
沖縄県の翁長知事によると、日本は沖縄を犠牲にしたという。
まずこの翁長知事の発言に対し沖縄が日本ではないとする様な表現があるが、ウチナンチューとヤマトンチュー、つまり沖縄と本土を明確に区別する思考は未だに本土に捨て石にされたとする被害者的立場から抜け出ていない証しでもある。
つまり、アメリカからの占領期間の違いが未だに日本政府との交渉事に影響を与えている。
過去に於いて日本軍は菊水作戦まで行い、戦艦大和をも犠牲にして沖縄を死守しようとしてきた、県民もまた日本軍と共に勇敢に立ち向かったもののアメリカの手中に落ちた。
70年以上経過してもまだ"捨て石"が通用するのは
本土復帰までの20年の差の問題だけであろうか。
2012年にNHKが実施した、沖縄県民を対象にした世論調査では、本土復帰についてと肯定的な回答(「非常によかった」「まあよかった」)が合わせて78%だった。
翁長知事の思惑には支那、朝鮮の日本政府に対する姿勢の類似性を感じる。
要するに過去の日本政府、日本軍からの被害を現日本政府へ向けているという共通項である。
この事は支那朝鮮が日本に向ける歴史認識問題ということであり、「侵略戦争と植民地支配をした」とする濡れ衣だ。
この言わば架空の歴史認識問題は沖縄の「日本に捨て石にされた、見捨てられた」と同じ次元の歴史認識問題であり、今現在の日本政府に突き付けられた諸刃の剣でもある。
では、日本軍は侵略戦争と植民地支配と沖縄を見捨てたのだろうか、河野、村山談話を踏襲する限り、つまり現政府が東京裁判史観である限り、歴史認識問題という集りの構造は継承されていく。
現政府は歴史的判断を避けているし、東京裁判史観でもある。保守である安倍政権でさえここまでが限界である事も承知の上で政治的バランスは米国との安定的安保体制を維持しつつ中韓との健全な外交と北への牽制を行いつつ改憲との課題へと粛々と舵を切らなければならない。
翁長知事の辺野古の反対と"捨て石"は与党政権にとって頭の痛い問題でもあり、米軍軍属の県民被害もそれに油を注ぐ事となっている。
沖縄問題は基地問題や知事問題ではなく、結局のところその根底にある歴史認識問題が事の行末を左右する。
朝日の影響を色濃く伝える沖縄二誌は日本軍の命令で集団自決を行ったという歴史認識が"捨て石"
に通ずる沖縄の感情を創り出し基地問題に派生する。そこに朝日の左翼思想が加勢して翁長知事を生み出した。
オバマ大統領の広島訪問さえも掻き消されるオール沖縄の声を鎮めるのは本土の人間の歴史認識に大きく影響されると確信する。