備していなかったのだが、25ドルでビザを発行してくれた。
かなりゆるい国境である。
その国境をカンボジアに越えてすぐの長屋のようなお店で20分ほど休憩があった。
国境カンボジアサイドには、中国資本によるカジノ&ホテルが乱立していた。社会主義国であるベトナムからやってきてカジノを楽しんで帰る人がいるということだろう。
しかしこんなにカジノがあっても全くもってガラガラ状態であった。やっていけるのであろうか…と素朴な疑問。
そんなことを考えながら店端で立っていると蒸したトウモロコシを売る女性が寄ってきたので値段を聞くと20円と云うではないか。買うことにした。
なにも調味料もつけずただただ蒸しただけのトウモロコシだが、とても甘かった。
店先に佇む可愛い男の子がいたのでカメラを向けるとすごく恥ずかしがった。パチリ!
更にしばらくバスで走ると、また少し拓けたような町になりバスは止まった。窓より前を見ると大河である。
メコン河である。
このサイゴンからプノンペンへの路はメコン河で一度分断されているのであった。
そしてこのメコン河をバスごとフェリーに乗り込み渡るのであった。
この泥水の河でも釣りをしている人も見かけられた。
カンボジアに入ると、ベトナムよりさらに貧困度合が増したように感じたのは気のせいかもしれないが、道の両サイドに軒をだしてるお店がちらほら。
普段は農家で収穫した野菜を売っているようだ。すごい速度でバスは走るので何を売っているかはよくわからない。
きっとお金のいらない生活なんだろうなとふと思った。
バスがプノンペンに到着した時、僕はある意味がっかりしたと書くのが正しいのかもしれない。
首都とはいへ、とてつもなく地方都市という感じなのであった。サイゴンの印象が強すぎたためかもしれない。きっとそうだと思う。
とりあえずIPHONEで予約を入れたホテルを目指し歩き始めたのだが、街にほとんどタクシーがないからであろうバイクやトゥクトゥクの客引きが凄い。凄すぎる!
5メートル間隔で寄ってきて話しかけるのだ。お前、オレが目の前で他の客引きを断っているのを見ていなかったのか?という具合なのである。
だんだんゲンナリ、どんどん辟易って感じである。無視していることすら頭にくるほどである。
ついでにココのきてついにお腹が壊れた。
ダブルパンチである。
あの客引きが嫌なのでホテルから出たくない気にすらなってきたのだが、せっかくプノンペンにきてるのにそれは勿体ないと心に鞭を売って市内を歩き回った。
セントラルマーケット、ロイヤルパレス等々…。
しかし、やはりサイゴンのほうが活気があって、それに勝てない。
確か沢木耕太郎が著書・『深夜特急』にて香港が余りに刺激的すぎて、その後に訪れたバンコクがイマイチだったと書いていたことを思い出した。
なんだかそんな感じかもしれない。
歩き疲れて足腰がかなり痛かったので、プノンペンでもマッサージを受けることに。1時間45分で900円也。サイゴンで受けたマッサージの更に上を行く技術であった。
おばちゃんの握力がかなり強くて、ちと痛かった…。
お腹がダメなので、歩いている時に見つけた日本食居酒屋へ。
なんでこんな料理がこんな高いの?っていう感じ。
その後、BARで飲んだ。そのBARのオーナーのOさんは日本人でプノンペンにて働くようになり27年とのこと。プノンペンでは最も永い日本人であった。日本食レストラン(上記とは別)も経営されている。カウンターでしばらく話した。
カンボジアは貧しい国だけど、食糧自給率がほぼ100%なので、お金がないという意味では貧しいが、生活は豊かで餓死することはありえないとOさん曰く。
なるほどそういう考え方もある。
イオンもプノンペンに展開を決めており、これから日本よりたくさんの投資家がやってくるであろう。
そうなったときこの街は、いやここの人々はどう変わるのであろうか…。
酔ったBARの帰りにホテルの前の屋台で焼きそばを頼み、カンボジアビールでこの日を締めた。
翌朝、バスまでの時間はまた街をぶらぶらと。
セントラルマーケットにてせっかくなので釣りの時に使えばいいと思い、お土産として6ドルのデジタル時計を購入したのだが、日本に帰国するまでに壊れてしまった。
なってこった…。
お昼、カンボジア炒飯を食べてホーチミンへ戻るバスに飛び乗った。
やはり旅の陸路での移動は日中移動が鉄則とつくづく痛感したプノンペンへの旅であった~
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