
この本を読んでいます。著者は文豪幸田露伴のお孫さん、育ちの良さを感じさせる文章が並んでいます。
このような本は速読するものではないと思い、ゆっくりと読み進めています。
ところで、書名の手持ち時間ですが、タカ長も自分の手持ち時間は少なくなっていることを実感するようになりました。

将棋にたとえたら、持ち時間が無くなって、長考することが出来なくて早打ちしている感じの毎日になっているようです。
行きつけの散髪屋さんはタカ長の子ども世代の人ですが、それでも持ち時間を意識していて、毎日ダラダラ生きる気になれない、と言っていました。若いのにシッカリとした考えを持っていると感心したものです。
永田町の方ではセンセイがたが醜態をさらしていますが、そしてこれから「信頼回復に努める」と言っておられるようですが、そのセンセイ方は無限の持ち時間があると考えておられるのでしょうか?
持ち時間など考えることもないから、守銭奴のように裏金づくりに励むことになるのでしょうね。

誰にも自分の持ち時間は分かりませんが、タカ長の持ち時間が少なくなっていることは実感しています。
そのためでしょうか、裏山以外の山を歩くときは、これが「今生の別れ」のつもりで歩くようになりました。同級生たちとの食事会も、次回があると言う保証はないので、その日その時の食事会を精いっぱい楽しむようにしています。
そのような山歩き、気がついてみれば、回数的には昨年以上のペースになっています。その数字は結果でしかありませんが、とにかく自分の持ち時間を大切に生きたいと考えるようになりました。