
日本の為に身命を賭して戦った兵士を日本の首相が参拝出来ない。この事自体が靖国大問題と言えるのですが、何故毎日でも参拝を、という声に応えられないのか。
また何故韓国からのテロの標的にされるのかを今回は考えてみたいと思います。
この二点の問題はその原因を歴史認識の相違に見る事が出来るのです。
つまり、韓国との慰安婦問題、中国の南京事件の問題、国内では東京裁判史観という日中韓三つ巴状態となって靖国に集約されるのです。
左派言論界では靖国神社を軍国主義の象徴と捉え排除する傾向がありますが、これを核にして東京裁判史観が成立するように、靖国神社とは対立構造にあります。
これに中韓の歴史認識問題が便乗し靖国と敵対するのです。

【日本の現状】
日本の保守党と言えるのは自民党と中山代表の日本のこころを大切にする党ですがその自民党でさえ親中派親韓派が目立ち、日本のこころを大切にする党に至っては参議院に僅か3名という状態です
政界では首の皮一枚で細々とかなり劣勢と言えます。しかしながら情報をネットから得られるようになった国民は田母神フィーバーでも解るように
その保守的欲求を安倍政権に託しました。
要するに東京裁判史観の真っ向にあり政治によって存続の危機に瀕した靖国神社を国民が擁護するために安倍氏を再選させたと言ってもいいのです。
案の定新聞、メディア、文化人はこぞって反安倍を旗頭に野党までもが手を組み法案阻止、安倍下ろしと学生までも巻き込んで保守の抑え込みをはかります。現在は慰安婦問題で保守派支持層と安倍政権の切り離しを狙う動きさえ見て取れます。

【靖国の何が問題なのか】
ではこの三者にとって靖国の何が問題なのでしょうか。この問題の解決こそが首相の参拝、天皇陛下の御親拝へと道を開く最大の近道かも知れません。
これも靖国批判なのですが良く言われることが遊就館は大東亜戦争を"肯定"している、"賛美"している、"聖戦"と捉えているということです。
つまり靖国神社自体も同じ意味合いの中にあるとの批判です。この肯定、賛美、聖戦という少し捉え難い抽象的表現は戦後の反省から多くの日本人によってある種自主規制的に使われた表現で行き過ぎた反省から作られたのでしょう。
ですから祀られる英霊の行為を"否定""罵倒""侵略"
などと感じる事自体日本人として間違った考え方であると感じます。
この先の大戦の戦没者がその殆どを占める靖国神社は敗戦と東京裁判によって一部の軍人が戦争犯罪人でありその他の戦没者はその犠牲者であるとしました。
その犠牲者と戦争犯罪人が同じ靖国に合祀されている。しかも軍国主義、国家神道の顕彰施設に首相が公人として参拝する違和感などと批判的評価につながるのです。
当時としては最高の弔いであり、軍神になれる約束であったのです。負けたからといって、政教分離になったからといって、危険思想、と止めるのでしょうか。
遺族にとっても少なくとも家族が望んで靖国に祀られたかったのです。その名誉を敗戦で汚してよいのでしょうか。
そう考えれば靖国神社の意義、参拝の意味の誇り高き行為は日本が日本である限り存続させるのは日本人として当然の行為なのです。何も問題がない事がおわかりになれたでしょう。
三者の侵略と植民地支配をしてきた軍と戦争責任者を祀る行為は間違いなく自分達の歴史認識と照らし合わせての問題なのです。

【御親拝の途絶えた訳】
天皇陛下の御親拝が途絶えた訳は昭和天皇が合祀に不快感を御感じになられたからとの通説は間違いであることは何度も書いてきました。
それでは途絶えた真の理由や目的を簡単に推察します。昭和天皇の御親拝は昭和50年までは続いており、その前日まで国会では日本社会党の質問で
私的、公的参拝が問題視され首相の参拝と共に憲法20条に抵触するとの意見がだされていました。
この言いがかりのような政治問題化が中断の原因であり、与党や宮内庁ですらその原因を昭和天皇の私的な感情と誤魔化してそのままなのです。
ではそのままにしているのはどのような理由からなのでしょう。三者の靖国神社に対する憎悪が皇室に向かわないようにする為でしょうか。年2回の勅使参向で目立たないように、言い訳的に誤魔化そうとしているのか、ここに戦没したら陛下によって靖国に祀られる約束の歴史認識的矛盾が起こるのです。
どちらにせよ陛下は私的参拝が許されないのに、私的発言を理由に御親拝を中断するはずがないのです。

【正しい歴史認識とは】
少なくとも太平洋戦争との呼称すら未だ大東亜戦争と呼べない東京裁判史観です。確かに戦後70年平和な暮らしを営むことができましたが、それは米国の保護の下、米国の歴史観を受け入れてのことです。
残念ながらこの東京裁判史観の中で靖国神社は唯一の生き証人として極めて邪魔な存在であり、平和な状態が続くことで新しい国家による追悼施設を建設をなどと声があがるのはこの東京裁判史観による真の近現代史の封じ込めの為です。
70年間続いた歴史観の侵略戦争と植民地支配を認めることのリスクは敗戦よりも高いことを慰安婦問題で身をもって知ったでしょう。
このままでは246万という膨大な数の犠牲が本当の意味で無駄になる気がしてなりません。