今日美術博物館に行った際近くにある赤門に立ち寄ってみました
飯田市追手町の飯田城桜丸御門(通称赤門と呼ばれています)
飯田城(近くの石碑には長姫城とあります)の数少ない遺構として残されています。
上棟は宝暦4年(1754)
今は長野県合同庁舎と飯田市図書館の間にあります。
当時から同じ場所にあるのはこの門だけだそうです。
飯田城の跡地は飯田市美術博物館
赤門と道路を挟んで建つ、追手町小学校のレトロな校舎
さて今日明日と大学入試センター試験、会場になっている飯田高校の前には
緊張感が漂っていました、我が家では受験生のいる時期は過ぎましたが
がんばれ受験生!と心の中でエールを送りながら通りました・・・
飯田市追手町の飯田城桜丸御門(通称赤門と呼ばれています)
飯田城(近くの石碑には長姫城とあります)の数少ない遺構として残されています。
上棟は宝暦4年(1754)
今は長野県合同庁舎と飯田市図書館の間にあります。
当時から同じ場所にあるのはこの門だけだそうです。
飯田城の跡地は飯田市美術博物館
赤門と道路を挟んで建つ、追手町小学校のレトロな校舎
さて今日明日と大学入試センター試験、会場になっている飯田高校の前には
緊張感が漂っていました、我が家では受験生のいる時期は過ぎましたが
がんばれ受験生!と心の中でエールを送りながら通りました・・・
おはようございます。
赤門と言えば東大を思い浮かべました。
東大の赤門と言えば加賀百万石のゆかりの門だと聞いていますが、こちらの赤門は、飯田城の門なんですね。
レトロな校舎の追手町小学校は今現役なのですね?!
赤門と言えば東大ですが、この門も地元では赤門と言われています
赤い色の門は格式高く、勝手には赤い色をつける事が出来なかったと言われています。
この門は普段は閉じて春 追手町小学校の入学式の日には開くと聞いています。
飯田市内は過疎化が進み追手町小学校の児童も少なくなっているようですね。