昨日は沖縄の"慰霊の日"だったことはブログでも記した。
沖縄全戦没者追悼式に於ける翁長知事の平和宣言全文と安倍首相挨拶全文をここでは比較掲載し、それぞれについて論評を加えたい。
【翁長知事】
太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に、71年目の夏が巡ってまいりました。
沖縄を襲った史上まれにみる熾烈な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、二十数万人余りの尊い命を奪い去りました。
私たち県民が身をもって体験した想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるものではありません。
この悲惨な戦争の体験こそが、平和を希求する沖縄の心の原点であります。
戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0・6%にすぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。
広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。
沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。
日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。
真の意味での平和の礎を築くためにも、"日米両政府"に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。
特に、普天間飛行場の辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。
一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。
このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。
私たちは、万国津梁(しんりょう)の鐘に刻まれているように、かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります。
戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で大きな役割を担っているのです。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として、未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組んでいく決意をここに宣言します。
平成28年6月23日
沖縄県知事 翁長雄志
【安倍総理】
「平成28年沖縄全戦没者追悼式」に臨み、沖縄戦において、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、御遺族の方々に、深く哀悼の意を表します。
71年前、ここ沖縄の地は、凄惨な地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、何の罪もない市井の人々、未来ある子供たちが、無残にも犠牲となりました。沖縄の美しい海や自然、豊かな文化が、容赦なく壊されました。平和の礎(いしじ)に刻まれた方々の無念、残された人々の底知れぬ悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を想うとき、ただただ、頭を垂れるほか、なす術がありません。
祖国の行く末を案じ、愛する家族の幸せを願いながら、戦争のために命を落とされた方々。その取り返しのつかない犠牲、そしてその後に沖縄が忍んだ"苦難の歴史"の上に、今、私たちが享受する平和と繁栄があります。今日は、静かに目を閉じて、そのことを嚙みしめ、私たちがどこから来たのか、自らに問う。過去と謙虚に向き合い、平和な世界の実現に向けて不断の努力を続けていく、その誓いを新たにする日であります。
同時に、私たちは、戦後70年以上を経た今もなお、沖縄が大きな基地の負担を背負っている事実を、重く受け止めなければなりません。私たちは、今後とも、国を挙げて、基地負担の軽減に、一つ一つ、取り組んでまいります。
そうした中で、今般、米軍の関係者による卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに、非常に強い憤りを覚えています。米国に対しては、私から、直接、大統領に、日本国民が強い衝撃を受けていることを伝え、強く抗議するとともに、徹底的な再発防止など、厳正な対応を求めました。米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております。国民の命と財産を守る責任を負う、政府として、二度とこうした痛ましい犯罪が起きないよう、対策を早急に講じてまいります。
アジアとの玄関口に位置し、技術革新の新たな拠点でもある沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、現在、飛躍的な発展を遂げつつあります。私たちは、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のため、沖縄の振興に全力で取り組み、明るい未来を切り拓いてまいります。そのことが、御霊にお応えすることになる、私はそのことを確信しております。
結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を心からお祈りし、私の挨拶といたします。
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両者なぞるように全くと言って差し支えない程に同じ内容であるだけにその違いが際立った文章であると言える。
両者に出てくるキーワード"日米両政府"と"苦難の歴史"からもわかるように、翁長知事は基地負担の不条理を強調し、安倍首相は20年間の占領期の差を苦難の歴史と表現した。
翁長知事は冒頭、「貴重な文化遺産のほとんどを破壊」と県民の被害よりも先にあげている。他の都道府県の首長であれば首が飛ぶ程の主客転倒である。つまり沖縄だけが他の都道府県と違う特別な感情、地上戦で負けた"捨て石にされた"との被害者意識を強く持った現われである。
これに答えるかのような安倍首相の「沖縄が忍んだ"苦難の歴史"の上に、今、私たちが享受する平和と繁栄があります。」と基地負担の労いと言える言葉で返している。
つまり安倍首相の挨拶は非の打ち所がないもので沖縄の感情を理解した上で述べられており、翁長知事が中国、韓国と同類に見える程に県知事でありながら琉球王の様な日本政府への視線が被害者を強調する事で滲み出てしまい、県民の感情を政治利用しているととられても仕方のない挨拶であった。
沖縄全戦没者追悼式に於ける翁長知事の平和宣言全文と安倍首相挨拶全文をここでは比較掲載し、それぞれについて論評を加えたい。
【翁長知事】
太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に、71年目の夏が巡ってまいりました。
沖縄を襲った史上まれにみる熾烈な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、二十数万人余りの尊い命を奪い去りました。
私たち県民が身をもって体験した想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるものではありません。
この悲惨な戦争の体験こそが、平和を希求する沖縄の心の原点であります。
戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0・6%にすぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。
広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。
沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。
日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。
真の意味での平和の礎を築くためにも、"日米両政府"に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。
特に、普天間飛行場の辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。
一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。
このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。
私たちは、万国津梁(しんりょう)の鐘に刻まれているように、かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります。
戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で大きな役割を担っているのです。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として、未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組んでいく決意をここに宣言します。
平成28年6月23日
沖縄県知事 翁長雄志
【安倍総理】
「平成28年沖縄全戦没者追悼式」に臨み、沖縄戦において、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、御遺族の方々に、深く哀悼の意を表します。
71年前、ここ沖縄の地は、凄惨な地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、何の罪もない市井の人々、未来ある子供たちが、無残にも犠牲となりました。沖縄の美しい海や自然、豊かな文化が、容赦なく壊されました。平和の礎(いしじ)に刻まれた方々の無念、残された人々の底知れぬ悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を想うとき、ただただ、頭を垂れるほか、なす術がありません。
祖国の行く末を案じ、愛する家族の幸せを願いながら、戦争のために命を落とされた方々。その取り返しのつかない犠牲、そしてその後に沖縄が忍んだ"苦難の歴史"の上に、今、私たちが享受する平和と繁栄があります。今日は、静かに目を閉じて、そのことを嚙みしめ、私たちがどこから来たのか、自らに問う。過去と謙虚に向き合い、平和な世界の実現に向けて不断の努力を続けていく、その誓いを新たにする日であります。
同時に、私たちは、戦後70年以上を経た今もなお、沖縄が大きな基地の負担を背負っている事実を、重く受け止めなければなりません。私たちは、今後とも、国を挙げて、基地負担の軽減に、一つ一つ、取り組んでまいります。
そうした中で、今般、米軍の関係者による卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに、非常に強い憤りを覚えています。米国に対しては、私から、直接、大統領に、日本国民が強い衝撃を受けていることを伝え、強く抗議するとともに、徹底的な再発防止など、厳正な対応を求めました。米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております。国民の命と財産を守る責任を負う、政府として、二度とこうした痛ましい犯罪が起きないよう、対策を早急に講じてまいります。
アジアとの玄関口に位置し、技術革新の新たな拠点でもある沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、現在、飛躍的な発展を遂げつつあります。私たちは、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のため、沖縄の振興に全力で取り組み、明るい未来を切り拓いてまいります。そのことが、御霊にお応えすることになる、私はそのことを確信しております。
結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を心からお祈りし、私の挨拶といたします。
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両者なぞるように全くと言って差し支えない程に同じ内容であるだけにその違いが際立った文章であると言える。
両者に出てくるキーワード"日米両政府"と"苦難の歴史"からもわかるように、翁長知事は基地負担の不条理を強調し、安倍首相は20年間の占領期の差を苦難の歴史と表現した。
翁長知事は冒頭、「貴重な文化遺産のほとんどを破壊」と県民の被害よりも先にあげている。他の都道府県の首長であれば首が飛ぶ程の主客転倒である。つまり沖縄だけが他の都道府県と違う特別な感情、地上戦で負けた"捨て石にされた"との被害者意識を強く持った現われである。
これに答えるかのような安倍首相の「沖縄が忍んだ"苦難の歴史"の上に、今、私たちが享受する平和と繁栄があります。」と基地負担の労いと言える言葉で返している。
つまり安倍首相の挨拶は非の打ち所がないもので沖縄の感情を理解した上で述べられており、翁長知事が中国、韓国と同類に見える程に県知事でありながら琉球王の様な日本政府への視線が被害者を強調する事で滲み出てしまい、県民の感情を政治利用しているととられても仕方のない挨拶であった。