美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

ルノワールの「白衣のピエロ」

2018-06-13 19:45:34 | 西洋美術
デトロイト美術館蔵の作品。

この作品は、20世紀になってから描かれた。この頃の彼の作品は、もはや完全に印象主義の様式から離れたものであり、彼は巨匠としての独自な道を大きく歩み始めている。

モデルとなっている子供は画家の次男ジャンである。
ジャンは後に有名な映画監督となって、「大いなる幻影」や「ゲームの規則」など、特に1930年代に優れた作品を発表している。

「白衣のピエロ」は父ルノワールが晩年に描いた特殊な肖像作品だ。すなわち彼は、モデルたちに仮装用の衣装を身につけさせて、自分が描きたいようにポーズさせた。それは、もはやモデルたちが自分の社会的地位等を誇示するために思いのままに画家に注文した肖像画ではない。そういう時代はもはや終わろうとしていた。

モデルと画家の関係は、ルノワールの晩年の芸術にあたっては完全に逆転している。画家は何らモデルに媚びることなく、芸術家として自分の描きたい肖像画を追究しているのである。

子供の肖像画ながら実に堂々とした趣は、モニュメンタルな芸術を目指した晩年のルノワール芸術を完全に具現化したものとなっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇妙な偶然

2018-06-11 17:03:16 | 西洋美術
美術作品の研究をしていると、これは「奇妙な偶然」なのか、それとも偶然ではなく、他に何らかの必然的な意味があるのか、とかなり迷うようなことがあります。

茨城県近代美術館にシニャックの水彩画とされる4点の作品があります。

うち2点は「ポン=ヌフ」と題される1912年と1927年の作品、さらに「パリのシテ島」という1927年の作品、そしてもう1点は1906年の「ロッテルダム」という作品です。

このうち、「パリのシテ島」という作品は、作品名にもかかわらず描かれている画面の左右どちら側がシテ島なのか、わかりませんでした。

しかし調べていくと、画面右手側が、シテ島であり、そこに描かれている橋も、シテ島に架かる幾つかある橋のうち、やはり、ポン=ヌフだということが分かりました。

オルフェーヴル河岸から見たポン=ヌフが画面中央部に描かれていたのです。

実は1927年のこの水彩画とよく似た構図の油彩画が少なくとも2点はあります。1913年と1932-34年の作品です。題名はどちも「ル・ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」です。ただし、後者の制作年の作品は、「プティ・ブラ」が、F.カシャンのカタログ・レゾネでは、小括弧に入っていません。ただ、それだけの違いです。

プティ・ブラとは、シテ島の南側を流れる小さい方の支流であるセーヌ川を指している言葉です。

これら2点の油彩画の作品名は、日本語の作品名にするときは、敢えて定冠詞をつけずに簡単に「ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」でもいいでしょう。

それなら、これと殆ど同じ視点から描いた水彩画「パリのシテ島」も、誰がそうしたのか、こんな人を迷わせるタイトルを付けずに、単に「ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」でよかったのではないでしょうか。

いずれにせよ、茨城県近代美術館にある3点のパリを描いたシニャックの水彩画の橋の風景は、すべて「ポン=ヌフ」を中心に描いたものだったのです。

ところで、茨城県にあるこれら3点のポン=ヌフを描いた作品と「ロッテルダム」のうち、1912年の「ポン=ヌフ」と1906年の「ロッテルダム」は、ちょっと嬉しいことに、日本にあるシニャックの油彩画とかなり関連の深い作品です。

ひろしま美術館の「パリ、ポン=ヌフ」1931年作と島根県立美術館の「ロッテルダム、蒸気」1906年作です。

これは喜んでいい偶然でしょう。

しかし、これらも比較対照してよく見ていくと、画面構成や対象のモティーフが、かなり重なる部分とそうでない部分があり、さらに検討していく必要がありました。

すると、ひろしま美術館の作品よりも、1913年の個人蔵の「ポン=ヌフ」という作品が、1912年の「ポン=ヌフ」茨城県近代美術館蔵に近いことが分かりました。

そして、さらにこの個人蔵の「ポン=ヌフ」の図版が掲載されているF.カシャンのカタログの同じページには、1927年の「パリのシテ島」茨城県近代美術館蔵に関連の深い2点の油彩画うち1913年の「ポン=ヌフ(プティ・ブラ)」が掲載されていました。

カシャンのカタログの300頁には2点の白黒図版しか掲載されていないのですが、それがいずれも茨城県近代美術館にある水彩画に関連したものだったというこの偶然はどうでしょう。

ところが奇妙なことに、カシャンのカタログには、その2点の油彩画に関連した作品として茨城県近代美術館の水彩画は、言及されていないのです。

茨城県近代美術館にあるロッテルダムを描いた水彩画と島根県立美術館にある「ロッテルダム」の画面下半部の著しい類似性と上半部の著しい相違点も謎に包まれたままです。

以上の様々な偶然の一致と不思議な相違は、どう考えるべきでしょうか。まだ未解決の問題が存在するから、これらの奇妙な偶然が起こっているのでしょうか。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルノワールの「鞭を持つ子ども」

2018-06-11 09:10:04 | 西洋美術
ロシア、サンクト=ペテルブルクにあるエルミタージュ美術館蔵のルノワールの作品。1885年制作。

1995年、茨城県近代美術館で開かれた「エルミタージュ美術館展 19〜20世紀フランス絵画」に出品された。

この作品の題名は、注意して読む必要がある。

「鞭を持つ少女」ではない。モデルは実は5歳の少年。複製図版などで比較的よく知られている作品ではある。

しかしモデルが少年であると聞くと、驚く人も多い。

ルノワールは少年の姉も描いている。

その作品はワシントンにあり、作品の大きさを比べてみるとほぼ同じである。

その作品の題名は「輪を持つ少女」

子供たちのポーズや衣装を比較してみると、鞭を持つ子供と共通点が多く、今ではロシアと米国に別れ別れになってしまった作品が、本来は対をなしていたことがわかる。

ちなみに画家はさらに2人の兄たちの肖像画も一対にして描いている。

また、ルノワール60歳のときの子、三男クロードも、女の子のように育てられ、そのような姿で描かれた作品が残されている。

ルノワールは印象派の代表的画家には違いないが、この作品は、彼の芸術中で特異な位置を占めるものであり、顔の描写を中心に彼の「反印象主義」的な特徴が認められる。

なお、「鞭を持つ子ども」の姉を描いたワシントンのナショナル・ギャラリーにあるルノワール作品「輪を持つ少女」と、同じようなポーズで輪を持つ少女を描いた全身像の「エリーズ嬢の肖像」が、島根県立美術館にある。制作年も同年で、ラファエル・コランによる作品である。

比較すると、同時代、同ファッションによる少女の全身像肖像画ながら、ルノワールとコランの作風の違いがよくわかって興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本にあるシニャック作品(7)

2018-06-07 20:06:10 | 西洋美術

茨城県近代美術館にあるパリを描いたシニャックの水彩画は、もう1点あります。

ポン・ヌフ」という作品です。

これは、どこが描かれているかは、仮にタイトルが無くとも、パリ通なら、容易に分かる風景と思います。

すなわちシテ島の西端部、画面右手はヴェール・ギャラン広場の木立で、画面左半分にはグラン・ブラに架かるポン=ヌフの連続するアーチが見えています。

よく見ると、画面右端にもその延長線上に、プティ・ブラ側に架かるポン=ヌフのアーチが僅かに見えています。

画面左半分に見える建物は、テアトル・ミュジカル・ド・パリか、同じような外観のテアトル・ド・ラ・ヴィルで、その背後にサン・ジャックの塔が建っています。

セーヌ川のプティ・ブラとグラン・ブラとの合流地点、主にプティ・ブラ側が描かれ、セーヌ川は画面前景左下部に向かって流れています。

画家は多分、ポン・デザール寄りのコンティ河岸通りから降りて、ポール・デ・サン・ペール近辺からこの風景を眺めたのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本にあるシニャック作品(6)

2018-06-07 09:30:13 | 西洋美術

茨城県近代美術館のシニャックの水彩画「パリのシテ島」は、絵のタイトルにシテ島とあるのですから、画面右手側がシテ島なのか、それとも反対側がシテ島なのかは、やはりはっきりさせておいた方がいいでしょう。

それが絵の造形的価値とどう関係があるのかと問う人もいるでしょうが、これはまた別の問題です。

シニャックは実際の風景をどの程度忠実に描いたのかは、彼の芸術観を知る上では、やはり調べてみる価値がある問題です。

もちろん画家の中には、実際の風景を自分の思い通りに変形したり、時代によっては何らかの理想に基づいて描く場合もあるので、描かれた対象を探し出すのが徒労になってしまうこともあります。

しかしシニャックの場合はどうでしょうか。

ここでは、一応、彼は見た目に忠実に描いていると仮定して、パリのシテ島がどちら側なのか、調べていきましょう。

セーヌ川は、パリ市内をだいたい東から西に向かって流れています。

中の島であるシテ島の南側の流れはプティ・ブラ、北側の大きな流れはグラン・ブラと呼ばれています。

この作品は、その内どちらの流れを描いているか、橋の名前は分からなくとも、上流側からその橋を見ているのか、下流側からその橋を見ているのか、それによっても、シテ島が画面の右手にあるのか左手にあるのかの推測は違ってきます。

実際の景色と照合するにしても、こうした色々な可能性があることを考えるとなかなか大変です。

ですが、今の時代、シニャックが描いたパリの中心部の風景を確定するのは、実は、それほど難しいことではなくなりました。

2〜30年ほど前なら、こうした研究では、重いカメラをぶら下げて、大きな地図を広げながら、可能性のある場所をコツコツと探しもとめて歩き回らねばならなかったのに、今ではとても便利な、ある意味で簡単すぎる方法があります。

すでにお気づきと思いますが、インターネットで画像を検索したり、「ストリート・ビュー」などを駆使してセーヌ川河岸を散歩すれば、きっと驚くべき効果を得ることができると思います。

実際そうして検索してみると、2012年当時のストリート・ビューでは、シニャックのこの水彩画では、画面右手こそがシテ島ではないかという強力なヒントが得られました。

ここで、そうした方法による結果を述べれば、描かれている橋は、プティ・ブラ側に架かるポン=ヌフであり、画面前景の上流から画面深奥の下流に向かって流れていることが確信できました。

そして、私にはこれまで何が描かれているのか分からなかった作品中央部のやや左側、橋の上に見える2本の塔のような形が、ルーヴル美術館の一部が遠景に見えている形だと分かってきました。

ルーヴル美術館のどの部分の形か、それも確認ができました。

さて、今まであえて伏せてきましたが、シニャックのカタログ・レゾネの中に類似作品を探すことによっても、シニャックのこの水彩画に描かれている橋がポン=ヌフであり、セーヌ川の流れはプティ・ブラの方であることは確認できます。

茨城県のこの水彩画の画面右手側こそがシテ島であり、シニャックが正に描いたこの川辺のこの地点に容易に立つことができます。

そしてシニャックは、けっこう正確に、遠景にかすかに見える細部に至るまで、見かけ上のラフなスケッチにもかかわらず、正確に描写していることも分かりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする