「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.8.16

2013-08-16 23:14:07 | 仏教
茨城県のほうの住職。30代前半くらいだろうか。
最初に、僧侶のほうからおねがい。
話を聞きながらうなずいてほしいという。
一人にしてほしくないらしい。
珍しいパターン。

いつものように仏典の引用から始まったので、
硬い話になるのではないかと警戒したが、そんな心配はいらなかった。

あの大震災のときの話をもちだしてきた。
茨城では震度6強。
車で信号待ちをしていたときのことだったという。
...人の興味がありそうなところから入った。
親戚に東北のおじがいて、このとき、おじは、
今まで価値があると思っていたものが
価値がないように思えた。体ひとつ残った。
価値とは、名誉とか、お金とか、地位とか。

命の意味を問わずに生きているのではないだろうか。
価値というからの中に生きているのではないだろうか。
迷いの中にいるのではないだろうか。

この大震災の少し後、
北海道の旭川の神居(かむい)というところにあるお寺に
法話をしに行った時の話。
旭川駅行のバスに乗ったつもりだった。
時間になっても着かないので運転手に確認した。
すると、違うバスに乗ったことに気づいた。
自分では正しいと思って進んできた道だったが、
実際には迷っていた。

自分だけの価値判断で、進んでしまっているのではないか。
また、価値を求めるが故に、
手段と目的がすりかわってしまっているのではないだろうか。

命の意味は、・・・
南無阿弥陀仏の六文字。命の意味を教えてくれる。
父と母がいて自分がいる。また、その先祖がいて自分がいる。
一如(いちにょ)に支えられて生きている。
阿弥陀さんのおかげで、命が光り輝いている。

この僧侶も夫婦喧嘩をする。
自分のものさしで測る=自分の価値。自分のものさしを相手に
渡そうとする。・・・うまくいかない。


僧侶自身の話。
実家がお寺であったが、高3のとき、父に、「つがないよ」と告げる。
父・・・しかたなく納得。大学をめざし、東京のほうで
浪人二年。その後、縁があって、関西の龍谷大学へ。
大学卒業近くなり、仏教系の大学でもあったが、
再び、「つがないからね」。

そして、関西の一般企業へ就職。
・・・しかし、仕事がうまくいかない。怒られてばかり。
辞めたいとも思ったが、お寺を継がないで飛び出した自分を思うと・・・。

そんなある日のこと、突然、父が会社に現れた。
父は、今日で息子は会社を辞めます。・・・

実は、この僧侶のつれあいが、このままだと持たないと、
父に告げていたらしい。

すぐに荷物をまとめ、新幹線で東京へ。
そして、実家の茨城へ。
その間、父とは一言もしゃべらず。

実家に着くと、母が正座して出迎えてくれていた。
そして、母は自分を抱きしめた。おかえり、、、。
父は、「おまえはそのままでいいから、生きろよ。」・・・

阿弥陀さんの存在の近いところに
自分を置いてくれている父と母。うれしかった。

早口で、メモをとる手が追いつかなかったが、
久しぶりに感動できたいい法話だった。


最後に、如来の心を表しているのではという多田みちたろう
という人の詩を紹介して、法話は終了となった。
時間もおしてきていて、詩を書き留める余裕がなかったが、
・・・一部・・・

ふるさとをはなれて人は都会にでてきた。
都会の中で自分を見失った。
そして、ふるさとへもどり・・・・





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