箱を出る顔わすれめや雛二対 蕪村
— rk70 (@tikarato) 2019年3月3日 - 17:16
長谷川櫂氏は一対でなく二対であるところが句の要と言っている。今日の新聞コラムより
雛がニ対あって、字義通り読んでもいいのだが、箱を出る雛の顔に忘れられない他の思いが重ねられていることは確かだろう。 twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年3月3日 - 17:23
箱を出る顔わすれめや雛二対 蕪村
— rk70 (@tikarato) 2019年3月3日 - 17:36
一対でなく、ニ対と言うことによって、雛箱を開ける時空間が心理的に複雑なものに感じられ、箱から出てきた雛の顔に忘れられない他の思いが重っているようだ。