天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

近衛と昭和天皇の8月15日

2020-01-04 08:36:00 | 歴史





盧溝橋事件に対して事変不拡大派であった石原莞爾の和平交渉の嘆願を拒絶した近衛文麿が昭和12年8月15日に発表した暴支膺懲声明、奇しくもその8年後の昭和20年8月15日昭和天皇の玉音放送で日本国は戦いを終結した。


昭和天皇の近衛文麿に関しての言及が近衛文麿のWikiにある。
政治学者の猪木正道も、近衛と広田弘毅の無責任振りを批判しており、著作を読んだ昭和天皇は「猪木の書いたものは非常に正確である。特に近衛と広田についてはそうだ」と猪木の評価を肯定している。

朝日新聞において12月20日から『近衛公手記』が11回に渡り掲載された。開戦前の日米交渉に自身が果たした役割が語られている。これを読んだ昭和天皇は「近衞は自分にだけ都合の良いことを言っているね」と呆れ気味に語っている。
つまり昭和天皇は近衛を無責任で自己弁護ばかりのお調子者であることを見切っていたのである。

また、自殺の報に接して、高松宮に向かって昭和天皇は「仕方があるまい。近衛は気が弱いから。気の毒をした」と言い、翌年春には側近に、次のような回想を述べている。

「近衛は思想は平和的で、ひたすらそれに向かって邁進せんとしたことは事実だが、彼は自分に対する世間の人気ということを余りに考えすぎた為、事に当たって断行の勇気を欠いたことは、遂に国家を戦争という暗礁に乗り上げさして終い、次に立った東条の最後の努力をもってしてもこれを離礁せしめることが出来なかった」

との的確な印象を述べている。

一方で戦犯指名された近衛は自殺する前夜に次男の勧めで最期の言葉を次のように残している。

「僕は支那事変以来、多くの政治上過誤を犯した。之に対して、深く責任を感じて居るが、所謂戦争犯罪人として、米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪へ難い事である」

昭和天皇の回想のとおり「断行の勇気」の欠落が「政治上の過誤」をうみ、戦争へと突き進んだと言える。

戦争責任を近衛だけに押し付ける気は毛頭無いが、石原莞爾をはじめとする陸軍の暴走ではないことだけははっきりと断言しておく。

この「政治上の過誤」が戦争へと突き進んだ要因ならば、過誤を意図的に起こさせたとも言えるブレーンの朝日新聞出身者、尾崎秀実、風間章の存在を忘れてはならない。

只管平和的であった近衛政権が8月15日に発表した政府声明を次にあげる。

「政府声明」

(八月十五日 午前一時十分発表)

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 帝国夙に東亜永遠の平和を冀念し、日支両国の親善提携に力を效せること久しきに及べり。然るに南京政府は排日抗日を以て国論昂揚と政権強化の具に供し、自国国力の過信と帝国の実力軽視の風潮と相俟ち、更に赤化勢力と苟合(こうがふ)して反日侮日愈々甚しく以て帝国に敵対せんとするの気運を醸成せり。近年幾度か惹起せる不祥事件何れも之に因由せざるなし。今次事変の発端も亦此の如き気勢が其の爆発点を偶々永定河畔に選びたるに過ぎず、通州に於ける神人共に許さざる残虐事件の因由亦茲に発す。更に中南支に於ては支那側の挑戦的行動に起因し帝国臣民の生命財産既に危殆に瀕し、我が居留民は多年営々として建設せる安住の地を涙を呑んで遂に一時撤退するの已むなきに至れり。

 顧みれば事変発生以来屡々声明したる如く、帝国は隠忍に隠忍を重ね事件の不拡大を方針とし、努めて平和的且局地的に処理せんことを企図し、平津地方に於ける支那軍屡次の挑戦及不法行為に対しても、我が支那駐屯軍は交通線の確保及我が居留民保護の為真に已むを得ざる自衛行動に出でたるに過ぎず。而も帝国政府は夙に南京政府に対して挑戦的言動の即時停止と現地解決を妨害せざる様注意を喚起したるにも拘らず、南京政府は我が勧告を聴かざるのみならず、却て益々我方に対し戦備を整へ、厳存の軍事協定を破りて顧みることなく、軍を北上せしめて我が支那駐屯軍を脅威し、又漢口上海其の他に於ては兵を集めて愈々挑戦的態度を露骨にし、上海に於ては遂に我に向つて砲火を開き帝国軍艦に対して爆撃を加ふるに至れり。

 此の如く支那側が帝国を軽侮し不法暴虐至らざるなく全支に亘る我が居留民の生命財産危殆に陥るに及んでは、帝国としては最早隠忍其の限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す為今や断乎たる措置をとるの已むなきに至れり。

 此の如きは東洋平和を念願し日支の共存共栄を翹望する帝国として衷心より遺憾とする所なり。然れども帝国の庶幾する所は日支の提携に在り。之が為支那に於ける排外抗日運動を根絶し今次事変の如き不祥事発生の根因を芟除すると共に日満支三国間の融和提携の実を挙げんとするの外他意なく、固より毫末も領土的意図を有するものにあらず。又支那国民をして抗日に踊らしめつゝある南京政府及国民党の覚醒を促さんとするも、無辜の一般大衆に対しては何等敵意を有するものにあらず且列国権益の尊重には最善の努力を惜まざるべきは言を俟たざる所なり。

この時点で通州事件などの排外抗日運動を隠蔽してきたが腹に据えかねて南京陥落させ、国民党の抗日を根絶するまでが政府の目的であったことが伺える。


次に昭和20年2月14日の近衛上奏文はかなりの長文なので、要点をいくつか残し纏める。



『国体護持の立場より最も憂ふべきは、最悪なる事態よりも之に伴うて起ることあるべき共産革命なり。』

『ソ聯の此の意図は東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野を中心に日本解放聯盟組織せられ、朝鮮独立同盟・朝鮮義勇軍・台湾先(一字欠)隊等と連携し日本に呼びかけ居れり。斯くの如き形勢より推して考ふるに、ソ聯はやがて日本の内政に干渉し来れる危険十分ありと思はる』

『即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動、及、之を背後より操る左翼分子の暗躍等なり。』

『少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにあり。』

『職業軍人の大部分は中以下の家庭出身者にして其の多くは共産的主張を受入れ易き境遇にあり。只彼等は軍隊教育に於て国体観念丈は徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引摺らんとしつつあるものと思はる。』

『抑々満洲事変・支那事変を起し、之を拡大し、遂に大東亜戦争に迄導き来れるは、是等軍部内一味の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと思はる。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは有名なる事実なり。』

『無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存ず。』

『全く不明の致す所にして、何とも申訳なく深く責任を感ずる次第で御座います。』

『昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶの声次第に勢力を加へつつあり。』


これでも長いので、侍従長である藤田尚徳の感想が要約に近いシンプルなものなので参考にする。

『近衛公は終戦を前提として述べていたが、如何にして終戦に時局を移すのかの具体的な方策については成案をもっておられなかったようだ。ただ共産革命の脅威を、言葉を尽くして述べ、その主力になっているのが他ならぬ軍部の一味であると指摘するのである。一味とは一体、誰を指すのであろうか。陛下も、この近衛公の議論には、内心でその特異さに驚かれたご様子が窺われる。』

いかがであろうか?昭和天皇の近衛の自死に対する回想が的確であったことが伺えるのだ。

要するに戦争責任は日本軍、政府、国民に須らくあるのであり、敢えて言うならば南京大虐殺なる政治プロパガンダに焦点を当てて日本軍の加害性を強調し、日本軍に戦争責任の冤罪を着せる朝日新聞こそが国民と戦争を煽って国体を破滅に向かわせた張本人であったのである。

朝日新聞は戦後直ぐに首脳陣をパージして平和的に路線変更しているがその姿は近衛のそれと酷似していることを付け加えよう。