(それなればこそ、君がこの常夜の地を無事に脱して地上に戻り、再び美しい星々を仰ぎみんことを。いつの日か…ダンテ「地獄篇」より)
茨城県近代美術館のエントランス・ホールにロダンの標記の作品がある。
この作品、よく観察してみると同じ男性像の3体が組み合わされて一つの作品となったものだ。その同じ男性像は、ロダンによる単体のアダムの像に似ているが、同一ではない。
この「3つの影」は、ロダンが構想した「地獄の門」の最上部に位置する右腕がもがれた「3つの影」にもちろん関連した作品である。その最上部の下方のティンパヌム相当部分に有名な「考える人」が位置する。後者は「詩人」とも呼ばれ、当初は『神曲』の作者ダンテを表現しようとしたとされるが、練り直されたものである。
ロダンの「地獄の門」は、もともとダンテの『神曲』「地獄篇」から主題上の最初の構想を得ていた。
ダンテの『神曲』「地獄篇」における<地獄の門>には有名な銘文が記されていた。この門を過ぎるものはすべての希望を捨てよという絶望的な詩句である。
そして、ロダンの門自体には、ダンテの「地獄篇」でも有名な「パオロとフランチェスカ」や「ウゴリーノと息子たち」のような重要な主題がある。ロダンの「地獄の門」は、ダンテの「地獄篇」を色濃く反映した作品であることは間違いない。もちろん構想は変転し、他の主題も加えられて行くが。
ロダンの「地獄の門」は、造形的・形式的には、フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂におけるギベルティの「天国の門」を意識した作品としてしばしば言及される。
そればかりか、門の上に3人の人物像を置く構想も同洗礼堂のアンドレア・サンソヴィーノの「キリストの洗礼」に形式的に対応していると見做せるようだ。
さて、先に触れたダンテの<地獄の門>の銘文は、門自体が一人称で語っている。すなわち下の「我」とは門自体のことである。
「我を経て悲しみの都に至る」
・・・
「いっさいの希望を棄てよ、汝らここから入る者」
ここで思う。まぐさの最上部中央に位置する「3つの影」とはいったい何なのだろう。「影」とはどんな意味なのだろう。
ダンテの「地獄篇」で門自体が一人称で語っているところから見ると、門の最上部にあるロダンのこの作品は、一切の希望なき銘文の内容を具体的に表徴させたものだろうか。
また、同一の男性像が、脱力したような姿勢で下方に緩く指差しているようなポーズをとっているのはなぜだろう。そしてそれには何らかの意味があるのだろうか。そうした疑問が次々と浮かぶ。
彼らは、誇張された筋肉質の肉体を持っているが、決して力強く、意志的に、一斉に「拳」を下に向けているのではなさそうである…むしろ、彼らの下部にいて、「地獄の門」を眺めやる詩人、「考える人」の方を指しているようにも見えなくはない。また、門自体を提示しているのかもしれない。
だが、この3人群像の中心部下方に集中する彼らの手は多義的であり、意味的にはかなり曖昧に表現されているように見える。
「3つの影」の単体の男性像は、先に触れたように完全には同一ではないが確かにロダンのアダム、より激しく身体を屈曲させているアダムに似ている。
しかも、拡大された「3つの影」における単体は緩く垂れ下がって表現されている左腕を水平に持ち上げるなら、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画におけるアダムの左指、今、創造主たる神の右指に触れて生命の息吹を捉えようとする(または、与えられようとする)アダムの左指をも想起させる。
一方、ロダンの単体の「アダム」と、拡大された「3つの影」における単体の男性像の右脚や、脱力したような全体ポーズは、ミケランジェロの「バンディーニのピエタ」における十字架降架後のキリストのポーズを思わせる。
ロダンの「アダム」とこの「3つの影」における単体のポーズの概要は、背後にニコデモがいる「バンディーニのピエタ」におけるキリスト像が造形的な由来かもしれない。
もちろんミケランジェロのキリスト像は死せるイエスであるから、完全に重力に身を任せ、激しく身体を折り曲げている。これに対してロダンの像は、生きて激しく苦悶しているアダムか、もしくは「影」としての像であるから、身体をすべて重力に任せているわけではなさそうである。
しかし、ロダンの「アダム」と「3つの影」の「影」の造形的な由来が、ミケランジェロの「バンディーニのピエタ」のキリスト像に多少とも関連があることが認められるとしても、「3つの影」における「影」に何か意味的な繫がりが認められるだろうか。
仮にミケランジェロの死せるキリストがロダンの苦悶するアダム像の造形的な由来だとしても、ロダンの「影」が死せるキリストと主題的・意味的に即座に重なるとは考え難い。同一形象であるから三位一体ではないかと捉えるのもかなりの飛躍ではないか。
しかし、もし、この「影」の意味をダンテの「地獄篇」との関連から導き出してよいものとするなら、それは、ダンテが地獄巡りの中で見ているあの生きているような死者たちを意味する「影」と考えるのが最も自然だろう。
すなわち生けるが如き「亡者」あるいは「霊」、「亡霊」、死せる者の「魂」などと解せるかもしれない。
実際、フランス語の「影」に相当するダンテが「地獄篇」で用いてる「影」という語は、「地獄篇」にしばしば出て来るが、和訳でそのまま「影」と訳すとかえって解りにくい。よって、そうはなっていないことが多い。
しかし、ロダンの造形作品のタイトルとしては、そのまま「影」と訳されても、直ちに不都合はない。
いや、むしろ日本の西洋美術史家や翻訳者たちには、意味はやや曖昧で、多義的であっても問題ないと思われたのか、そのまま「影」となっている。
しかし、ダンテの「地獄篇」には、実はロダンの「3つの影」に関連していると思われる重要な記述があるのだ。
すなわち、ある解説によれば、それは、「地獄篇」の第16歌である。
ここには、まさに「3つの影」が登場している。他にも「3つの影」は登場するが、とりわけ16歌が興味深い。なぜならその解説では彼らは旋回する「ダンス」をしながら地獄の悲惨さを語っているとされているからである。
してみると、ロダンの「3つの影」において、彼らが脱力、もしくはあたかも酩酊しているように左手を合わせているように見えるのは、右手は既に離れているが、ダンテの作品におけるこの旋回する「ダンス」(の名残り)を表徴しているとも見える。(註※)
ダンテの『神曲』においては、いわゆる<死の舞踏>の先触れにも見える亡者の旋回する動きであり、ロダンの「3つの影」においては、その遠い反響とも言える「地獄篇」第16歌における亡者の旋回するポーズである。
また、彼らが緩やかに詩人の方向を指しているのも、謂わば「ダンテを読め」とでも解しうるが、それは作品を見る者の自由であろう。
ロダンの「3つの影」のポーズの原型は、おそらくダンテが「3人の亡者(=影)」と述べている3人のフィレンツェ人の奇妙な旋回に発想の根源があるのかもしれない。
彼らはそのように旋回しながら彼らの悲惨さを語るのである。
しかしながら、ロダンの「3つの影」が意味するものは、決して絶望には終わっていない可能性もある。なぜなら、「地獄篇」16歌で「3つの影(=3人のフィレンツェ人の亡霊)は、ダンテにこのようにも言っているからだ。
「いつの日か『私は(地獄に)行った』というのが、君の悦びとなる、
その時、どうかわれらのことを(地上の)人々に話してもらいたい」。
そしてこの詩句、「いつの日か」以下は、ホメーロスの『オデュッセイア』にある「きっとこの苦しみは、いつの日か、思い出のタネとなるだろう」や、もしくは、ウェルギリウスの『アエネーイス』の中の「きっといつの日か、これらの苦難を思い出すことが喜びとなる日が必ずやって来る」を受け継いだものという。(註※※)
とすれば、ロダンの「3つの影」も、「地獄の門」の銘文が象徴する絶望や苦難でなく、むしろ<苦難>から、「いつの日か」(の歓び)への転換を示唆しているかもしれないと思いたいのである。
註※3人が「ダンス」をしていると解するのはその解説においてである。ただ、ブレイクなどの挿図でも3人がサークルを描いているから、一般に回転する踊りのイメージで捉えられていたことは確かだ。
註※※「いつの日か」については、「ダンテ・アリギエーリ『神曲 地獄篇(第1歌~第17歌)16‐2』(たんめん老人のたんたん日記)」を参照させていただきました。