藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

10月12日  「ゲ、ゲ、ゲ、・・・・・腰が」

2018-10-12 14:16:26 | 日記・エッセイ・コラム

早朝四時半、トイレに行こうと起き上がった処、ゲ、ゲ、ゲ、腰が・・・・・。 まさか、・・・・。 腰が痛くて起き上がれない。 回転しようと体をゆっくり回したが、イタ、イタ、痛いのだ。 寝ていただけなのに。 ぎっくり腰?、?、?、。 そんな馬鹿なと思えどもそれ以外に考えられない。 それでもトイレだけは・・・・・。 階段を降りる事数分。 やっとたどり着いた。 トイレに座って考えた。 上がる時はどうなのだろうか。 上がるのは案外楽だった。 朝食抜き。 奥様は自分で作ってお召し上がりになった様だ。 その後の奥様の行動は不明で有ったが、十時半過ぎお帰りに成ると、大きな入れ物に柿の山を持ちわざわざ二階までお持ちになった。 お隣から届いたのだ。 と言うより、我が奥様が物置の屋根に上り、取ったという。 お隣さまも、後期高齢者の中でも八十歳を超えているので高所作業は危険なのである。 その点我が奥様は、高所は得意なのである。 「何とかの高上り」と広島では言う。 子供の頃、広島のチベットと呼ばれたところで育った奥様は、冬場雪に埋もれた生活をしていた。 その中で一番の苦手が冬場のトイレ行きだったそうだ。 階段を降りて、長い長い廊下の果てのトイレは・・・・・寒さと暗さで行くのが嫌で、二階の窓を開けて、その上に乗り用を足したそうである。 翌朝親に見つかり、呆れられたそうだが、「寒い長い階段と廊下の方が、高いだけの二階の窓より嫌だった」と・・・。本人の弁である。 それ位だから、物置小屋の屋根など平気である。 そんなこんなで

早めの昼食に三つほど食べた。沢山なった分、小ぶりだが甘い。 私の予測道理柿は我が家にやって来たのだ。 取り残しがまだ有る。 次は何時だろうか。

コメント (4)
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