早く両親を失いながらも、関係者からの救援や養護に助けられ、順調に成人し妻も得た頼朝の人生は、鎌倉に入り、源氏の棟梁ひいては武家の棟梁として御家人たちの期待を強く意識するに従い、影を帯びて来る。何の権力基盤ももたない流人の座から、一躍数万の兵を動かすことができる源氏総帥の立場に成り、衰退した平氏に替わって朝廷権力と政治的に対峙する身になった頼朝の精神状態が、狷介孤高に傾いたであろうことは理解できる。 . . . 本文を読む
源頼朝は肉親との縁が薄い人だったが、その前半生は人に恵まれ、命の危機を三たび救われている。運の強い人だった。平氏の専制支配を受けていた東国武士団の願いが、頼朝の身を護る力となって働いていたのだろうか?〈平治の乱〉で平清盛との戦いに敗れた父〈義朝〉は、僅かな家の子郎党と共に都を後にした。東国へ落ち延びる途中、頼朝は父の一行とはぐれ平氏に捕らえられた。京に連行され、死罪になるところだったが、清盛の義母 . . . 本文を読む
春を直前に控えたこの酷寒の季節になると、ひと昔以上前に幾度か花を見せてもらいに訪れた〈市内天竜区佐久間町浦川〉に所在する個人のお宅を想う。それは、その方のお宅の裏山(敷地内)に自生するセツブンソウの花を、中日新聞が記事にしたことに始まる。当時の〈浦川集落〉の地内には、アズマイチゲやキクザキイチゲの群生地があり、私は以前から観賞に度々訪れていて現地の地理には明るかった。記事を読んだ2月初めの数日後、 . . . 本文を読む
20日が投票日の静岡県知事選、当日に所用があったので、期日前投票をするため、会場の市役所本庁へ行った。本庁の建物は、敷地が旧城内三の丸跡とニの丸跡に懸かって所在する。投票所は往時の三ノ丸側に当たるのかなどと考えながら、投票を了えた。投票の後、折角だから、久しぶりに城内を散策してみようと、庁舎の裏口から出て本丸に向かった。幸運にもちょうど其処へ、市の歴史ガイドを務めるボランティアの . . . 本文を読む
徳川家康が築城した浜松城の西北の一隅に「作左山(さくざやま)」と呼ばれた小高地があった。あったと言うのは、現在は浜松中部学園(小・中)の校地の中に、所在位置を推定するしかないからである。元々、家康が城を築く前は、三方原台地上の小さなコブ(突起)に過ぎなかったのだが、城の東北側の低地から見れば標高差約30mの山(丘)に見えたのだろう。築城後、そこには兵糧蔵・煙硝蔵が置かれ、搦め手の名残口を押さえる . . . 本文を読む