<ファン・ジニ>、フェミニズム装った軽薄な英雄主義
彼女は傲慢だ。 職業は「卑しい」妓生なのに女王よりきびしい威厳で男たちを働かせる。 世の中はただ彼女ファン・ジニを中心にだけ回る。
KBSドラマ <ファン・ジニ>(脚本ユン・ソンジュ、演出キム・チョルギュ)を見ていると、ファン・ジニ(ハ・ジウォン)はなるほど時代の不条理と闘争する女戦士のようだ。 彼女の気概は天を突き刺して自尊心と「節操」は竹よりもまっすぐだ。 驚くべきことに官妓ながら今まで「生娘」だ。 理由はただ一つ、初恋のウンホに対する節操を守る理由とのことだ。 16回でははじめてキム・ジョンファン(キム・ジェウォン)と非常に苦労して併合に成功した。
@BRI@身分では一介のに過ぎないファン・ジニの「自由魂」を周囲の皆が尊重して大切にし、損ねようとするけれど、ケガするか気をもんで心を焦がすかだ。 あらゆる妓女中唯一彼女にだけ、そば仕えを拒否する自由が与えられる。 さらにファン・ジニの非常に高い節操のために周囲の女たちのからだは代りに利用されても当然だという風だ。 ファン・ジニに拒絶されたピョクケス(リュ・テジュン)がダンシミ(イ・イネ)を抱く過程は妓女の「からだ」にも階位があるということを証明する。 主人公ジニのために他のすべての女たちのからだは小道具に転落した。
ファン・ジニの堂々とした態度は国王にも劣らなくて、キョバンの他の多くの妓女は全員ファン・ジニのための小間使いあるいは脇役のように見える。 地上紙上の男たちは彼女を愛するためにだけ存在する。 彼女を一度見さえすれば身分も位もあずかり知ることではなくなるなど、ギリシャ神話の'サイレン'ですらさらに悩殺的ではない。
しかし妓女が時代の通念と慣習を無視したまま、単独で独也青々(孤高な節操を誇ること)とすることができるという発想は21世紀の浅はかな英雄主義だけのことだ。 妓女の体は即ち万人の体であることを痛烈に悟った「時代の先覚者」ファン・ジニはドラマが中盤を越えた以後にも登場しない。 ファン・ジニが当代に名をはせた理由は高い文学的成就のためだった。 ファン・ジニの偉大さはそれこそ観念の成就であった。
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