えんぴつでなぞり書きをしていることは記事にしました。その教材は「徒然草」や「奥の細道」など、古典と言われているものです。そのような古典が今日まで読み継がれているのは、そこに、長い年月を経ても色あせない今日的な意味が含まれているからだと思います。

先日、チョットした思いつきで、名前だけは知っているけど読んだことのない「風姿花伝」を注文しました。ご存知のように、「風姿花伝」は能の大成者・世阿弥による芸術論であり、人生訓と言えることが書かれている本です。
もとは自分の子孫のために書いた本が後に公になり、今日まで読み継がれているのは、そこに今日的な意味があるからですが、なぞり書きを始めたらいきなり下記のような、もっとも今日的な意味のある文章に出逢いました。

この別紙の口伝、芸当において、家の大事、一代一人の相伝なり。たとひ一子たりといふとも、無器量の者には伝うべからず。
「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもて人とす」といへり。これ、万徳了達の妙花を極むる所なるべし。
この別紙口伝は、芸能において、家の重大事であり、一代で一人だけに相伝する秘事である。たとえ自分の子どもだとしても、その器でない者には伝えてはならない。
「能の家とは血統だけでつながるものではない。その芸を伝えてこそ、家といえるのである。その家に生まれただけでは、芸を継ぐ人とはいえない。芸道を知ってこそ、その芸を継ぐ人といえるのである。別紙口伝こそは、あらゆる徳を備えた最高の芸を極めるための指針である。

家、家にあらず。継ぐをもて家とす
政治家の家に生まれたから政治家ではない。その器を備えてこそ政治家。そのように読んだら、600年前に書かれた文章がもっとも今日的な意味を持ってくるのではないでしょうか。
人、人にあらず。知るをもて人とす
その器でない人を要職にすえるからおかしなことになる。これはどこかの国の首相のことを言っているのではありません。二世政治家のことが批判されることがありますが、政治家だけの問題でもありません。
社長の家に生まれたから社長と言うように、安易に考えることなく、何かを子どもに伝えるためには、親の方にも並々ならぬ覚悟が求められると言えます。
そのように考えると、この本はもっとも今日的で、万人向けのものだと思われます。良い本に出逢ってチョッとだけ嬉しい気分です。

先日、チョットした思いつきで、名前だけは知っているけど読んだことのない「風姿花伝」を注文しました。ご存知のように、「風姿花伝」は能の大成者・世阿弥による芸術論であり、人生訓と言えることが書かれている本です。
もとは自分の子孫のために書いた本が後に公になり、今日まで読み継がれているのは、そこに今日的な意味があるからですが、なぞり書きを始めたらいきなり下記のような、もっとも今日的な意味のある文章に出逢いました。

この別紙の口伝、芸当において、家の大事、一代一人の相伝なり。たとひ一子たりといふとも、無器量の者には伝うべからず。
「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもて人とす」といへり。これ、万徳了達の妙花を極むる所なるべし。
この別紙口伝は、芸能において、家の重大事であり、一代で一人だけに相伝する秘事である。たとえ自分の子どもだとしても、その器でない者には伝えてはならない。
「能の家とは血統だけでつながるものではない。その芸を伝えてこそ、家といえるのである。その家に生まれただけでは、芸を継ぐ人とはいえない。芸道を知ってこそ、その芸を継ぐ人といえるのである。別紙口伝こそは、あらゆる徳を備えた最高の芸を極めるための指針である。

家、家にあらず。継ぐをもて家とす
政治家の家に生まれたから政治家ではない。その器を備えてこそ政治家。そのように読んだら、600年前に書かれた文章がもっとも今日的な意味を持ってくるのではないでしょうか。
人、人にあらず。知るをもて人とす
その器でない人を要職にすえるからおかしなことになる。これはどこかの国の首相のことを言っているのではありません。二世政治家のことが批判されることがありますが、政治家だけの問題でもありません。
社長の家に生まれたから社長と言うように、安易に考えることなく、何かを子どもに伝えるためには、親の方にも並々ならぬ覚悟が求められると言えます。
そのように考えると、この本はもっとも今日的で、万人向けのものだと思われます。良い本に出逢ってチョッとだけ嬉しい気分です。