超ハイスピード。借りて2日で読破だ。
副題に『恨(ハン)の国・韓国から見た「受け身文化」の国・日本』とある。
恨を晴らすためにあらゆる努力をするのが韓国の文化で、恨があっても水に流すのが日本の文化・・・というような事が、筆者の体験と分析を交えていろいろな角度から書かれていた。
「水に流す文化」という言い回しを私は以前からよく使っている。
その意味は、呉女史の言っている意味と少し違っている。
日本は雨が多く洪水も多い。何かを大切に保存しようとしても、ひとたび洪水に見舞われたら流れてしまう。
例えば遷宮という習慣。伊勢神宮では20年に一度、社殿を建て替える。ヨーロッパの教会などは建てるのに100年以上かかったとかいう例もあるほどなのに、簡単に建てては20年に一度建替える文化なんだから不思議。天皇のお葬式のときも、それ用に急ごしらえの建物を建ててそこを会場に行なわれるしね。
また、ワインやウイスキーには何十年も保存して(ねかして)から飲むという習慣があるし、乾物だって中国では何十年ものなんてゆうのを有り難く使ったりするが、日本では基本的に日本酒も1年のうちに飲むし、乾物も新しいものを使う。沖縄の古酒は別として・・・。
水に流れてしまっては何にもならないから、さっさと消費するとともに、水に流れたらまた作り直すし、水に流してゼロにするという感覚も持ち合わせているのが日本の文化だと私は以前からとなえていた。
この「水に流す文化」という言い回しが呉女史の本に書かれていたことは、何だか嬉しい気がした。
「受け身文化」ということについて、自然とのかかわり、自然への畏敬の念、自然のものを神とするシャーマニズム的な価値観が根底にあることを呉女史は語っている。そんな日本に比べて儒教的な思想が強く支配する韓国は違うのだと。なるほどである。
「成るようにしか成らないさ」というのが日本人を支配している感覚で、「成るように努力すべき」というのが韓国人を支配している感覚だそうだ。感覚という言い方は相応しくないかもしれないけど。
「成るようにしか成らない」という裏には「無理やりやっても、ろくなことは無い。結局はしかるべきところにおさまる」という価値観がある。確かに私もそのような価値観を持っている。だからといって努力しないわけではないんだけど。
そして、状況に合わせる=受け身の巧みさを備えていた日本は、国際化してもそれなりに状況に合わせることが自然にできたのだそうだ。んーそうかも知れない。
日本というのは東の端の不思議な島国なんだろうね。
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