急に八幡和郎氏が注目され始めたが、杉田水脈議員のツイートに百田、有本両氏が噛み付いた切掛となったからだ。
ここではこのあやかり本の内容や日本国紀批判か否かを検証するつもりはない。
自民党女性議員の勉強会に八幡氏は適任であったのかを彼のアゴラに寄稿した『靖国神社』関連の二つの記事から読み解きその是非を考察してみたい。
【靖国神社宮司の天皇批判に潜む本質論】
「週刊ポスト」10月8日発売号が報じた靖国神社・小堀邦夫宮司の「皇室批判」発言について、宮司が宮内庁に出向いて陳謝し、退任の意向を伝えた。後任については10月26日の総代会で決定するという。
宮司の発言は6月20日に靖国神社内で行なわれた会議で行われた。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
「(今上天皇が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
これについて、〈極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩いたしました〉と10月10日に靖国神社は報道各社に向けた文書で書いている。
たしかに、陛下は参拝されていないものの、毎年、3回も勅使のご差遣を戴いているから、宮司のものいいは、乱暴だ。
それに、もちろん、陛下が参拝されないのには、いわゆるA級戦犯合祀問題があるわけで、合祀の是非についていろんな意見があるにせよ、それを根回しせずにこっそりしたのは、現在の宮司でないにせよ、靖国神社側に責めがあるし、問題解決のために前向きな努力を神社側がしているとも思えない。
しかし、宮司が指摘しているところには、それなりに注目すべき問題がある。
陛下は慰霊にはたいへんご熱心だが、それは、戦争の犠牲者へのものであって、英霊というか、国のために命を捧げた英雄に対してのものという要素が感じられない、あるいは避けておられるのでないかという印象はある。
もちろん、それは、近隣諸国や旧連合国からの皇室批判を避けるという事情はあるのだが、国家元首としては、異例である。戦争に負けたら、英霊が戦争の犠牲者としてのみ国家から評価されるというのでは、戦死者たちは無念であろう。
フランスで二度の世界大戦の戦死者と負け戦だった普仏戦争やベトナム戦争での死者が差別されているはずもない。
そういう意味では、宮司の指摘は実は本質をついていたのかもしれない。
いずれにしても、今上陛下が、靖国神社にいちども参拝されないまま御退位されるのは、残念なことだ。
いろいろ議論はあるが、戦死者の大多数は戦死したら靖国神社に英霊として祀られることを誇り、あるいは慰めとしていたと考えられるのだから、その期待に背くことだから私はそれに報いるべきだと思う。
しかし、いわゆるA級戦犯問題がこじれてしまったなかでは、難しい。彼らの評価をどうのこうの議論のために大多数の戦死者への配慮が劣後されているのは論外だ。
なんとか、「第三の道」による解決が図られるべきだと思う。私は分祀になんの不都合もないと思うが、どうしても靖国神社がいやなら、天皇陛下や総理の参拝をとりあえずあきらめて別の道をさぐるしかないのではないか。ちなみに、私は、靖国神社の前に慰霊施設を設けて、そこに参拝というのはどうかと提案している。
いずれにしても、陛下の交代の前に決着を付けるべき問題だが、せめて、御退位後の陛下の参拝、新陛下の参拝を実現すべく関係者は過去の経緯にこだわらずに解決の道を見つけて欲しい。
ところで、スペインでは、最近、スペイン内戦の犠牲者を祀った「戦死者の谷」からフランコ総統の遺体が撤去されることになった。戦死者ではないというのが根拠とされた。参考事例かもしれない。
【靖国神社の鳥居前に慰霊施設を創り玉虫色の解決を】
終戦の日にBS11の番組で靖国神社についてお話しした。番組の視聴者が若い人主体だというので、少しいろいろ考えることもあった。
私は議論が錯綜してしまった以上は、玉虫色の解決をするしかないと思う。
そもそもの問題は、戦後、神道をやめるときに、さまざまな問題をきれいに整理しておかなかったことにある。
誰を国家的な英雄として祀るのかといったことは、神社が決めるような話にはなじまない。政府がしっかりした名簿を整備して、神社に引き継ぎ、あとはおまかせするということであるべきだったが、戦後の混乱のなかでは、そこまで、考えが及ばなかったとしてもやむを得ないし、昭和30年代くらいまでは、誰もうるさいことはいわなかった。
ところが、そのころから、左派からは靖国神社は軍国主義の象徴といいだして政治問題にしてしまい、それに、反撃するかたちで右派が国家護持だ公式参拝だと逆利用を図り、さらに、いわゆるA級戦犯合祀問題が起きた。
この問題のおこりは、BC級戦犯を合祀したらという話が先に持ち上がった。BC級戦犯の合祀も理屈には合わないが、不当な処罰も多く含まれ、この合祀にほとんど反対はなかった。そして、悪乗り気味にA級戦犯合祀問題が出て、神社側が勝手に合祀してしまった。そして、いったん合祀したら分祀できないという宗教理論を持ち出して話をややこしくした。
しかも、左派の議論にのって、中国が外交問題化した。これは、中国なりの合理性もある議論だった。中国は日中戦争について「一部軍国主義者の仕業であり日本人民は敵でない」という整理を国交回復以来してきており、その象徴として靖国参拝が取り上げ、それを日本側も一理あるとして反応した歴史的経緯がある。
これは、日本にとっても、主として一部軍国主義者が悪かったのか、国民全員が悪かったのかというのは、永遠の課題だが、中国から、「日本人民も被害者です。悪かったのは一部軍国主義者です」といわれて、全面否定するつもりは日本人にあるまい。
いずれにしても、A級戦犯合祀問題を解決すれば中国は少なくともあまり問題にしないと理解されてきたし、中国側のこうした立場をまったく無視するわけにはいかない。
一方、韓国までが中国の尻馬に乗ってきたが、日本と戦った立場でなく「植民地支配」を問題にするならA級戦犯合祀問題を解決しても永久に解決できなくなるので、こちらは徹底的に無視するしかない。
私が靖国神社を大事にしたいのは、戦死者のほとんどは、自分が神として祀られることを好意的に受け止めていたと思うからだ。その期待を裏切りたくにないし、そこに、天皇陛下や首相が参拝もしてほしい。
しかし、国家護持は宗教色がいささかでも残る限りできない。公式参拝については、そもそも、伊勢神宮などに参拝するのと同じで、靖国の特殊問題はそもそもなく、右派のプロパガンダだと思う。
解決策としては、靖国神社が分祀に応じてくれれば、あとは、それで参拝に問題なしとしてしまえばよい。それがダメだとなると、玉虫色しかない。
私の一つの提案は、靖国神社の鳥居の前に、無宗教の慰霊施設をつくり、どの方向からも参拝できるようにして、靖国神社をあえて拒否する人は横から参拝し、靖国神社も一緒にお参りしたい、あるいは、そうであるかどうか曖昧にしたい人も、真正面に参拝するようにしてはどうか。
そういう形なら、天皇陛下も首相もお参りしたのが靖国神社なのかどうか心の中の問題となる。
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まずは【靖国神社宮司の天皇批判に潜む本質論】
からだが、勅使参向を年3回とされているが、春と秋の例大祭の年2回の間違いである。さらに宮司の軽い批判と気持ちを理解したとする上での論評は型に嵌ったものでしかない。
結局は総理、天皇陛下の参拝の為鳥居の前に慰霊施設を作り、分祀には不都合を感じないという新聞各紙の別施設派を踏襲しているに過ぎない。
A級合祀を御親拝中断の原因としている限り陥るのは靖国神社取り壊しへの道なのだ。
つづく、【靖国神社の鳥居前に慰霊施設を創り玉虫色の解決を】だが、別施設を作り靖国問題を一気に解決するという逃げのウルトラCでしかない。実現は難しいし単に思い付いた裏技であろう。
しかしながら最後に彼は『心の中の問題』としているが、これこそ靖国問題の核心であり、そこに到達しておきながらどうにも出来ない焦りが、裏技に落ち着かせたのだろう。
結果として分祀論派容認である限り彼の靖国論は其の場凌ぎのイミテーションでしかないのである。まだ百田、有本両氏の靖国論の方が的を射ている分自民党女性議員の会はその人選を間違ったと言えるだろう。