通常は、本堂は公開されていないが、特別公開されていた。
このお寺の歴史:
あるお寺がなくなり、さら地の状態から、
袋中という浄土宗の僧侶が檀王法林寺を開いた。
袋中上人は、ここへ来る前、琉球で数年生活しており
琉球王とも親交があった。
琉球はやがて、薩摩の侵攻を受け、江戸幕府に組み込まれる
ようになった。琉球王は、江戸のぼり(参勤交代)を
しなければならないようになった。
この江戸のぼりの途中で、琉球王は京都のこのお寺に
立ち寄り、袋中上人と再会。このときに、琉球王から
送られた品々が、堂内に飾られていた。(大きなものでは
たんす、クバの葉で作ったせんす、器、そして袋中上人を
描いた掛け軸など)
袋中上人は、琉球をなつかしんでいたのか、
拝殿の柱には、いろんな動物が描かれている中、
沖縄でよく見る雰囲気のシーサーが木彫りで彫られている。
堂内でなく、お堂の屋根もシーサーのようなものが
屋根瓦の上にもある。
袋中上人が、今日の沖縄のエイサーのきっかけを
作った人物といわれている。
で、昨日は、沖縄のエイサー(へしきやエイサー)が
このお寺で、奉納のエイサーをしたという。
今日は、エイサーはなく、残念な思いをした。
(昨日来ておけばよかったのに・・・)
へしきやエイサーといっても、沖縄からきたのではなく、
大阪在住の沖縄県人の人のエイサーだったようだ。
法林寺の二代目の住職は、「だんのう」さんと言われ
人々に親しまれたという。
仏像としては、特筆する仏はない。
袋中上人像、二代目の僧侶の像などが展示。
学生のボランティアが、上で書いたようなことを
説明してくれた。
ただ、エイサーの部分の説明はちょっと違うと
思っていたが、つっこみは入れなかった。
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