
昨日紹介したこの本を読んで思うことです。
育ちの良い文章、と書きましたが、そんなことは当たり前のこと、著者は文豪幸田露伴のお孫さんなのです。そして、そこに書かれている著者の思い出はタカ長のような田舎のビンボー人とは異質のものです。

タカ長の思い出と一緒にしてはいけないのですが、そもそもわが家にお菓子を持ったお客様が来ると言うような思い出がタカ長にはありません。また、菓子箱を持ってどこかに行った思い出もありません。
しかし、この著者のところにはお菓子を持って来るお客様もあれば、お菓子を持ってどこかへ行った思い出もあります。そのお菓子を選ぶために、近くの老舗から御用聞きの人が来ていたとか。
当たり前のことですが、この著者とタカ長はまったく異質の世界で育ったと言うことです。そのため、タカ長に抜群の記憶力と筆力があったとしても、このような育ちの良い文章は書くことが出来ませんね。

そのようなタカ長の貴重な思い出です。
町の方からMさんと言うおじさんが自転車で行商に来ていました。ある時、母がそのおじさんにふかし芋をあげました。当時は食べるものも無かった時代です。だから、おじさんはよほど嬉しかったのでしょう、大きくもない芋を両手で持って、拝むような感じで美味しそうに食べていました。おじさんの目には光るものがあったような、、、、、、、。
自分の親が人に喜ばれることをしたことが分かったのでしょうか、その光景を何か崇高なものを見るような感じで見ていたことを鮮明に記憶しています。食べるもののない時代でしたが、あの時は、「人にあげたら自分の家のものが少なくなる」と言うようなことはまったく思いませんでした。あの時はタカ長の心にも仏様が住んでいたのかも分かりませんね。


川本町で撮ったイズモコバイモの写真ですが、気に入るものがありません。この程度のものです。
でも、来年も元気ならこの程度の写真を撮りに行くつもりです。
イズモコバイモの自生地を世話されている谷戸地区の皆さまも高齢になっていて、ご苦労も多いようですが、この自然が末永く残されてゆくよう願っています。