天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

東京裁判とは何だったのか

2019-10-16 05:28:19 | 歴史


東京裁判は「リンチ」「勝者の裁き」或は「復讐裁判」と言い換えられるが、本当にそうであろうか、勝者が復讐の為にリンチするのである。
やはり、その目的は別の所にあった気がしてならない。

昭和天皇をその対象から外したのは日本国民の反発、まさに復習を恐れての為であったことは既に明らかになっている。

また、カミカゼアタックに見られるように特攻に対しては理解を超えた恐怖心すら抱いていたのだろう。つまり、米国は二発の原爆と東京大空襲という国際法上極めて微妙な犯罪的攻撃によって復讐、リンチ、勝者の裁きは遂げている訳だ。

東京裁判は紛れもなく責任転嫁と言い訳のセレモニーに過ぎなかったのである。戦争は正義と悪でなく、強弱でもなく、勝つか負けるかである。

勝った米国に何故裁判が必要であったののだろうか。

長崎原爆7.4万人
東京大空襲10万人
広島原爆14万人

【31万4千人】の大虐殺は明らかに正義とは程遠い行為であり、その為のバランスをとるだけの裁判であったと言える。

つまり日本は悪で犯罪を犯したことにしない限り連合国の戦争は終わられなかったのだ。

その為の嘘が【侵略戦争】と【南京30万】であり、その罪に【31万4千人】をのせて日本の戦犯に責任を取らせたのである。






八幡和郎の真贋

2019-10-13 12:19:58 | 時事



急に八幡和郎氏が注目され始めたが、杉田水脈議員のツイートに百田、有本両氏が噛み付いた切掛となったからだ。

ここではこのあやかり本の内容や日本国紀批判か否かを検証するつもりはない。

自民党女性議員の勉強会に八幡氏は適任であったのかを彼のアゴラに寄稿した『靖国神社』関連の二つの記事から読み解きその是非を考察してみたい。




【靖国神社宮司の天皇批判に潜む本質論】

「週刊ポスト」10月8日発売号が報じた靖国神社・小堀邦夫宮司の「皇室批判」発言について、宮司が宮内庁に出向いて陳謝し、退任の意向を伝えた。後任については10月26日の総代会で決定するという。

宮司の発言は6月20日に靖国神社内で行なわれた会議で行われた。

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」

「(今上天皇が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」



これについて、〈極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩いたしました〉と10月10日に靖国神社は報道各社に向けた文書で書いている。

たしかに、陛下は参拝されていないものの、毎年、3回も勅使のご差遣を戴いているから、宮司のものいいは、乱暴だ。

それに、もちろん、陛下が参拝されないのには、いわゆるA級戦犯合祀問題があるわけで、合祀の是非についていろんな意見があるにせよ、それを根回しせずにこっそりしたのは、現在の宮司でないにせよ、靖国神社側に責めがあるし、問題解決のために前向きな努力を神社側がしているとも思えない。

しかし、宮司が指摘しているところには、それなりに注目すべき問題がある。

陛下は慰霊にはたいへんご熱心だが、それは、戦争の犠牲者へのものであって、英霊というか、国のために命を捧げた英雄に対してのものという要素が感じられない、あるいは避けておられるのでないかという印象はある。

もちろん、それは、近隣諸国や旧連合国からの皇室批判を避けるという事情はあるのだが、国家元首としては、異例である。戦争に負けたら、英霊が戦争の犠牲者としてのみ国家から評価されるというのでは、戦死者たちは無念であろう。

フランスで二度の世界大戦の戦死者と負け戦だった普仏戦争やベトナム戦争での死者が差別されているはずもない。

そういう意味では、宮司の指摘は実は本質をついていたのかもしれない。

いずれにしても、今上陛下が、靖国神社にいちども参拝されないまま御退位されるのは、残念なことだ。

いろいろ議論はあるが、戦死者の大多数は戦死したら靖国神社に英霊として祀られることを誇り、あるいは慰めとしていたと考えられるのだから、その期待に背くことだから私はそれに報いるべきだと思う。

しかし、いわゆるA級戦犯問題がこじれてしまったなかでは、難しい。彼らの評価をどうのこうの議論のために大多数の戦死者への配慮が劣後されているのは論外だ。

なんとか、「第三の道」による解決が図られるべきだと思う。私は分祀になんの不都合もないと思うが、どうしても靖国神社がいやなら、天皇陛下や総理の参拝をとりあえずあきらめて別の道をさぐるしかないのではないか。ちなみに、私は、靖国神社の前に慰霊施設を設けて、そこに参拝というのはどうかと提案している。

いずれにしても、陛下の交代の前に決着を付けるべき問題だが、せめて、御退位後の陛下の参拝、新陛下の参拝を実現すべく関係者は過去の経緯にこだわらずに解決の道を見つけて欲しい。

ところで、スペインでは、最近、スペイン内戦の犠牲者を祀った「戦死者の谷」からフランコ総統の遺体が撤去されることになった。戦死者ではないというのが根拠とされた。参考事例かもしれない。



【靖国神社の鳥居前に慰霊施設を創り玉虫色の解決を】


終戦の日にBS11の番組で靖国神社についてお話しした。番組の視聴者が若い人主体だというので、少しいろいろ考えることもあった。

私は議論が錯綜してしまった以上は、玉虫色の解決をするしかないと思う。

そもそもの問題は、戦後、神道をやめるときに、さまざまな問題をきれいに整理しておかなかったことにある。

誰を国家的な英雄として祀るのかといったことは、神社が決めるような話にはなじまない。政府がしっかりした名簿を整備して、神社に引き継ぎ、あとはおまかせするということであるべきだったが、戦後の混乱のなかでは、そこまで、考えが及ばなかったとしてもやむを得ないし、昭和30年代くらいまでは、誰もうるさいことはいわなかった。

ところが、そのころから、左派からは靖国神社は軍国主義の象徴といいだして政治問題にしてしまい、それに、反撃するかたちで右派が国家護持だ公式参拝だと逆利用を図り、さらに、いわゆるA級戦犯合祀問題が起きた。

この問題のおこりは、BC級戦犯を合祀したらという話が先に持ち上がった。BC級戦犯の合祀も理屈には合わないが、不当な処罰も多く含まれ、この合祀にほとんど反対はなかった。そして、悪乗り気味にA級戦犯合祀問題が出て、神社側が勝手に合祀してしまった。そして、いったん合祀したら分祀できないという宗教理論を持ち出して話をややこしくした。

しかも、左派の議論にのって、中国が外交問題化した。これは、中国なりの合理性もある議論だった。中国は日中戦争について「一部軍国主義者の仕業であり日本人民は敵でない」という整理を国交回復以来してきており、その象徴として靖国参拝が取り上げ、それを日本側も一理あるとして反応した歴史的経緯がある。

これは、日本にとっても、主として一部軍国主義者が悪かったのか、国民全員が悪かったのかというのは、永遠の課題だが、中国から、「日本人民も被害者です。悪かったのは一部軍国主義者です」といわれて、全面否定するつもりは日本人にあるまい。

いずれにしても、A級戦犯合祀問題を解決すれば中国は少なくともあまり問題にしないと理解されてきたし、中国側のこうした立場をまったく無視するわけにはいかない。

一方、韓国までが中国の尻馬に乗ってきたが、日本と戦った立場でなく「植民地支配」を問題にするならA級戦犯合祀問題を解決しても永久に解決できなくなるので、こちらは徹底的に無視するしかない。

私が靖国神社を大事にしたいのは、戦死者のほとんどは、自分が神として祀られることを好意的に受け止めていたと思うからだ。その期待を裏切りたくにないし、そこに、天皇陛下や首相が参拝もしてほしい。

しかし、国家護持は宗教色がいささかでも残る限りできない。公式参拝については、そもそも、伊勢神宮などに参拝するのと同じで、靖国の特殊問題はそもそもなく、右派のプロパガンダだと思う。

解決策としては、靖国神社が分祀に応じてくれれば、あとは、それで参拝に問題なしとしてしまえばよい。それがダメだとなると、玉虫色しかない。

私の一つの提案は、靖国神社の鳥居の前に、無宗教の慰霊施設をつくり、どの方向からも参拝できるようにして、靖国神社をあえて拒否する人は横から参拝し、靖国神社も一緒にお参りしたい、あるいは、そうであるかどうか曖昧にしたい人も、真正面に参拝するようにしてはどうか。

そういう形なら、天皇陛下も首相もお参りしたのが靖国神社なのかどうか心の中の問題となる。


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まずは【靖国神社宮司の天皇批判に潜む本質論】
からだが、勅使参向を年3回とされているが、春と秋の例大祭の年2回の間違いである。さらに宮司の軽い批判と気持ちを理解したとする上での論評は型に嵌ったものでしかない。

結局は総理、天皇陛下の参拝の為鳥居の前に慰霊施設を作り、分祀には不都合を感じないという新聞各紙の別施設派を踏襲しているに過ぎない。

A級合祀を御親拝中断の原因としている限り陥るのは靖国神社取り壊しへの道なのだ。

つづく、【靖国神社の鳥居前に慰霊施設を創り玉虫色の解決を】だが、別施設を作り靖国問題を一気に解決するという逃げのウルトラCでしかない。実現は難しいし単に思い付いた裏技であろう。

しかしながら最後に彼は『心の中の問題』としているが、これこそ靖国問題の核心であり、そこに到達しておきながらどうにも出来ない焦りが、裏技に落ち着かせたのだろう。

結果として分祀論派容認である限り彼の靖国論は其の場凌ぎのイミテーションでしかないのである。まだ百田、有本両氏の靖国論の方が的を射ている分自民党女性議員の会はその人選を間違ったと言えるだろう。

杉田水脈vsド右翼クソハゲ

2019-10-12 18:20:06 | 時事


杉田水脈と百田尚樹が八幡和郎の本の所為で一方的なバトルになっている。

台風19号で苛立つ百田氏が杉田議員のツイートを見たからである。これは八幡氏の著書の装丁が悪すぎる。内容は兎も角これではバッタもん商法と何ら変わらないと訴訟されても負けるレベルである。

杉田議員と百田氏の確執は維新の時からのものとして仕方がないが、それを拡げてどうする、ということだ。

今回は八幡氏の所為だが、いざとなったら杉田水脈側に付くとの信念からのタイトルにさせてもらった。

保守派の賢明な判断を期待する。

何を保守するのか?


勿論皇室である。維新やプライドなどどうでも良い。

隠居さんのコメントと植民地

2019-10-11 01:37:17 | コメント


・コメントが届いた記事
併合と植民地支配の違い


・コメントを書いた人
隠居

・コメント
併合と植民地は違います。
国際通念でも両者の定義は全く別物ですね。
日帝は朝鮮から搾取した益は全くない!!先の台湾と同じく日本並み水準になるように開発投資して社会水準を一挙に引き上げただけです。ただ・・不幸なことに分裂して5年も経たずして同族で戦う羽目になってしまったこと。
*これとて日帝が引き起こしたと歴史捏造してるが・・・それは自律で解決すべきことで独や越などの先例を見れば、他国に責を負わせるのは筋違いですな。
南北/東西分離なんぞは自分たちで解決しなさい!!対日抵抗運動で独立を果たした?ウソでしょ?南北統合を中米露日抜きで実現できてこそ真の「独立」実現です。
ただし・・数千年にわたって中華属国として朝貢の家来格で両班搾取の最貧体制で社会をやってきたのだから自立運営なんざ無理なことでしょう。
北と一緒になれば日本を超えると文ナニガシは訴えてるのだから・・やってみれば?応援しますよ。
自立国家はあるべき基本です。だれもそれを阻害することはありませんから・・・





wikiより引用>

植民地の統治形態には、以下のものがある。

1.領事裁判権や租借地・租界設定条約による治外法権の確立。

2.外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領。

3.現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治。

4.本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治。

5.本国が外交と防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地。ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多い。

6.自国領への併合(この場合も従来の現地住民について、市民権や国籍上の地位に区別が設定されたり、併合領土での立法・行政権など統治形態が異なることがある)




欧米によるアジア各所の植民地支配とは明らかに違う日本の併合が植民地支配とされることへの抵抗は勿論私にもあります。

しかしながら当時の日本自身が下記のように朝鮮を植民地と表記しております。

従って重要なのは植民地との呼称に惑わされず日本が何をしたかの認識の再確認であり、隠居さんの仰るように欧米型の植民地支配とは明らかに違う植民地併合で逆に日本は欧米型植民地の独立に重大な力添えをしたことなのです。

尾張の終わり

2019-10-08 19:48:41 | 時事


今日の知事と市長の対立をこの写真から誰が想像出来ただろうか。
不自由展が再開し、名古屋の河村市長が県庁前で座り込みを始めた。


なんとしても見せたい大村知事と
なんとしても見せたくない市長、

『表現の自由に名を借りて、世論を暴力的にハイジャックするのはやめてくれ』と河村市長

座り込み参加者は
「県は公金の不正使用を認めるな」
「知事は名古屋市民の声を聞け」
「天皇の御真影を燃やすな」などとの呼びかけた


為政者としてどちらも間違ってはいないかも知れないが、これだけ問題となった展示を表現の自由だけに焦点を絞って強行するのはまさに名古屋市長の言う【暴力的ハイジャック】である。

公的施設が公金を投入してやることか?との批判が主に聞かれるが、わかりやすい例に喩えて考えてみよう。

大村知事がたった一人の表現の自由を守る為に公金を使うとしよう。その名が『ろくでなし子』ならどうであろうか、自身の局部を3Dデータにし配布することをなし子側は『データにわいせつ性はなく、創作活動の一環』と主張したが、猥褻の判決で敗訴している。

つまり作家が芸術と判断しても猥褻罪となれば表現の自由は負けるのだ。

民法第90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為、無効とする。」としている。

公序良俗に反する行為ならば表現の自由は無効化するのだ。

従って大村知事はろくでなし子のソフビを県のマスコット人形にして公金を支出する様な事と同様なのだ。

今回の不自由展作品が公序良俗に反するか否かを裁判でなくとも県民投票で決めれば良いのである。

河村市長の座り込みの心意気に尾張名古屋の住民が応える術は県民投票なのである。このまま大村知事の意のままの再開は愛知県が終わるのを指を咥えて見ているよなものなのだ。