本をめくりながら床に就いた。 その本に、人魚が出て来た。 ふと、人魚の数え方は?しばらく考えたが浮かんでこない。 起きだしてネットで調べた。 「一人、二人」と数えるそうだ。 人の形を含むものに限りそう数えるらしい。 床に入り本を読み進めていたら、天使が出て来た。 天使はやはり「一人、二人」と数えるのだろうか・・・・。 起きて調べる元気も無し。 今朝まで放っておいたがやはり気になって調べたが確証がない。 神様は日本では「一柱、二柱」と数えるが、西洋やアフリカなどではどう数えるのだろうか。 調べても解らない・・・。 朝からもやもやしている。 ところで昨日、鞆の浦をご紹介しようと思っている旨ここに書いたが、昨夜偶然にも私より素晴らしい写真と共に紹介されたブログを見つけた。 「J-Blue」さんのブログである。 おまけにこのブログ、「鞆の浦」だけでなく、「尾道」、「宮島」、「原爆ドーム」、加えて「錦帯橋」まで紹介していただいている。 広島県人として感謝申し上げたい。 アドレスは、
https://blog.goo.ne.jp/king20-io
https://blog.goo.ne.jp/king20-io/e/757705ff3b5905860e84bf68dc37ee60 です。是非ともお訪ねあれ。
こうなったら広島県人としてどこをご紹介すれば良かろうか・・・・・。 これで今夜、眠れない理由が二つになった。 解決策が有ったらお教え願いたい。
昼食取っているとき、ふと気が付言いた。 そうだ! 鞆の浦と言えば、坂本竜馬が付き物なのだ。 伊予大洲藩の船「いろは丸」を借り受けて、「海援隊」で運航中、この鞆の浦で紀州藩の船と衝突。 沈没したのだった。数年前、残骸が見つかりTVをにぎあわせた。 一説には、紀州藩が坂本竜馬の暗躍を嫌ってぶっつけたともいわれた事件である。 世に言う「いろは丸事件」である。 結末は、紀州藩が八万余両の賠償金を払って解決したが、この事件の二か月後、京都で竜馬は暗殺された。 この事件も暗殺の引き金になったとの噂が有ったらっしい。 そんな歴史上の当時の重要拠点「鞆の浦」は、長崎から入ってくる外国の情報の経由地として重要であった。そんなこんなで、
港に立つ常夜灯
現代版「いろは丸」
福禅寺對潮楼 明治維新前の「鞆の浦」 一見の価値あり。