定家が、十体の構想につまずいていたとします。
途中から別の誰かが「定家十体」に干渉して加筆したとしても、『毎月抄』でわざわざ言及しているのだから、こだわりはあったはず。
またそれに『毎月抄』は、手紙として書かれた実作の手引きです。
この書簡には、鬼拉の体を含む和歌の体のそれぞれと、万葉調を真似て詠むことへの言及が同時にあって、定家にとり、和歌の十体は、鑑賞ではなく実作を念頭に置いた構想であることが明らかでしょう。
鑑賞ではなく実作を念頭に置く。すると、どう違うのか。
実作しない人には、まったくわからないかもしれません。
私が「鬼拉」という言葉に触れたときに思ったのは、やはり『古今和歌集』と差別化することが意識されたであろうということでした。『古今和歌集』では、和歌は「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」るものなのです。『古今和歌集』の時代は戦乱を避けて外交をとざしましたが、新古今の時代は、戦乱に明け暮れていました。『古今和歌集』の「鬼」は、自然界の精霊のようなものです。しかし、定家の用いた「鬼拉」という言葉のなかの「鬼」は、その意味ではまったく通じません。定家の時代では、中古の名残があって、「鬼」という言葉には、恐ろしげな意味を含まない超常的存在の意味も残っています。(ここで『鬼の研究』を援用できます。)しかし、「鬼を拉ぐ」というからには、その「鬼」は、恐ろしく強大な悪でなければ、「鬼を拉ぐ」という行為に真善美が成り立ちません。これは、和歌の体として提唱されたものの一つなのですから、真善美でなければなりません。
さて、そこで。オニとは逸脱者であるとして、社会規範自体、変化するものである以上、それが絶対的逸脱者ではあり得ない。このことは、いつ誰がオニとされても不思議でないことを意味しています。私が、世間の押しくら饅頭からはみ出したヒトがオニにされるとする所以です。
『平家物語』に「禿」という章段があります。清盛が政権を握り、恐怖政治をおこなっていた頃、反逆者はいないか、監視の体制を敷いていたことがわかります。このようななかで、何人もの公家が捕われ、拷問され、処刑されました。平和な世の中にいるときに、鬼さんばなしは、自分事ではありませんね。しかし、俊成から定家の時代は、すなわち新古今の確立に至るまでの時代は、自分が反逆者とされてしまうかもしれないという恐怖が、生活感情の底に、常に流れていたでしょう。私は、このことを、「鬼拉の体」なる体が登場する背景に、あった気がしてなりません。反逆者とされ捕われる恐怖が、「鬼」という言葉をもった体を、およそふさわしくない和歌の場に、具現させたのではないでしょうか。
つまり、この時代には、古今集の時代にも、また古今集以後にも公家をここまでに震撼させたことのない特異な恐怖の感情を、和歌の「こころ」としていかに扱うかが、ひそかな課題となっていたのではないでしょうか。
次に、少し振り返って、絶対的逸脱、ということについて考えてみます。
途中から別の誰かが「定家十体」に干渉して加筆したとしても、『毎月抄』でわざわざ言及しているのだから、こだわりはあったはず。
またそれに『毎月抄』は、手紙として書かれた実作の手引きです。
この書簡には、鬼拉の体を含む和歌の体のそれぞれと、万葉調を真似て詠むことへの言及が同時にあって、定家にとり、和歌の十体は、鑑賞ではなく実作を念頭に置いた構想であることが明らかでしょう。
鑑賞ではなく実作を念頭に置く。すると、どう違うのか。
実作しない人には、まったくわからないかもしれません。
私が「鬼拉」という言葉に触れたときに思ったのは、やはり『古今和歌集』と差別化することが意識されたであろうということでした。『古今和歌集』では、和歌は「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」るものなのです。『古今和歌集』の時代は戦乱を避けて外交をとざしましたが、新古今の時代は、戦乱に明け暮れていました。『古今和歌集』の「鬼」は、自然界の精霊のようなものです。しかし、定家の用いた「鬼拉」という言葉のなかの「鬼」は、その意味ではまったく通じません。定家の時代では、中古の名残があって、「鬼」という言葉には、恐ろしげな意味を含まない超常的存在の意味も残っています。(ここで『鬼の研究』を援用できます。)しかし、「鬼を拉ぐ」というからには、その「鬼」は、恐ろしく強大な悪でなければ、「鬼を拉ぐ」という行為に真善美が成り立ちません。これは、和歌の体として提唱されたものの一つなのですから、真善美でなければなりません。
さて、そこで。オニとは逸脱者であるとして、社会規範自体、変化するものである以上、それが絶対的逸脱者ではあり得ない。このことは、いつ誰がオニとされても不思議でないことを意味しています。私が、世間の押しくら饅頭からはみ出したヒトがオニにされるとする所以です。
『平家物語』に「禿」という章段があります。清盛が政権を握り、恐怖政治をおこなっていた頃、反逆者はいないか、監視の体制を敷いていたことがわかります。このようななかで、何人もの公家が捕われ、拷問され、処刑されました。平和な世の中にいるときに、鬼さんばなしは、自分事ではありませんね。しかし、俊成から定家の時代は、すなわち新古今の確立に至るまでの時代は、自分が反逆者とされてしまうかもしれないという恐怖が、生活感情の底に、常に流れていたでしょう。私は、このことを、「鬼拉の体」なる体が登場する背景に、あった気がしてなりません。反逆者とされ捕われる恐怖が、「鬼」という言葉をもった体を、およそふさわしくない和歌の場に、具現させたのではないでしょうか。
つまり、この時代には、古今集の時代にも、また古今集以後にも公家をここまでに震撼させたことのない特異な恐怖の感情を、和歌の「こころ」としていかに扱うかが、ひそかな課題となっていたのではないでしょうか。
次に、少し振り返って、絶対的逸脱、ということについて考えてみます。