美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

小川芋銭『草汁漫画』「時鳥」と「ぬけがけ」(続)

2019-08-04 19:17:00 | 小川芋銭


(画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
標記本の当該頁は2図より成る。右の図には男の首と肌けた片脚が波間に見える。その上に「しらじらと みじか夜 船頭の 首にあけ」との賛。夜明けの雲と上弦に傾く月が図の上端部に。(上弦の月か下弦の月かは明け方の弦の位置による。また、上弦の月でも下弦の月でも、明け方には、弦は右上から左下になる。だが、絵では夜明け前の月の形にはなっていない。)

左の図は、水滴を垂らした馬に、鎧兜の一人の武将が影絵姿で描き出されている。やはり朝の雲と半月、そして恐らく左上端部に飛んでいる鳥は時鳥だろう。

なぜ影絵姿でこの武将が表現されているか、それは「ぬけがけ夏の月」という賛が暗示している。

右の図の上の活字にはこう書いてある。

渡守は延金びらり
忽笠の台を異にして空しく盛綱が功名一番の犠牲となりぬ。

渡守の船頭は、盛綱の功名一番名乗りのために犠牲となったようだ。

同様に、左図の下にはこうある。

アー油断のならぬ世間の盛綱其手で桑名の焼蛤と用心ゆめゆめ忘るべからず

これで、これら二つの図が意味するところはほぼ明らかだろう。

右の図の賛にある「みじか夜船頭の首に明け」とは、船頭の首が斬られる事件が起き、早くも朝がきたと。波間に浮かぶ首と片脚は、もちろん犠牲者のそれだと。

誰が斬ったか。犯人はもちろん影絵の男である。

「延金びらり」の「延金」とはここでは刀剣のことだろう。それが「びらり」と一閃。

そして忽ち「笠の台を異にして」の「笠の台」とは、すなわち人の首のことだ。それが斬り落とされた。

彼を斬ったのは盛綱、佐々木盛綱である。

盛綱は、馬でも渡れる浅瀬を教えてくれた渡守の首を斬った。自分の功名をいっそう輝かしいものに見せようと、その事実を隠すため、こんなことをした。

「しらじらと」短い夜が明けるのは、まさにそれが自己の功名のための抜け駆けだったからだ。

そんな白々しい抜け駆けをする「世間の盛綱」にその手は食わない、用心せよとの警告。

謡曲「藤戸」が典拠の図であるが、これは前の頁の「時鳥」に出てくる友切丸の図に緩やかに繋げて解釈できる。

浅瀬を教えてくれた渡守は敵ではないのに、盛綱の「延金」は「びらり」とその首を刎ねたからだ。

前の頁で「さやばしる友切丸や時鳥」の友切丸は、「友」である並べ置かれた刀を、自ら鞘を出て切ったが、盛綱の「延金」は、決して「鞘走って」斬ったのではない。

やはりそこには人間の詰まらぬ意思が働いていたのだ。芋銭はそこを言っている。

影絵姿となって表現されている罪深い盛綱の行為を見た時鳥もその事実に驚いて彼方へと飛んで行ったのだろう。

謡曲の「藤戸」は、盛綱をめぐる人間像をこれほど単純には描いてないが、彼の行為の本質は動かせないのである。

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小川芋銭『草汁漫画』「時鳥」と「ぬけがけ」

2019-08-04 06:08:00 | 小川芋銭


(画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
芋銭の『草汁漫画』は、同じ頁の2図または前の頁とその後の頁とが意味的な繋がりを持っていることがしばしばある。

そういう意味的な繋がりを自ら感じて読むことは、この本を読むことの面白さの一つであろう。

夏の部の47頁と48頁の図も、その図像内容に意味的な繋がりがある。(48頁の題目「ぬけがら」は恐らく「ぬけがけ」の誤植だろうから、ここでは後者で表記する。)

先ず47頁の「時鳥」だが、これは、帯刀した一人の武将の図と蕪村の句「さや走る友切丸や時鳥」の文字が大きく書かれているだけのものだ。

「鞘走る」という言葉、ご存じだろうか。刀が自然に鞘を抜け出すことを言うらしい。

そんなバカなと思うだろうが、名刀、怪刀、妖刀などと呼ばれる妖しい光を放つ刀はそんな性質を持っているとされる伝説が多い。

端居して刀の手入れをしていると、虫がブンブン飛んできて自らその刀に斬られに行ったとか、如何にもありそうな話ではある。

蕪村の句で友切丸と称するのは、それが別の長い名刀と並べ置かれたところ、神秘的に鞘走って、その刀が斬られてしまったという伝説に基づくようだ。

鞘走る名刀は、まさに生命と感情を持った生き物のようである。

そんな友切丸が夏の鳥である時鳥の鋭い鳴き声に対比されて、実景というよりも不思議に観念的な、瞬間の音と光の景を眼前させる一片の詩的絵画を描き出したというのがこの句だろう。

芋銭の図の方、武将の周りに大蛇のようなものが描かれているのも、友切丸の過去の鞘走った伝説に関連があるのかも知れない。

では、この「時鳥」と次の頁の「ぬけがけ」とはどんな意味的な繋がりがあるのだろうか。それを見ていこう。







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小川芋銭『草汁漫画』「須磨夏暁」と芭蕉の句(続)

2019-07-30 14:37:00 | 小川芋銭
『笈の小文』の須磨の句には「白芥子」との語は出てこない。

「海士の顔先づ見らるるやけしの花」の「けしの花」だけである。そして、この句の前にこのように描写されている。

…山は若葉に黒みかかりて、時鳥鳴き出づべきしののめも、海の方よりしらみそめたるに、上野とおぼしき所は麦の穂浪あからみあひて、漁人の軒近き芥子の花のたえだえに見渡さる。

白くなってきたのは曙の「海の方」だったが、「芥子の花」は、白だったとは書いていない。

この辺の記述が、芋銭の記憶の中にもあったであろう『野ざらし紀行』における芭蕉の有名な別の句、すなわち弟子の杜国に贈った次の句と交錯した可能性がある。

白げしに羽もぐ蝶のかたみ哉

この句と、先の文章が芋銭の記憶で混交して、

  須磨の曙に
白芥子を描きしは
  芭蕉の巧なり

という芋銭の短文になったのではないかと察する。

芭蕉は、門人の杜国を非常に愛しており、尾張で彼に逢い、彼を「白芥子」、自らを「羽もぐ蝶」に喩え、別れに詠んだのが先の「白げしに羽もぐ蝶のかたみ哉」だった。

また、芭蕉は、『笈の小文』によると、鳴門から杜国が罪を得て蟄居していた保美というところまで二十五里も引き返し、伊良古崎では、杜国を鷹に準えたと言われるこんな句も詠んだ。

鷹一つ見付けて嬉しいらこ崎

以前「白芥子」に擬された杜国は、罪を得て弱っていると思われたが逢ってみると意外に元気で、今や、伊良古崎の鷹に喩えて芭蕉は喜んだのだろう。

その後、杜国については『笈の小文』にこうある。

かの伊良古崎にて契り置きし人の伊勢にて出迎ひ、共に旅寝のあはれをも見、かつは我が為に童子となりて、道の便りにもならんと、自ら萬菊丸といふ。まことに童らしき名のさまいと興有り。いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書す。
乾坤無住同行二人

こうして、芭蕉は杜国と同道して吉野の花を見に行く。

そのほか杜国と芭蕉との関連については、芭蕉が彼を夢にまで見ていることが知られている(「夢に杜国か事をいひ出して、涕泣して覚ム…謂所念夢也」『嵯峨日記』)。

以上の通り、芭蕉にとって、「白芥子」のイメージは、杜国に結びつく特異なモチーフであった。

明らかに『笈の小文』を読んでいた芋銭は、若い頃は画人としてより、むしろ俳人として知られていたほどであり、芭蕉と杜国との関係も当然知っていたろう。

芋銭の俳諧仲間や寄寓先などで話題になりやすい事柄でもあったろうと思われる。

よって『野ざらし紀行』にある「白げしに羽もぐ蝶のかたみ哉」の句も当然芋銭は知っていたと考えてよい。

知っていたからこそ、『笈の小文』の須磨における「軒近き芥子の花」に関連付けられるべき図に添えた短文で、杜国に結びつく「白芥子」のイメージに、脳裏で変換されてしまったのだ。

そしてこの白芥子のイメージに引っ張られて、次に、自決を計った虞美人の鮮血を思わせる芥子の花、虞美人草のイメージを導き、愛と死を連想させる色即是空という言葉を介して、芥子坊主へと結ぶ。それが短文の後半部となる。

精血彩る虞美人草
   色即是空は
芥子坊主なり

こうして見ていくと、「海士の顔先づみらるるやけしの花」という芭蕉の句における「海士」を、芋銭は、この図で「勝手に」、海女もしくは海士の家族の女性に置き換えたと前に述べたが、芋銭は意識的にこの女性を当代の虞美人に見立てて描いたのかもしれない。すると、この『漫画』もいっそう面白く感じられるのではなかろうか。






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小川芋銭『草汁漫画』「須磨夏暁」と芭蕉の句

2019-07-29 19:50:00 | 小川芋銭



標記本53ページ「須摩夏暁」の図(画像は『小川芋銭全作品集 挿絵編』から引用)と、添えられた短文において、「須磨」を「須摩」と表記しているが、ここでは以下、須磨と書いて論じる。

さて、この図に添えられている短文とは以下のようなものである。

   須磨の曙に
白芥子を描きしは
   芭蕉の巧なり
精血彩る虞美人草
   色即是空は
芥子坊主なり

芋銭が『笈の小文』を読んでいたことは、その冒頭部分を賛にした他の作品があることにによっても確かなことだ。

しかし、既にこの図において、上記の「須磨の曙」と「芭蕉の巧」という言葉から、彼がこれを描くにあたって、『笈の小文』からインスピレーションを得ていたことが想像される。

そのことを、ここに書いておこう。

まず図を見ると、画面前景右に大きく女性の頭部、左に植物の形象が認められ、中景から遠景にかけて海と島が見える。これは須磨の海と淡路島か。そして水平線の上方には一羽の鳥が飛んでいるという単純な構図。

須磨の夏は、「月見ても物たらはずや須磨の夏」なのだ。

図の中の植物の形象は、上の短文から芥子坊主だろうと察しがつく。

ここで、『笈の小文』の終わりの方を読んでいくと、確かに次のような句が見出せる。

海士の顔先づ見らるるやけしの花

須磨の蜑の矢先に鳴くか郭公

ほととぎす消え行く方や嶋一つ

これらは、いくつかピックアップしたものだが、この図に関連していると思われる句として出した。

ここから、先ず疑問を持たれるのは、絵の人物が、男性でなく女性の頭像ということだろう。

芭蕉の句では海士または蜑だが、これは芋銭が「海士の顔先づ見らるるやけしの花」の句を、海女、または漁師の妻など家族に勝手に置き替えて図にしたものと解せばよいだろう。絵は自由なのだ。

この一句だけで、唐突なまでに大きく描かれた図の前景の骨格が浮かび上がる。

次に「須磨の蜑の矢先に鳴くか郭公」の句から、図の中に飛んでいる鳥が郭公として登場してくる。

なぜ、鳥が「蜑の矢先」に鳴くかは、『笈の小文』に書いてあるから省略する。

そしてその鳥が嶋の彼方に消えていく。「ほととぎす消え行く方や嶋一つ」

以上のように芋銭の「須磨夏暁」の図は、芭蕉のこの三句から、蜑と芥子、時鳥、海、嶋のすべてのモチーフが導き出せる。

だが、芭蕉の芸術に関心のある人なら、芋銭が上の短文で「須磨の曙に白芥子を描きしは」と言っていることに重大な疑念を持つかもしれない。

実際、芭蕉は『笈の小文』の須磨の記述で芥子を詠んでいても、ここでは「白芥子」とは言っていないのだ。

この点について次に考えてみよう。

















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小川芋銭『草汁漫画』「霊照女」と<茶の花>のイメージ

2019-07-28 11:34:00 | 小川芋銭
茶の花やほるる人なき霊照女

これは越智越人の俳句であるが、これを賛とした芋銭の図が標記本の「霊照女」である。

霊照女の画題は、日本で茶の文化が生まれた禅の時代に親しい道釈人物の画題であり、次第に美人画的な要素も入って、鑑賞されるようになったようだ。

茶の花は、白と黄色の小さな花だが、あまり人の目を惹くことはないと言ってもよいだろう。季語としては冬の花である。

そんな茶の花の目立たないが凛とした佇まいを霊照女に喩えたのが越人の句のようだ。

茶の花の美は、禅の文化に相応しく霊照女の美であり、霊照女の美は茶の花の美に喩えられたと言ってよいのかもしれない。

そうした美に気付かずにかどうか、惚れる人さえいないのが茶の花=霊照女なのだろう。

おそらく、芋銭にとって、茶の花のイメージは、越人の句を介して、霊照女であったのだが、同じ『草汁漫画』の茶の花二輪が描かれている「霜香」に添えられた短文(色彩感覚鮮やかな蕪村のニ句を変形・対比したもの)にはこう書いている。

道の辺の馬糞に燃ゆる
紅梅の思は消へて
白にも黄にも覚束なき
茶の花の我世は
          淋しかりけり

「我世」とは誰だろう。芋銭自身のことか、それとも茶の花である霊照女のことか。

芋銭の「霊照女」に描かれているのはもちろん伝統的な図像の彼女ではなく現代の霊照女である女性だ。

彼女の脇にいる手拭いを被った女性が「うれしかッぺい」と語りかけているが、後ろ向きの若い彼女の返事は解らない。


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