小原無絃(要逸)訳『バーンスの詩』
明治39年2月に出版されたこんな本を見つけた。
何処に見つけたかというと、これが何と小川芋銭の『草汁漫画』を明治41年6月に出版した日高有倫堂の広告の中にあった。
しかも、まさしく『草汁漫画』そのものの奥付の後に付いた広告の中に見つけた。
こんなことから想像すると、やはり芋銭の『草汁漫画』「小春の午後」の中に出てくる「バーンス」とは、やはりロバート・バーンズのことに相違ないと思うのだ。
おそらく芋銭は、自分の本が出版されることになる同じ出版社の原文対照の詩によるこの本を読んでいたのではないか。
この本の評価は高く、例えば「明治期におけるバーンズ流入」を書いた難波利夫氏は、こう言っている。
「無絃小原要逸は、始めて ここに単行本の 「バーンスの詩」が、明治末期、堂々本格 的の出現と相成った次第である。」
「無絃小原要逸は、始めて ここに単行本の 「バーンスの詩」が、明治末期、堂々本格 的の出現と相成った次第である。」
しかも、既に小原無絃が、バーンズを
「その人や 多感多情 にして、功名の心燃 ゆるが如 く、その詩や古法旧格を脱して天真林直の精神を現じ、最も創新を以て勝る」と説いている点について、
「実に要を得た概括である」と称えている。
「実に要を得た概括である」と称えている。
これによって、芋銭が『草汁漫画』を出版するころ、バーンズは、単に素朴な「農民詩人」というだけでなく、「多感多情」の人であり、「功名の心燃ゆるが如き」人であったことも知られていたと言ってよかろう。