天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

天下為公

2016-06-25 08:33:24 | 歴史


天下為公とは天下をもって公と為す。
中国の古典『礼記』にある言葉ですが、
天下は権力者の私物ではなく、公の為のものであるという政治を志す者の目標とされます。

麻生太郎グループ為公会の名前の由来ともなった言葉です。



孫文が揮毫したものです。


大正11年に日本の広東駐在武官となった佐々木到一陸軍中将は、当時、中国国民党の本拠であった広東で国民党について研究し、その要人たちと交わり、後年に国民党通と言われます。孫文の要請を受け、軍事顧問となり、人民服のデザインまで考案しています。

孫文を憂国の志士であり、公人としての大抱負はあるが、個人的の野心はない人であると分析し、今でこそ、台湾で「国父」とされ、大陸でも「近代革命の父」とされ、日本でも有名ですが、当時は軍閥が割拠する分裂状態の中国で、多すぎる政治勢力の一つに過ぎませんでした。

大正14年孫文の死後その遺言でもある昭和2年に中国統一のため北伐を開始します。国民党革命軍に従軍した佐々木によれば、いずれ国民党が中国を統一すると確信したので、日本軍と革命軍の間の精神的つながりを模索していたようですが国民党は混迷して行きます。

秦以来万里の長城の内側を国土とした漢民族の国を再建する訴えは、五族共和というすべての民族を中華民族に同化させ、融合させるという思想に変貌して行きます。

後に満州国でも五族協和のスローガンを掲げますが結果論的には日本も軍閥の割拠する一政治勢力に巻き込まれることとなり、佐々木もその渦中に巻き込まれていきます。

佐々木は南京陥落までの過程を下記のように記録し、南京事件論争で必ず引用され虐殺側の証明として使われますが、天下為公という理想が武力衝突によって脆くも破壊され中国の民族同化政策を正当化するプロパガンダに利用されているに過ぎません。

中国の日本への主権侵害と間接侵略は佐々木が存命なら必ずや警鐘を鳴らしたことでしょう。

"天下非為共産党"

【佐々木到一南京攻略戦時の戦闘記録】
 〈 この日(注、13日)、 我支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は1万数千に上り、
その外、装甲車が江上に撃滅したもの並に各部隊の俘虜を合算すれば、
我支隊のみにて2万以上の敵 は解決されている筈である。
午後2時ごろ、概して掃蕩を終わって背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進、和 平 門 に至る。その後、俘虜ぞくぞく投降し来り数千に達す。
激昂せる兵は上官の制止をきかばこそ、片はしより殺戮する。多数戦友の流血と10日間の辛惨を顧みれば、
兵隊ならずとも「皆やってしまへ」といいたくなる。 白米はもはや1粒もなし、城内にはあるだろうが、
俘虜に食わせるものの持ち合わせなんか我軍には無い筈だった。
和平門の城壁に登って大元帥閣下の万歳を三唱し奉る。この日天気快晴、金陵城頭到る処旭日旗のへんぼんたるを見て
自然に眼頭が熱くなった。中央門外に舎営、美しき寝台あれど寝具なし、南京米を捜し出してくる。(今夜はゆっくり睡られるぞ)  〉