歌人・辰巳泰子の公式ブログ

2019年4月1日以降、こちらが公式ページとなります。旧の公式ホームページはプロバイダのサービスが終了します。

伝統詩形に生きる

2012-07-09 07:47:04 | 日常
金曜デモに違和感。
主催者発表の15万人、20万人集まったという数字にも。

集まった人らは、善意やとおもう。
しかし、そんなにまでの数字、数えられるはずないねんから、あるがまま、「数えようにも数えきれないほどの人々の善意が集まった」で、ええやない。
それを、わざわざ、水増しして発表するのは、どうして。

反原発は、まさに、自身が世の中に端居するのもかまわないで、粛々と、二十年、言い続けてきた人のあること。
その人々に、幟を下げてこいというのは……。

原水禁の活動は、もっとずっと、昔からあります。
わたしがここでいう、二十年というカウントは、東西冷戦終結をみて以降の意。

東西の冷戦が終結し、少しずつ、「核兵器、いらない」って、言いやすくなってきたよね。
わたしはずっと、三鷹にいるけど、小規模人数で反原発デモ、続けている人たち、います。
講師業ですから、子供らを教えている最中、彼らは、通り過ぎていく。
シュプレヒコール、かすかに聴こえくる。
夜業の傍ら、お疲れ様と、心で唱えつづけてきました。
あの人たちだって、仕事が終わって、集まっているんだよ。
ずっと、ずっとな、としつき。

3・11からこちら、その昔ッからの、小さな反原発デモの集合と解散を、偶然、まのあたりにしました。
リーダーは、60歳になるかならないかの小柄な女の人でしたよ。
集合のときは幟を上げる前に「よろしくお願いします」、解散のときは幟を下げてから、警備のお巡りさんに、「お疲れ様でした」と、ぴょこんと挨拶しておられました。

それは、編集された動画ではなく、わたし自身が、まのあたりにした、ささやかなお辞儀でした。

彼らは、金曜デモに、幟を捨てて駆けつけたかもしれない。

だけど、ずっと活動しつづけていた人たちから、学ぶつもりのない民主主義って。
組織犯罪集団を、排除したい気持ちはわかるけれど、あの人たち、とても、そうは思われない。

振り返れば、1970年代終わりごろから、1983年にかけて、原水禁が、「原発黒書」を発行してる。
真宗大谷派にも、反原発の会が、以前から、あったかと。
原水禁は、思想色、政治色、宗教色など排除しようとして、結局は、分裂してる。
(原水禁については、まのあたりでなく伝聞なので、違っていたら、教えてください)

時流に乗って、数さえ集まればいいと、思わない。
伝統詩形に生きる。
この目にした、あの、ささやかなお辞儀を、大切に想いつづけたい。



金魚草。
五月の花ですけれど……。
雨に濡れ、咲き残る。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする