天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

安重根?

2016-01-06 19:29:22 | 歴史
日韓関係史それも韓国側の視点からの歴史を鵜呑みにする事は極めて問題がある。このことは日本側の視点にも少なからず影響を与え2000年以降に意図的に改竄されている事象も少なくない。

東京裁判史観はその生き過ぎた反省から中韓に近隣諸国条項として1982年(昭和57年)に宮沢首相が教科書の基準を日本側に不利となるような基準を決めたことが起点となっている。

中国に於いては満州事変から支那事変へと以降する事変も日中戦争と呼ばれ、侵略戦争と位置付けてしまった。

韓国に対しての日韓併合も植民地支配と日本側にとって不利になる歴史修正を許した。このことが自国の正しい歴史観を認識することの障壁となっている。

慰安婦ひとつとっても解釈は真逆で従軍慰安婦などと不正確な名称は韓国側の女子挺身隊との言い訳的な呼称まで許す。

更に過去に遡る秀吉の朝鮮征伐までもが朝鮮侵略と書き直す教科書まで出版されている。

反省、謝罪が不必要とは思わないが、明らかにその被害者的立場を利用して著しく誇張された歴史を歴史認識問題として使う為に日韓共同で創り上げた。

韓国は歴史認識の対日政策で中国と共闘しているがハルピンに安重根の記念館を建設することを二国間で約束し、完成してから1年が経過するが12万人の来館者を記録したそうだ。

殺人犯で死刑判決を受けた者を韓国独立の英雄とする反日政策は枚挙に暇がない。

嘘も100回吐けば本当になる国民性は際限なく被害を拡大させれば補償額も上がると信じているのか、国ぐるみで反日に余念がない。




安重根の伊藤博文暗殺の理由


1.十年前、伊藤の指揮で韓国王妃を殺害。

2.五年前、伊藤は兵力で五カ条の条約を締結、それは韓国にとって非常に不利益な箇条。

3.三年前、伊藤が締結した十二ケ条の条約は、いずれも韓国にとり軍隊上非常に不利益な事柄。

4.伊藤は強いて韓国皇帝の廃位を図った。

5.韓国の兵隊は伊藤によって解散させられた。

6.条約締結につき、韓国民が憤り義兵が起りましたが、その関係上、伊藤は韓国の良民を多数殺させた。

7.韓国の政治、その他の権利を奪った。

8.韓国の学校に用いた良好な教科書を伊藤の指示のもとに焼却。

9,韓国人民に新聞の購読を禁じた。

10.韓国官吏に金を与へ、韓国民になにも知らせず第一銀行券を発行。

11.韓国民の負担に帰すべき国債二千三百万円を募り、これを韓国民に知らせずに、その金は官吏間において勝手に処分したと聞き、土地を収奪したと聞いた。これは韓国民にとって非常に不利益。

12.伊藤は東洋の平和を攪乱した。その訳は、日露戦争当時より、東洋平和維持といいつつ韓皇帝を廃し、当初の宣言とは反対の結果に至り、韓国民二千万が憤慨。

13.韓国が望んでいたにもかかわらず、伊藤は韓国保護に名を借り、韓国政府の一部の者と通じ、韓国に不利益な施設を致した。

14.四十二年前、現日本皇帝の御父君を伊藤が殺害。その事は全韓国民が知る。

15.伊藤は、韓国民が憤慨しているにもかかわらず日本皇帝や、その他世界各国に対し、韓国は無事だと言って欺いている。




写真は伊藤と李 垠(り ぎん)で伊藤が扶育。

韓国に赴任する日本人教師達の前で

「徹頭徹尾誠実と親切とをもって児童を教育し裏表があってはならないこと」

「宗教は韓国民の自由でありあれこれ評論しないこと」

「日本人教師は余暇を用いて韓国語を学ぶこと」を訓諭した。

また明治40年(1907年)7月、京城(ソウル)にて「日本は韓国を合併するの必要なし。韓国は自治を要す。」と演説していた。

伊藤博文を暗殺しておいて韓国民全ての代表のような言い回しはどれも伊藤博文とは関連が薄い。
伊藤は併合反対であった。

裁判では私的な怨恨とされた判決は正しいものだと思う。


1は閔妃殺害のことだが2004年に熊本出身の元教師ら20人によって「明成皇后を考える会」が結成された。

同会が2005年に行った謝罪は、日本のドキュメンタリー番組『テレメンタリー』で「114年目の氷解~反日感情の原点、閔妃暗殺を見つめた5年~」とのタイトルで放送された。

2005年5月10日、制作プロデューサーのチョン・スウンの要請で、会員10人とともに日本側の実行犯とされる子孫が入国し、皇后が埋葬されている洪陵を訪れ、土下座して謝罪をしている姿を韓国の報道機関が伝えた。

墓地を訪れていた閔妃の曾孫と面会したが、謝罪の言葉を受けた閔妃の曾孫は「謝罪を受ける、受けないは、自分がすることではない。政府レベルの謝罪がなければならない」と二国間の問題であると述べた。




安重根は死刑判決を受けて刑死したが安俊生という息子がいてソウルに建立された博文寺で伊藤博文の息子と和解の握手を交わした。

そのため、戦後の日帝の協力者として日陰者の生活を強いられ、孫はアメリカに移住しCHINA系の女性と結婚。

韓国は安重根の末裔を精神的に追い詰め追い出した、つまり韓国にとって必要なのは常に反日ということだ。

安重根の思想信条は関係ない、日本の総理を殺害した事自体が英雄なのだ。日本人でも安重根に心酔するものがいるらしいが、是非伊藤博文に変えてもらいたい。