「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.8.9

2013-08-09 23:19:02 | 仏教
群馬のほうの住職。

『歎異抄』(たんにしょう)他の解説。
たんにしょうは、浄土真宗の仏典。

あみださんにおまかせするとき、・・・
往生するとき。

法然、ぜんどう大師は、
念仏で浄土へ行きましょう・・・と説いた。

親鸞の息子が、関東へ。
息子は、自分は親鸞に浄土真宗の教えといわれるものの
他に別の教義を特別に教えてもらっていると、周りの
僧侶に話す。これをうけ、真実を知りたく、
関東の僧侶が、関西にいる親鸞のもとに・・・という騒動も。

そんなことがあり、親鸞は、自分の息子をかんどう。

小乗仏教では、さとりをひらいた人は、一人とされる。
したがって、スリランカ、タイなどの小乗仏教が
盛んな地では、仏像も1種類(?)。

大乗仏教では、さとりをひらいた人は、一人ではない。
これが、仏像もたくさん種類がある(?)・・・につながる(?)。

近年、テーラワーダと言われる小乗仏教が
日本にも入ってきている。
小乗では、実際にブッタが説いたという「仏説」は
ないというが、大乗では違う・・・。

(浄土に参らせていただくというのは、
 よく聞くが、浄土に生まれるという表現は
 どういう意図からそういっているのだろう)

念仏をどのくらい唱えれば浄土へ行けるのだろう
という議論もかつて僧侶の中にはあった。
善人でも悪人でも無条件で浄土へ行けるということから
念仏は、浄土へいく条件ではない?・・・

1.念仏さえすれば浄土へ行けると考えている人
2.念仏を唱えない人
1,と2.は、自力の人。

あみださんの働きに、おりにふれ、縁にふれ、
生活の中で、自然に念仏する。
これが他力で、これが、歎異抄の教えの中心。
仏教は他力なり、というのが浄土真宗の教え。




■率直な印象
話の内容が難しい。浄土真宗の仏典に
日頃から慣れ親しんでいる人ならともかく・・・難しい。

大学で仏典の講義を聞いておいる雰囲気。

仏教について論文をだしているらしく、
やっぱり、そんなところからも学問的な説明に
なる傾向にある。

話が面白いか否かと言われれば、おもしろくない。

話に「落ち」がない。・・・まあ別に
落ちはなかったら、どうだ・・・というわけではないが。





■先週のおばさん
今日も、法話の帰り、先週と同じ時間に
新富町駅の上のほうにあるコンビニの前に行ってみた。
ホームレス風のおばさんはいなかった。

夜になってもこれだけ暑い日だと、
暑くてたまらない。
ホームレスの人たちは、たまらないだろうなと思う。
地下鉄のエリアにもぐって、少しでも、
暑い思いをしなくてもよいようにしているのかもしれない。




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