画面が汚いだの、視聴率が低いだの、マイナスな話題の多かった2012年の大河が終わりましたね。
元来大河ドラマは嫌いな私ですが、今回は珍しく見てしまいました。何故見たかというと、知ってそうで知らない平家の話をドラマを通して知るにはいいチャンスかなと思ったから。
この「知ってそうで知らない」というところが、災いしたとも言われているけど、視聴率が低かったのも平家の呪いでしょうか??
貴族の時代から武士の時代への大きな歴史の転換期。現在も大きな歴史の転換期ということで、この時代にふさわしいテーマと、ドラマが始まる前には期待が寄せられました。
794年に現在の京都に都が移されてから200年以上続いた貴族の世。長く続けば腐敗するというのが政治の常。そんな腐敗しきった世を変えようと今までになかった新しい国造りを夢見てチャレンジするという物語なのでありますが、清盛 vs 後白河法皇の関係を中心に据えて、ドラマは構成されていましたね。
「遊びをせんとや・・・」という歌が何度となく登場するこの脚本。それが面白くもあり、難解でもあったなあと思うのであります。
映像が汚いという感想を口にした兵庫県知事。ただ、泥まみれになって奮闘する武士と、都で歌をよんでのうのうと暮らす貴族の対比を象徴的に描きたかったのだろうと思えば、納得のいくところです。
それを汚いと批評してしまうとは、ちょっと思慮が足りなかったのでは?
しかし、清盛ゆかりの地を訪ねて神戸へやってくる観光客はかなり多かったように感じました。
もし、福原の都がもっと長く続いていれば、神戸という街は今とはぜんぜん別物になっていたことでしょう。
ドラマ終盤で描かれたように、無理やり福原へ安徳天皇をつれてきたものの、この地に本格的な都が築かれることはなかった。
その後も現在の神戸あたりは港として存続し続けたものの、中核となることはなかったので、現在の神戸のメンタリティは明治の時代になって国際港として再整備が行われ、多くの外国人がおとづれるようになってから形成されたものだと思われる。
全国各地に平家の落人村が多数存在するのは、当時平家にかかわっていた人々の多さを今に受け継ぐものでしょう。
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