
「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」と言えり。
福澤諭吉と思われる方が多いと思いますが、
実は福澤諭吉もトーマスジェファーソンの独立宣言文からの引用でありました。
更に言えばこの独立宣言文の続きに「人の世は平等ではない」とあり、トーマス自身も200人以上の奴隷を持つ農場主でした。
福澤諭吉も生まれた時は平等であるが差がつくのはどれだけ勉強したかである。つまり天は人を平等に作るけど、人の世の中は平等にはできていない。そして、その差は学問をしたか、しなかったかによって生まれていると諭したのです。
実にアメリカらしい平等の捉え方です。平等とは勝ち取るもの、そう聞こえてきます。
100年前、アジアの小国の黄色い猿がトーマスの言葉に感銘を受け互角に戦い肩を並べる大国にのし上がるなどと誰も予想だにしなかったでしょう。
日本の保守とはその伝統を重んじて守っていく、急激な変化を好まない、要するに日本人のその大部分が保守であり江戸期が265年も続くのがその証とも言えるでしょう。
太平洋戦争もその日本軍の抵抗に甚大なる被害を出し苦戦したからこその徹底した占領政策と贖罪意識の植え付けに力を注いだのでしょう。
マッカーサーも後に認めた自衛の為の戦いは侵略戦争となり、GHQのみならず多くの日本人が敗戦を反省し、軍国主義を憎みました。
敗戦を憎むのでなく多大なる戦死者と被害を出した結果を一部の戦犯や軍部、軍属、その体制を加害者として憎悪の対象としたのです。
国際法の元で戦争はまだ犯罪行為ではない時代にアジア諸国の欧米植民地支配からの独立と人種差別撤廃を八紘一宇の名の下に欧米と命懸けで戦った。
この事が敗戦によって悉く塗り替えられました。
侵略戦争と植民地支配で近隣諸国に多大なる被害をもたらし、本土決戦を覚悟した国民は敵国が指名した責任者を戦争犯罪者に仕立て上げ、戦陣訓を悪魔のバイブルとし東條をヒトラーにしてその被害を国に押し付けぬけぬけと被害者として歴史を修正したのです。
この戦争を賞賛し、特攻を始めとする若者の死を美化してはならない。その間違った精神的な支柱である靖国神社は国家の為に尊い命を厭わない人間を量産する洗脳装置であったのだと。
この生き残った日本人の度を超えた反省は明治維新迄遡り政府を未熟で野蛮な政府の印象へと全て根刮ぎ変換していったのです。
天皇陛下を西欧の王制に無理矢理当てはめ国家神道を危険な宗教にして大日本帝国のほぼ全てを否定してきたのです。
この反省の歴史認識に漬け込み侵略戦争と植民地支配の代償を南京と慰安婦という捏造に近い歴史の賠償という形で日本に向けています。
この両国は戦後の日中平和友好条約と日韓基本条約の精神を根本から揺るがす行為ともとれる歴史認識問題を外交政策としていますが、両国に付け入る隙を与えてしまったのは日本人自身の歴史観とも言える問題なのです。
現在保守政党と呼べるのは「日本のこころを大切にする党」と自民党では安倍政権のみとなってしまいました。
日本にとって大事なのは保守政党の復活と盛り上がりだと思います。
戦後否定してきた戦前の日本の神道、靖国神社、
日本軍、の中に 忘れてはならないものがある気がしてならないのです。