美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

久世光彦著『怖い絵』と中野京子著『怖い絵』

2016-10-20 16:46:01 | 西洋美術
中野京子さんの『怖い絵』(2007年刊)は、美術ファンによく知られているが、久世光彦さんにも全く同じタイトルの本(1991年刊)がある。

Twitter上でも白髯さんが、私が中野さんの『怖い絵』について触れたとき、久世さんの『怖い絵』があるよと画像で反応してくれた。

実はこれらの本、タイトルばかりが同じなのでなく、久世さんの本にも、中野さんの本で取り上げられている作品がカラー図版で載っている。(*久世さんの本に載っている「死の島」のカラー図版、裏焼=逆版になっているから、読者は要注意です。)

いや、発行年順から言うなら、もちろんこれは別に悪いことではないと思うが、中野さんは、久世さんが扱ったのと同じ作品を2,3点取り上げている。

例えば、ベックリンの「死の島」とクノップフの「見捨てられた街」が、同じタイトルの本の異なる著者によって扱われている。

いずれもそれぞれの分野で著名な人たちが、「怖い絵」として書いているのだから、思わず読み比べてみたくなる。

これらの作品は、あくまで私の眼から見ればの話だが、美術史上それほど有名と言うほどの作品ではない。私自身の好みから言えば、いずれも美術作品として、ロマンティシズムが過剰な部類に属する作品と思う。

しかし、それだけにこれらの文筆家が、数ある美術作品の中から、同じ『怖い絵』というタイトルで、いくつか同じ作品を扱っているというのが面白く、さらに、どのように料理しているのかが興味深かった。

中野京子さんのは、文学的感性を示しながらも、一点の絵画作品に即した冷静な解説だが、久世光彦さんは自分の少年時代の体験や恋心とこれらの絵画作品のイメージを小説のように密着させながら、またはそのイメージを借りながら、濃密に自己の世界を語っていた。

もちろん、絵画作品のイメージの読み取りにあたっては、同じような文献を参照しているところもあるようだ。

ちなみに、もう亡くなられた久世光彦さん、東京大学では美学美術史を学んでいたのだった。
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ハビエル・シエラ『プラド美術館の師』(八重樫克彦・由貴子訳)を読む

2016-05-31 12:09:18 | 西洋美術
以前から気になっていた『プラド美術館の師』を読む。

様々な読み方ができる本だが、亡霊のように現れるプラド美術館の師フォベルがいったい誰なのか、その目的は何なのかというミステリーとして読む人が多いかも知れない。

そう読んでも十分面白いが、私は一つには師フォベルの美術作品の解釈を、この本の筋書きから独立したものとして楽しみ、もう一つは主人公ハビエルの自己形成小説として読み終えた。

若い主人公ハビエルは、1990年12月、「よき師は弟子に準備ができて初めて現れる」とプラド美術館内で語りかけてきた正体不明の師フォベルに夢中になっていく。

フォベルは絵画作品を精神世界への扉を開くものとしてハビエルに様々なヒントを与え、また、次々と驚くべき解釈を示して彼を虜にする。

その解釈自体や背景が、事実に基づくとされる大変興味深いものであるから、読者の知的関心を大いに刺激するのだ。

ところで、若い主人公ハビエルは、著者ハビエル・シエラその人(と同一名)であることが、邦訳232頁で確かめられよう。

すると、著者自身の若い時代の自己形成がこの本の中に直接投影されているのではないかと思われ、ますます関心を引く。

本の終結部において、主人公ハビエルとともに読者は、フォベルが消え、フアン・ルイス神父が亡くなり、マリーナも離れていったことを知る。ハビエルは、新たな出発を自覚しなければならなくなったことだけは確かだ。

「未知なる師がぼくを選びながら、見放した」

その理由は、若いハビエルにはよくわからなったかもしれない。認めたくない事実だ。

だが若いハビエルは師に見放され、成長していくのだろう。

プラド美術館の師の謎、決して夢ではなかったことの謎は、こうして、20年後のさらに若い世代のこの本の読者に託されていく。





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ドガと清長

2015-09-29 12:44:26 | 西洋美術
ドガはダンサーの画家として最も有名だが、女性が入浴し、体を洗い、タオルで身体を拭く姿をパステルで描いた多くの作品も残している。これらは19世紀後半における傑出した裸体画だ。

人体を捉えるドガの素描の力強い的確さ、パステルを何層にも重ねた比類のない色彩世界、これらはむしろ少数の美術愛好家と職業画家とを唸らせるものかもしれない。

ドガが描いたこうした女性たちは、同時代の人たちには、これまでに<理想化>されてきた女性の<優美>なポーズが感じられなかったようであり、あまりに<日常的>な、それゆえに殆ど<美しくない>、むしろ<醜悪>な、あるいはそれらの裏返しの感情として<猥褻>なものと感じられたようである。

だが、ドガが描いた浴室での女性のポーズは、日常的で、現実の姿に近いものではあるが、醜悪でも、猥褻でもない。

それはむしろ清長の浮世絵における女湯の場面に見られるような日常的なリアリズムの視点に親近性を持っている。

ドガが清長の名前を知っていたことはよく知られている。そして清長の浮世絵も実際に所有し、見て、研究していた。その1点が上述の「女湯」である。

ただ、下図のようなポーズの清長の柱絵は、実際に彼が見ていたかどうかはまだ知られて
いないと思う。     

このポーズは彼の彫刻の中でもちょっと特異な感じがする「右足の裏を見るダンサー」のポーズにそっくりだし、ドガ以外の芸術家にも同様なものが見られるので、かなり前から私には気になっていたものだ。

ドガ以外の芸術家、例えばブールデルの小さな彫刻にも、宮本三郎のパステル画にも見られる。また、小森邦夫の等身大の彫刻にも見られる。

これらは、あるいは、ドガの「右足の裏を見るダンサー」のポーズからの影響かもしれない。モデルにとってこのポーズは3分と持たない姿勢であると私は小森氏から聞いたことがある。それは、現実の女性に、稀に、瞬間的にみられる姿勢と言ってよい。

清長の柱絵に見られるこのポーズは清広の下図のような作品の左側の女性にも見られる。(作品右上に書いてある文字は「子を持たぬ内が女房の初桜」と読める。)

腰をひねらせたポーズに女性の魅力を感じている芸術家の眼が反応しているのは明らかだろう。

(ただし清長と清広の浮世絵では、このポーズの女性は、より自然な形でゆったりと縁側に軽く座っているところからの動きである。これに対してドガ、ブールデル、宮本、小森の作品では、よりダイナミックに立ち姿からのムーヴマンとなっている。)

清長、清広からドガの彫刻やパステルの多数の裸体画へ、またドガの彫刻からブールデルや小森邦夫の彫刻へ、あるいは宮本三郎のパステル画へという時間軸での歴史的な影響関係は、まだ考えなくともよいだろう。

今のところ影響関係の問題として論じることができないとしても、清長の浮世絵に見られるこのポーズが、多くの芸術家の美的感受性を共通して刺激してきたことは間違いないことを確認しておきたい。



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「アルフレッド・シスレー展」練馬区立美術館

2015-09-20 11:45:22 | 西洋美術

今日から11月15日まで、練馬区立美術館で「アルフレッド・シスレー展 印象派、空と水辺の風景画家」展が始まった。
日本国内にあるシスレーの作品を努力の限りを尽くして集めた良い展覧会だ。
中村彝の弟子筋鈴木良三の初期作品など、シスレーが描いた場所に関連のある日本の洋画家の作品も見られる。

昨日、内覧会に行ってその展示の概要を見てきたが、近年の展覧会にありがちな作品数が多すぎてかえって疲れてしまうということがなくて、私などには大変好ましい数的内容の展覧会だった。

印象派の作品を、「テクノロジーと描かれた河川」という観点から見るという新機軸もある。
最初どういうことかと思ったが、研究上の新しい成果もいろいろ出ているようだ。

まだ図録をゆっくり読んでいないが、一例として茨城県近代美術館が持っているシスレー作品「葦の川辺、夕日」について言えば、作品タイトルの変更を迫るほどの刺激的な解説がある。

すなわち、この作品のタイトル"Le Gué de l'Epine,soleil couchant"の  l'Epineは、詳しく調べ上げられた結果、特定の地名であることがはっきりし、これは「レピーヌの浅瀬」と訳すべきものであったようだ。
そして、運河と違い船が通れないような浅瀬がまさにLe Guéなのだという。

このようにタイトルの原題を明らかにしたのは、新しい視点から作品を考察した成果の一つに違いない。
もちろん「葦の川辺」であることは間違いないようだが、描かれた場所が特定されたということはきわめて重要だろう。

さらに茨城県のシスレーと鹿児島市立美術館のシスレーが関連作品ではないかという指摘もなされている。
これは、茨城県にとっても鹿児島市にとってもこれからの作品解説や研究で大変有意義な指摘になるものと言ってよいのではないか。

美術作品の貸借は、借りる側ばかりでなく、貸す方にもこういうメリット(研究成果の新しい享受)があるとあらためてわかるようなよい事例ではなかろうか。鑑賞者にとっても、もちろん有益な情報である。



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『偽りの来歴』からのメモ(2)

2015-09-12 10:32:04 | 西洋美術
ハンガリー人エルミール・ドゥ・ホリーはマティス、モディリアーニ、ピカソなど1000点ほどの贋作を20年間にわたり描き、1968年に逮捕。
クリフォード・アーヴィングの伝記小説『贋作』は彼を主人公とする。
この作者はハワード・ヒューズの想像上の伝記を書いて投獄された。
『贋作』はオーソン・ウェルズの1975年の偽りのドキュメンタリー映画『フェイク』のベースとなった。
ウェルズは1938年に火星人来襲のニュース放送を流していた。

修復家トム・キーティングは1976年、2000点以上の贋作を告白した。
自叙伝『贋作者』
死後、オリジナルが売れた。

過去10年、オークション会社はドゥリューの痕跡のある作品を少なくとも200点以上扱ってきた。
1996年1月ドゥリューの捜査 p272

刑事事件の証拠物件の数
デュビュッフェ財団理事長は贋作18件を本物とした。p274

聖マリアの下僕修道会に入るとミドル・ネームにマリアを入れる。元のミドル・ネームは入れない。p277

1950年代の活版印刷でなく、化学的プロセスのリトで印刷した。p283

1992年スーラ展で借用をメットが取り止めたら訴訟となった。後、示談となる。p285

serifの部分に傷 p299

紙の分析:現代の紙は紫外線の下で輝く蛍光増白剤を含んでいる。p300
発光の明暗度の違いを基に小さく破られた紙片から元の1枚の紙を再構成する。

ドゥリューの動機と努力の源:人々を愚弄する喜び、専門家に対する軽蔑心、金銭 →6年の刑

「美術界全体が腐っているのになぜ僕にだけ目をつける?」

2000年夏、釈放。

ドゥリュー:1960年代~80年代初頭まで何の活動記録もない。医療・納税の記録もない。正規の雇用記録もない。前科もない。

オリガミスト:自分に与えられなかった注意や称賛を探し求める。
自分が想像した自分像によって「おりたたまれ」ている。病的虚言癖の人
前頭葉前部の皮質が平均より25パーセント多く白質を含んでいる。⁇
白質:因果関係の理解を司るルーティングシステムの機能を果たす。⁇

アート・ビート班の警官:学芸員や美術史家を警官として雇い、逮捕の権限も与える。2007年以後。p326
バーモンジーのアンティーク・マーケット
ケンジントン・チャーチ・ストリート、ボンド・ストリートの画廊街
カムデン・パッセージのマーケットなどのパトロール

美術品犯罪の記録を世界的に網羅するデータ・ベース:ALR(アート・ロス・レジスター)p327
英国の警察は偽物の現物破壊を禁じられている。フランス、ベルギーでは禁じられていない

美術特捜班はV&A美術館で贋作展を組織した。

ジャコメッティ協会とジャコメッティ財団

ジョン・マイアット、メアリー・ライザ・パーマー、P.ネイハム、バーガー、フォックス=ピット、ブース



















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