Twitter上でも白髯さんが、私が中野さんの『怖い絵』について触れたとき、久世さんの『怖い絵』があるよと画像で反応してくれた。
実はこれらの本、タイトルばかりが同じなのでなく、久世さんの本にも、中野さんの本で取り上げられている作品がカラー図版で載っている。(*久世さんの本に載っている「死の島」のカラー図版、裏焼=逆版になっているから、読者は要注意です。)
いや、発行年順から言うなら、もちろんこれは別に悪いことではないと思うが、中野さんは、久世さんが扱ったのと同じ作品を2,3点取り上げている。
例えば、ベックリンの「死の島」とクノップフの「見捨てられた街」が、同じタイトルの本の異なる著者によって扱われている。
いずれもそれぞれの分野で著名な人たちが、「怖い絵」として書いているのだから、思わず読み比べてみたくなる。
これらの作品は、あくまで私の眼から見ればの話だが、美術史上それほど有名と言うほどの作品ではない。私自身の好みから言えば、いずれも美術作品として、ロマンティシズムが過剰な部類に属する作品と思う。
しかし、それだけにこれらの文筆家が、数ある美術作品の中から、同じ『怖い絵』というタイトルで、いくつか同じ作品を扱っているというのが面白く、さらに、どのように料理しているのかが興味深かった。
中野京子さんのは、文学的感性を示しながらも、一点の絵画作品に即した冷静な解説だが、久世光彦さんは自分の少年時代の体験や恋心とこれらの絵画作品のイメージを小説のように密着させながら、またはそのイメージを借りながら、濃密に自己の世界を語っていた。
もちろん、絵画作品のイメージの読み取りにあたっては、同じような文献を参照しているところもあるようだ。
ちなみに、もう亡くなられた久世光彦さん、東京大学では美学美術史を学んでいたのだった。