宮中料理なのか、漢方薬を入れたのか、そうではないかではない。 大長今(テジャングム)で得ることができる食べ物に対する話題を、単純に食べてみることができない食べ物、大事な食べ物を作って食べるという貴族文化の享有次元にだけ終わるようにするならば私たちの食べ物文化が軽視されているという現実をさらに見過ごすことになる。 この文で話そうと思う部分はこれだ。
私たちは毎日毎日欠かさず食べなければならない、私たちの生命を維持するのに最も重要で基本の食べ物ですら軽視されている。 私たちは私たちが食べる食物に何が入っているかもしれなくて、果たして私たちのからだにいかなる影響があるか知っているだろうか。 社会の複雑性で私たちは多くの食べ物を金で買っていながら、その食べ物に対してあまりにも知らない。 これが食べ物に対する軽視だ。
また、作る人々はたいてい買って食べる人を考えて作るのではない。 利潤だけを望んで作る仕事が多く、食べる人を軽視する場合が多い。 こういう場合いくら宮中料理がブームにのるといっても軽視した食べ物文化を考えなければ宮中料理も人々を軽視するだろう。
「大長今(テジャングム)」本質に流れる宮中料理の基本の指向するところは、食べる人を考える遅さと誠意の食べ物だ。 そうではないものはいくら大事な材料や薬剤を使っても警戒が必要だ。 表面だけ執着する伝統宮中料理に対する関心や宮中料理を単純にマーケティング技法とするのは副次的で、主客が転倒された。
私たちが食べて飲む食文化がそれを食べる人を中心に動かなければならないという事実が重要だ。 そして皆が自身が食べる食べ物に対して軽視-客体でなく主体にならなければならないという点が大長今(テジャングム)で得る意味でないかと思う。 軽視されなかった食べ物文化ならば大事な材料や漢方薬を入れなくても健康にするという話だ。
出処:「大長今(テジャングム)」式宮中料理熱風警戒してこそ-オーマイニュース
***************************
「木に学べ」でもそうなんですが、時間をかける、真心をこめるといった人間が大切にしてきたことが経済原理の中でともすればお荷物扱いされることへの警戒を示唆する記事です。
大量生産されることで安く買うことができ、多くの人たちがより豊かな生活をできるのは嬉しい事ですが、度を過ぎると不幸になる。今は度を過ぎた状態に突入した時代だということですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます