ひと昔前迄は中国3000年の歴史といっていたのに、徐々に4000年や5000年といってその歴史は数十年のうちに膨れ上がり神話まで取り込んで歴史としています。現在では6000年というものまで目にするようになりました。
憲政史家の倉山満氏によれば
「中国の歴史を遡って行くと占領と内ゲバの連続なんです。例えば、清の初代皇帝であるヌルハチは満州人ですし、元のフビライ・ハンはモンゴル人です。彼らは今、中華人民共和国といわれている土地のかなりの部分を支配していた人たちであって、中国人ではありません。もし、彼らを中国人とするならば、日本でいうと戦後に日本にやってきたダグラス・マッカーサーを日本人と見なさいといけないくらいの暴論です。」
と言っています。つまり、中国では無く中国大陸の歴史を全て自国の歴史であると主張する中華人民共和国は1949年10月1日に北京市にて建国された70年にも満たない国であるのです。
正確を期すならば中国67年の歴史です。
中国の歴史を語るうえで中国人という言葉は多数の意味を持つ広範な概念上の呼称であり、それこそ日本の関東軍は一時期中国人であったのかもしれません。
このような日本人の錯覚が起きる背景には民族性の相違と日本の明治政府が定めた日本独自の紀元で、1872(明治5)年に明治政府が、神武天皇が即位した年を、記紀(古事記と日本書紀)の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年としたことによるところが強く影響していると感じます。
歴史に詳しい中国人による
「黄帝から数えて4000年強だ。大まかに数えて5000年」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/fd/22e2b577c948ecca572c9e133a4bdd1d.jpg)
「夏王朝の三代から数えれば5000年」
「国際学術学界で議論の的となっている夏王朝を含めても4000年ちょっとだ」
のような主張を目の前にして聞けば6000年も間違いではないと振り上げた拳を降ろしてしまう日本人が多いこともまた事実です。
民族性の違いは先の大戦の結果からも色濃くその確立に少なからず影響を与えているのではないかと推測することも出来ます。
つまり日本人は明治期に世界の一等国を目指し自らの精神的支柱の確立の為に連綿と続く皇統を用いました。敗戦により日本は反省と共に過去の明治期からの全てを否定しました。
戦争を拒絶したように自らの過去、歴史を否定したのです。
要するに過小評価と過大評価の違いで日本人も中国人も嘘をついていることに違いはありません。
民族性を考える場合この嘘のつき方に特徴を見出すことが出来ます。
日本人が嘘をつく場合罪悪感から声は小さくなり、それに伴い態度も小さくなります。かたや中国人は大声を出すことで相手を威嚇し、主張し続けることで正当化するのです。
支那と呼ばず中国と呼べとの主張は支那事変を日中戦争とし、南京30万人は正式な抗議もせずに中国5000年の歴史と言われれば疑いながらも認めてしまう日本人、侵略戦争をしたとの日本人の嘘はその加害的立場からうつむいて認める始末です。
映画ラストエンペラーでは「一万年王朝に乾杯」という 台詞が出てきますが、王朝の正統性を鼓舞する嘘なのでしょう。このように5000年6000年という表現は日本の皇紀2600年に対抗して出てきた数字と考えれば納得できますが、今となっては日本人でさえあまり口にしなくなった皇室の伝統
この面は中国人に見習わなければならないのかもしれません。
憲政史家の倉山満氏によれば
「中国の歴史を遡って行くと占領と内ゲバの連続なんです。例えば、清の初代皇帝であるヌルハチは満州人ですし、元のフビライ・ハンはモンゴル人です。彼らは今、中華人民共和国といわれている土地のかなりの部分を支配していた人たちであって、中国人ではありません。もし、彼らを中国人とするならば、日本でいうと戦後に日本にやってきたダグラス・マッカーサーを日本人と見なさいといけないくらいの暴論です。」
と言っています。つまり、中国では無く中国大陸の歴史を全て自国の歴史であると主張する中華人民共和国は1949年10月1日に北京市にて建国された70年にも満たない国であるのです。
正確を期すならば中国67年の歴史です。
中国の歴史を語るうえで中国人という言葉は多数の意味を持つ広範な概念上の呼称であり、それこそ日本の関東軍は一時期中国人であったのかもしれません。
このような日本人の錯覚が起きる背景には民族性の相違と日本の明治政府が定めた日本独自の紀元で、1872(明治5)年に明治政府が、神武天皇が即位した年を、記紀(古事記と日本書紀)の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年としたことによるところが強く影響していると感じます。
歴史に詳しい中国人による
「黄帝から数えて4000年強だ。大まかに数えて5000年」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/fd/22e2b577c948ecca572c9e133a4bdd1d.jpg)
「夏王朝の三代から数えれば5000年」
「国際学術学界で議論の的となっている夏王朝を含めても4000年ちょっとだ」
のような主張を目の前にして聞けば6000年も間違いではないと振り上げた拳を降ろしてしまう日本人が多いこともまた事実です。
民族性の違いは先の大戦の結果からも色濃くその確立に少なからず影響を与えているのではないかと推測することも出来ます。
つまり日本人は明治期に世界の一等国を目指し自らの精神的支柱の確立の為に連綿と続く皇統を用いました。敗戦により日本は反省と共に過去の明治期からの全てを否定しました。
戦争を拒絶したように自らの過去、歴史を否定したのです。
要するに過小評価と過大評価の違いで日本人も中国人も嘘をついていることに違いはありません。
民族性を考える場合この嘘のつき方に特徴を見出すことが出来ます。
日本人が嘘をつく場合罪悪感から声は小さくなり、それに伴い態度も小さくなります。かたや中国人は大声を出すことで相手を威嚇し、主張し続けることで正当化するのです。
支那と呼ばず中国と呼べとの主張は支那事変を日中戦争とし、南京30万人は正式な抗議もせずに中国5000年の歴史と言われれば疑いながらも認めてしまう日本人、侵略戦争をしたとの日本人の嘘はその加害的立場からうつむいて認める始末です。
映画ラストエンペラーでは「一万年王朝に乾杯」という 台詞が出てきますが、王朝の正統性を鼓舞する嘘なのでしょう。このように5000年6000年という表現は日本の皇紀2600年に対抗して出てきた数字と考えれば納得できますが、今となっては日本人でさえあまり口にしなくなった皇室の伝統
この面は中国人に見習わなければならないのかもしれません。