基本的に私は靖国神社に関する問題は解決したか、そもそも問題などあり得ないと思っている。
だが首相の参拝に関する訴訟、中韓による内政干渉が未だに収まらないことも事実としてあり、朝日新聞等のマスメディアが靖国問題を恣意的或いは歴史認識を踏まえずに報道する事で問題化は収束状態で残り続ける。
我が国の先人達を国家が堂々と慰霊出来ない事、天皇陛下の御親拝が勅使参向で常態化していることに国民が無関心で戦没者遺族も減少している。
靖国問題があるとすればこのことこそが問題であり、創建150周年の年に改めて6つの争点とされるものを考えてみたい。
①信教の自由
②政教分離
③歴史認識
④慰霊
⑤戦犯
⑥神道
❶信教の自由に関する問題
日本国憲法においては、第20条第1項において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と定められている。参拝を望むなら、たとえ大臣・官僚であっても国家権力によって靖国神社への参拝を禁止・制限することができないこと、また参拝を望まない人が国家によって靖国神社への参拝を強制されないこと、 両方の側面を含む。
①この両方の側面とは禁止と強制でありそれは何人に対してもとのことである。つまり一部の反対者が首相に対して行う違憲訴訟こそこの信教の自由を侵害しているのだ。
❷政教分離に関する問題
靖国神社を国家による公的な慰霊施設として位置づけようとする運動があり、及びそれに付随して玉串奉納等の祭祀に関する寄付・奉納を政府・地方自治体が公的な支出によって行うことなどに関し、日本国憲法第20条が定める政教分離原則と抵触しないかとする問題。
これを問題とする人々は、内閣総理大臣・国会議員・都道府県知事など公職にある者が公的に靖国神社に参拝することが、第20条第1項において禁止されている宗教団体に対する国家による特別の特権であると主張している。
②一見この政教分離は①の信教の自由と矛盾していると捉えることも出来る。だがこれは国家が一部特定主教のみに介入資金援助することを禁止しているのであって参拝を禁止しているのではない。よって私見だが玉串料などは国費より支出しても援助にはあたらないと考える。
❸歴史認識に関する問題
靖国神社は、戦死者を英霊としてあがめ、戦争自体を肯定的にとらえているのだから、そのような神社に、特に公的な立場にある人物が参拝することはつまり、同社の第二次世界大戦に対する歴史観を公的に追認することになる、として問題視する意見が存在する。そういった立場からは、日本の閣僚は同戦争における対戦国に配慮し靖国神社に対する参拝を禁止・制限あるいは自粛すべきとする主張がある。
日本人が同戦争における戦争責任をどのように認識し、敗戦以前の日本の軍事的な行動に対していかなる歴史認識を持つことが適切であるか、という論点を中心に展開され、特に極東国際軍事裁判で戦争犯罪人として裁かれた人々の合祀が適切か否かの議論がある。
対外的には、第二次世界大戦における交戦相手国である中国(中華民国)、また第二次世界大戦の開戦より数十年前に日本に併合されていた朝鮮半島諸国の国民に不快感を与え、外交的な摩擦も生むこともある靖国神社への参拝が適切かどうか、という論点を中心に展開される。なおこの中韓及び北朝鮮以外の国からは、首相や閣僚の靖国神社参拝に対して公式に批判を受けることはない。
また、遊就館には歴史年表が掲示されているが、日本国憲法制定に関する記述(1946年11月3日公布、翌1947年5月3日施行)がなく、一方で“ポツダム宣言受諾拒否”が明記されている。
③「英霊としてあがめ、戦争自体を肯定的に捉えている」とあるが、『英霊として敬い、先の大戦のみを肯定的に捉えている』と表現すれば多少印象も変わるだろう。ポツダム宣言受諾拒否を取り上げているが、あくまでも一宗教法人としての願いや思いの吐露であり、それは戦没者に対する慰霊、鎮魂、顕彰と同義である。寧ろ問題は日本政府がポツダム宣言受諾により、公式な歴史認識を表明出来ず、内政干渉を余儀なくされる状態ではなかろうか。
❹戦死者・戦没者慰霊の問題
特に十五年戦争における日本軍軍人・軍属の戦死者(戦病死者・戦傷死者を含む)を、国家としてどのように慰霊するのが適切であるか、という問題。戦後靖国神社が国家による慰霊施設から宗教団体として分離されたために日本には戦死軍人に対する公的な慰霊施設が存在しないが、靖国神社を戦前に近いかたちで国家管理して位置づける、あるいは慰霊のための新たな施設を整備するという意見がある。遺族の同意を得ないまま同社に合祀されることがあることにも異議が出ている。
④国家の為に命を落とした戦没者の慰霊を国家が行えない問題だが、靖国神社は時代の流れでその時の国家が靖国を取り壊す可能性があることから国家管理を拒絶しており、管理せずとも慰霊は可能であると考える。
❺A級戦犯に対する評価の使い分け
A級戦犯として靖国神社に合祀されるか合祀されないか差異は、死刑の執行・服役中の死亡・勾留中の死亡により、遺体として刑事施設から社会に戻ったか、恩赦による刑の執行終了・裁判の中止・不起訴処分により、生きて社会に戻ったかの差異だけである。起訴され(28名)有罪宣告された25名のうち生きて社会に戻ったA級戦犯から重光葵は衆議院議員に3回選出され鳩山一郎内閣で4回目の外務大臣まで務めており、また戦犯指名されたものの不起訴となった者のなかからは衆議院議員に5人が選出され、国務大臣に5人が任命され、内閣総理大臣に1人が選出されている。この中には在職中等の貢献により国家より受勲されたものが多数いる。これに対して刑の執行や拘置中の病死などにより死亡し、刑事施設から遺体として社会に戻された者に対しては日本政府と日本国民が永久に糾弾し続けるべき対象者と評価するべきであるのかどうか、評価の使い分けの基準は全く説明されていない。また、この判決について、東條をはじめ南京事件を抑えることができなかったとして訴因55で有罪・死刑となった広田・松井両被告を含め、東京裁判で死刑を宣告された7被告は全員がBC級戦争犯罪でも有罪となっていたのが特徴であって、これは「平和に対する罪」が事後法であって罪刑法定主義の原則に逸脱するのではないかとする批判に配慮するものであるとともに、BC級戦争犯罪を重視した結果であるとの指摘がある。
⑤昭和殉難者を日本政府は公式に認めるべきである。
❻宗教的合理性と神道儀軌に関する問題
死を確定させる儀礼とする説もある神社神道の遷霊では、木主・笏・鏡・幣串が用いられ、基本的には1柱ごとに諡を送って霊璽とすることが各派ほぼ共通の儀軌となっている。これに対して、戊辰戦争の戦没者を祀るに際しては霊璽簿を用い、諡を送らずに生前の名前をもって霊璽としたため、靖国神社は当初は招魂社として創建された。しかし、招魂社は招魂場(降霊場)であるために、後に「在天の神霊を一時招祭するのみなるや聞こえて万世不易神霊厳在の社号としては妥当を失する」という政府側の要請で神社の格をとるに至った。しかし、この要請理由は宗教的合理性を転倒させた面があることは否めない。また、明治維新後に創建された他の神社も生前の名前を祭神の諡号としたため、神社神道を信仰する一般家庭でもそれに倣うケースが出始めた。この状況に危機感を募らせていた神社神道関係者は言論統制が解けた第2次世界大戦後に、そうした祭祀の方式は神社神道共通の基本的な儀軌に反するものであり、元々が合理性に欠けるものであるとする主張を行ったが、他の争点に掻き消されて『神葬祭 総合大事典』でも版を重ねるごとにトーン・ダウンしていった。いずれにしても、この争点は、朝日新聞だけではなく保守系の讀賣新聞などをも含んだマスコミと、靖国神社参拝派の政治家との間に起きた情念的とも言える争いのために、一般的にはほとんど知られていない。
⑥神道は宗教か?との問題であり、これを議論する時点で靖国問題とすることの意味を感じない。 つまり神道とは日本の国柄であり、これを宗教として国家と切り離すこと自体が国家解体の布石となる愚かな行為であるのだ。したがって近代国家にとっての伝統破壊は戦争に負けるよりも国家滅亡に近づく愚かな行為であるといえる。
以上日本の首相は臆する事なく靖国神社に何度も参拝すべきであり、戦没者の慰霊を続けなければならないのである。
安倍首相は是非習近平を国賓として招くのであれば、靖国神社に共に参拝すべきなのだ。これからの日中友好の為にも認識の過ちは糺すべきなのである。