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第一次内閣で参拝出来ない事を痛恨の極みと表現した安倍晋三内閣総理大臣が、
平成25年12月26日
靖国神社に参拝した。
みんなで参拝する国会議員の会が靖国神社を参拝 春季例大祭を前に 衆参計76人
超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)が20日、東京・九段北の靖国神社を集団で参拝した。
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『尾辻氏は集団参拝後の記者会見で「まさに内憂外患、多事多難なときだ。こういうときだからこそ首相にもお参りいただき、国のために命までささげて逝かれたご英霊に頭(こうべ)を垂れ、その方々に恥じないように国のかじ取りをしていただきたい」と首相の参拝を求めた』と産経新聞が報じた。
極めて当然な尾辻氏のコメントであり、私はこの超党派の議員連盟に関して特段問題にする訳ではないし、寧ろ喜ばしく賛成の立ち位置である。
しかしながら安倍総理は真榊を奉納している。恐らく尾辻氏はメディアの質問に首相が参拝することは当たり前で批判されるいわれはないとの意味で発したのであろうが、報道は"求めた"とあるが会長の真意は不明だろう。
ツイートでは少々きつい言葉で批判したが、その原因が25年の参拝に対しての訴訟である。一審は敗訴が確定したものの、今年控訴審が開廷するのだ。
いくつかのネットで拾った団体のサイトから適当にコピペしたので大まかな概要を把握して頂きたい。
【裁判長に葉書を出そう ! 葉書アクションをともに !!!】
一審判決でみた行政権力にへつらうこの国の司法のありさまに、身体中の力が抜けそうになったみなさま、一審判決が語る言葉の一つひとつに怒りで震えたみなさま、そしていま、一審判決をなんとしてもくつがえしてやろうと考えておられるみなさま、控訴審の裁判長(大段亨)に直接訴えるための葉書をつくりました!
2018年に開始予定の控訴審を、ただじっと待っているわけにはいきません。控訴審を迎えるにあたり、弁護団は一審判決直後からすでにその準備をすすめています。一審では展開できなかった主張や、そのための表現を、探り出し、つくりあげ、駆使していかねばなりません。弁護団の後を追う形で事務局も動き出しています。この葉書アクションはその試みのひとつです。
一審では原告および事務局も、弁護団の頑張りに励まされながら、持てる力をフル回転させて3年間にわたる裁判に挑んできました。意見陳述・口頭弁論、それを支えるための行動や準備、それらのどれをとっても素晴らしく、ひどいのは判決だけでした。
また一審では、「公正な判決を求める署名」も呼びかけました。それには 6708 人の方が応えてくださり、もちろん 6708 筆分の署名は直接行動として裁判所に提出し、裁判長に私たちの主張を伝えてきました。
「2017年12月20日、最高裁判所第二小法廷は安倍首相靖国参拝違憲訴訟において、不当な上告棄却(および上告不受理)決定を下した。
そもそも本件参拝は、憲法第20条に明確に禁止されている国家機関(内閣総理大臣)による宗教活動であることは明らかである。また、違法な参拝を受け入れた靖国神社は戦没者を英霊と意味づけることによって国民に対して英霊につづいて国と天皇のために命をささげることを促す戦争準備施設であり、そのことは、被告靖国神社自身が『靖国神社社憲』などで明確に認めていることである。したがって、本件参拝は原告(控訴人)らの内心の自由形成の権利・回顧祭祀に関する自己決定権などを侵害するのみならず、平和的生存権を侵していることも明らかである。本件参拝は、けっして「人が神社に参拝する行為」一般に解消できるものではない。
1981年4月22日に行われた靖国神社の例大祭に対して愛媛県は5000円の玉ぐし料を支出した。支出だけで、知事が東京に出向き例大祭に参拝したわけではない。この件に対して最高裁大法廷は1997年4月2日疑問の余地のない違憲判決を下した。わずか5000円の支出が憲法第89条が禁止する宗教団体への援助になるとしたのではない。県が靖国神社を特別扱いしたことが知れ渡ることが援助になると判断したのである。首相の参拝となれば、この「援助」は絶大である。このことは、本件を審理した地裁・高裁の裁判官も当然熟知している。すなわち、本件参拝はどう考えても違憲というほかはないことを彼らは熟知している。この、愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決に際して尾崎行信裁判官が「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を以て違憲行為の早目の阻止を示したことや、小泉靖国参拝違憲訴訟福岡地裁判決において亀川清長裁判官が、違憲性の判断回避は行政の違憲行為を放置することになるからとして「当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え」るとしたような憲法擁護の責務を果たす気概は現在の司法には存在しないのだろうか。
本件に対する地裁及び高裁の判決は、それでも屁理屈の理由を付している。最高裁第二小法廷はそれさえしないのである。大阪地裁及び高裁で安倍首相に対する忖度の理屈をこねる役割を担わされた裁判官たちは、最高裁第二小法廷の山本庸幸裁判長らをうらやましく思っていることだろう。そして、どんな明白な証拠が出てきても、忖度を重ね、しらを切り通せば、国税庁長官や最高裁判事に「出世」できると学んだことであろう。
われわれは、こうした日本の行政と司法の現状に怒りを超えて深い悲しみを覚える。
われわれは、この決定を到底容認することはできない。これに対して、強く抗議するとともに、戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。
2017年12月22日
安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団
安倍晋三が首相として靖国神社を参拝したのは、2013年12月26日、第2次安倍内閣発足後1年を経てのことである。彼は、礼装し公用車を使って靖国に向かい、「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書記帳して、正式に昇殿参拝している。靖国側も私人安倍晋三として接遇したわけではない。これを私的参拝だから政教分離則に反しないというのは、黒いカラスを白い鷺と言いはるほどの無理があろう。
要するに、首相としての安倍晋三が靖国という軍国主義を象徴する宗教施設に参拝したことが憲法の政教分離原則に反することは明らかなことなのだ。最高裁は、厳格な政教分離論を排斥して、目的効果基準を編み出したが、この緩やかな基準をもってしても、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、県費からの玉串料支出という形での愛媛県と靖国神社との関わりを、違憲と断じた。しかも、裁判官の意見分布は13対2の圧倒的大差だった。
だから、原告らは勝訴を確信していたか。実はそうではない。問題は、違憲判断にたどり着けるかどうかにあった。その点だけが実質的な争点だったといってよい。喩えて言えば、土俵に上がっての勝負は目に見えていた。問題は、土俵での取り組みができるかどうかだけ。結局は、原告らは土俵に上げてもらえなかったということなのだ。
裁判所とは、違憲・違法な行為があったときに、誰でも駆け込んでその是正を求めることができるところではない。権利の侵害を受け者が、その回復を求めることができるに止まるのだ。その意味では、裁判所は人権の砦ではあっても、必ずしも憲法の砦ではない。たとえ政府に明白な違憲行為があろうとも、そのことによって権利の侵害を受ける者がいなければ、裁判手続を通じての是正はできない。他人の権利侵害での裁判も受け付けてはもらえない。健全なメディアによる健全な世論形成によって、次の選挙で政府をあるいは政策を変えさせることが期待されているのみなのだ。
ことは三権分立の理解にある。「司法の優越」は、司法がオールマイテイであることを意味しない。立法や行政が、国民の権利を侵害するときに限り、その権利侵害を回復する限度で、司法は機能する。とはいえ、具体的事案で、司法が機能する場面であるか否かの判断は、けっして容易ではない。
個人の権利利益の保護を目的とする通常の訴訟(主観訴訟)に対して、例外的に権利侵害を要件としない客観訴訟というものがある。特に、法秩序の適正な維持を目的として訴権が認められたもの。その典型が、地方公共団体の財務会計行為の適正を目的とした住民訴訟である。これは、はじめから立派な土俵が設定されているのだから、違憲判断に踏み込む要件の成否を問題にする必要がない。津地鎮祭訴訟、岩手靖国違憲訴訟、愛媛玉串料違憲訴訟などは、この土俵に上がっての成果だった。
しかし、首相の参拝や、官邸の公用車の管理に関して、住民訴訟の適用があるはずはない。原告として名乗り出る人は、首相安倍晋三の靖国参拝によって、何らかの権利や利益が侵害されたことを主張しなければならない。そのために、原告らが有する「宗教的人格権」や「平和的生存権」が侵害されたという構図を描かなければならない。あるいは、この訴訟では「内心の自由形成の権利」「回顧祭祀に関する自己決定権」の侵害などが主張された。
しかし、大阪地裁も大阪高裁も、これを「原告(控訴人)らの不快感の域を出るものではなく、法的保護に値する利益の侵害とはいえない」と切り捨てられている。
従って、判決は違憲判断を避けただけで、安倍参拝を合憲と判断したわけではない。原告らは、安倍と裁判所を追い詰めたが、体を交わされたのだ。
先に引用した、訴訟団声明中の「本件参拝は、けっして『人が神社に参拝する行為』一般に解消できるものではない。」に触れておきたい。
小泉靖国参拝国家賠償請求訴訟において、最高裁は2006(平成18)年6月、「人が神社に参拝する行為は他人の信仰生活に圧迫、干渉を加えるものではない。このことは内閣総理大臣の参拝でも異ならない」として、損害賠償の対象にはならないと判示した。訴訟団はこれを納得しがたいとしているのだ。外ならぬ内閣総理大臣が、外ならぬ軍国神社靖国に公式に参拝という形での政教分離の破壊行為は、平和や立憲主義に対する極めて具体的で直接的な攻撃というべきものとして、戦没者遺族や宗教者の精神生活・信仰生活の平穏を侵害するものなのだ。
「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」と名付けられたこの訴訟。戦没者の遺族ら765人が原告となって、首相と国、靖国神社を被告として、将来の参拝差し止めと1人1万円の慰謝料の請求をしたもの。最終的に敗れたとはいえ、けっして勝ち目のない訴訟ではなかった。また、この訴訟提起自身が、市民が直接に安倍内閣の憲法破壊行為に異議申し立てをする場の設定として意義あるものと言うべきだろう。
訴訟団声明の末尾には、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する」とある。その軒昂たる意気や良し。
(2017年12月27日)
【センゴネット】
安倍首相は2013年12月26日に靖国神社に参拝した。それに対し、その違憲性を問うと共に、今後の参拝差し止め等を求めて、日本人だけでなく、中国、ドイツ、韓国、香港等の原告633人が、2014年4月21日、東京地裁に提訴した。国家損害賠償請求訴訟で、東京地裁は、2017年4月28日、原告側の主張を一顧だにせず、不当にも、安倍首相の意向に全面的に寄り添った「安倍忖度判決」を下し、裁判は控訴審段階に突入している。
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彼等は小泉総理の時も訴訟で敗れているが、その判決は上記されているように「人が神社に参拝する行為は他人の信仰生活に圧迫、干渉を加えるものではない。このことは内閣総理大臣の参拝でも異ならない」である。
結局のところ最高裁で違憲判決がでているのは愛媛県知事が、戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料5000円を支出したことにつき争われた訴訟のみで、国家が特定の宗教法人に公金をたとえ5000円でも支出することは違憲である訳だ。
つまり彼等は負けるとわかっている訴訟を懲りずに戦没者の遺族ら765人を原告に安倍総理の参拝にも変わらぬトーンで起こしたことになる。
更に彼等は裁判長宛に手紙まで送り付ける手法でその心的被害を強調するのである。したがって、何回も同じ訴訟を繰り返し行うことで、世論が変化するのを強かに待っているのである。
安倍総理の時は恐らく勝てないであろう、しかし安倍総理の後の首相のことまでその確証が保てるであろうか、その勢力は靖国神社のみならず皇室にまで手をかけようとしているのは明らかである。
靖国神社問題は解決したのだろうか、慰安婦問題、南京事件は解決したのであろうか、尾辻会長がそこまで踏まえ、安倍総理の不参拝を容認したうえで発言しているのならよいのであるが。