茨城県近代美術館に1点だけルノワールの油彩画がある。
「マドモワゼル・フランソワ」という作品で、1917年の年記がある。彼が亡くなるのは1919年であるから、最晩年の作品だ。
購入当初、「マドモワゼル・フランソワーズ」と言われていたが、これは改められた。
赤と黄と白を主体にした衣装の色調、大きく緩やかな筆法、背景には薄塗の暗緑色の色調も見える。この背景とともに、両腕から下は、未完成という感じが強い。
だが、顔は眼のあたりを中心に、実物に接するとこの時期の作品としては、意外に緻密にモデリングされている。
口唇部周辺はモデルの個性というよりも、ルノワールの描く多くの女性に共通したフォルム上の特徴を示している。いかにもルノワール風の唇といってよい。モデルの頭部の向かって右側にバラ色の髪飾りを付けているのも、ルノワール好みのものである。
茨城県近代美術館は1988年に開館したが、その最初の展覧会に「モネとその仲間たち」展が開かれた。その時、モネの二つの睡蓮の間があることで有名なオランジュリー美術館から、ルノワールの「バラの髪飾りをつけたブロンド娘」が来た(写真左の作品)。制作年は1915‐17年頃である。(ちなみにこの時、P.ヴァレリーが絶賛したベルト・モリゾを描いたあのマネの作品も来ていた。)
この作品のモデルは、デデで、のちにルノワールの息子で映画監督となったジャン・ルノワールの妻となった女性である。女優名としては、カトリーヌ・エスラン(ヘスリングと日本ではカタカナ表記されることもある)として知られている。このころ15歳から17歳くらい。
実は、このデデが着ている衣装は、茨城県の「フランソワ嬢」が来ている衣装と全く同じである。もちろん頭部のバラの髪飾りも。このことは、この展覧会の際に初めて指摘された。
しかし、この事実は驚くべきことではないか。いかに当時、東方趣味の衣装の流行があったとしても、モデルがそれぞれ偶然に同じ衣装を着て画家の前に現れたとは考え難い。
ルノワールは、1914年の年記のある作品で、オーストリアの舞台俳優で映画女優のティラ・デュリューの肖像を描いている。ここでもモデルは同じようなモードのポール・ポワレ風の衣装をまとっているが、少なくともデデとは違うものだ(写真右の作品)。
ただ、バラの髪飾りは、やはり画家の趣味だろうし、その見立てかもしれない。あるいは衣装も、芸術家側からの提示があって着ているのかもしれない。それでも衣装は全く同じではない。
一般に肖像画は、モデル側から依頼されて、つまり注文されて、モデルは自分の好みの衣装を身に着けて、描かれる場合が多いが、茨城のフランソワ嬢は果たしてこうした意味での肖像画なのだろうか。
オランジュリーのデデも肖像画と言えなくはなかろうが、衣装も含めて明らかにルノワールの好みの色に染め上げられた女性人物画だろう。
少なくとも、注文があって描かれた肖像画ではない。明らかに画家が芸術家として、自由に描きたいから描いた作品である。
茨城の「フランソワ嬢」がモデル側から注文した肖像画としたなら、これほど画家好みになってしまう肖像画をどう考えたらよいのだろう。しかも、署名はあるが、やや未完である。
この作品の最初の所有者はフランソワなる人物だ。
しかし、モデルは果たしてこのフランソワ家関連の女性なのか。それとも単に、最初の所有者にちなんでモデルをフランソワ嬢と呼んでいるだけなのだろうか。
こうなると、モデルが最初の所有者であるフランソワとは関係ない女性であることも考え得るだろう。
フランソワ嬢とは誰なのか?モデルのことが未だ何もわからないのである。
ただ言えることは、ここには、明らかにモデルよりも芸術家の優位が認められるという点である。