気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

ここが出雲大社

2015-12-23 | 旅行記

山陰地方の北西端、その山裾に神話の土地、島根県簸川郡大社町杵築東宮内195がありました。古事記の「大国主神の国譲り」に巨大な建造物が登場する、その場所がこの地です。

その昔、杵築(キヅキ)の郷(サト)の杵築大社(キヅキタイシャ・キヅキノオオヤシロ)と呼ばれていたそうですが、巨大な建造物の子孫は、明治4年(1871年)、出雲大社に改称されました。

出雲大社前の交差点から、石段を上がり参道に入る所に木造の二の鳥居があります。

この場所・勢溜(セイダマリ)は集客においては、一等地です。かつては露天商が並び、市が立ったり、芝居小屋や、見世物小屋・・・繁盛して多くの人の勢いが集まり、留まる場所・・・勢留(セイダマリ)と呼ばれています。

今日では、スターバックス(コーヒーチェーン店)が大きな看板を出していて、目を引きました。

鳥居をくぐる前に、左のお知らせを・・・神様が11月21日に日本全国から集まって来られて11月28日まで、この一週間は会議中と札が下がっています。

・・・隣国・中華人民共和国、韓国、北朝鮮とのお付き合いについて、知恵を出しあって会議をされているのでしょう。

二の鳥居・勢溜の大鳥居(正門鳥居)の先、右側に境内の案内板が立っているようです。

ここの特徴は、海岸に近いことでしょうか。参道は多くの松林に囲まれて防風林の役目も兼ねています。

ここから参道は下り坂になるので、鳥居の立つこの辺が一番の高台です。

坂道を進むと少し先の右側に、小さな社(ヤシロ)、

祓社(ハライノヤシロ)です。祓戸四柱神が祀られていて、ここで心身を祓い清めます。

そして、間もなく祓橋を渡り、参道が左右に分かれています。前方を見ると松林の間に、三の鳥居・鉄鳥居が見えました。

では、右側の参道を進みましょう。

立札が見えます、近寄ってみましょう。

松の根の保護のために、この一帯だけ参道を左右にずらしてたのでした。

年間約200万人もの参拝客があるそうですから、松も大変でしょう。

参道右横からこの先の本殿がある裏山を眺めてみます。

・・・何故、8世紀の大和朝廷が、奈良から遠く離れたこの地を重要視しながらも、神話の世界として記録に残したのでしょう。これから創る天皇制のストーリーが主役であり、衰退期にあったこの地の歴史は、異文化のストーリーとして完結させたかったのでしょうか。

すぐ近くに、古事記の世界がありました。二つのモニュメントが並んでいます。

出雲大社の御祭神・大国主大神は神性を養われ「ムスビの大神」となられました。えんむすびの神と慕われるゆえん と

「ムスビの御神像」でこの様な説明がされています。

また参道を挟んで西隣には、因幡の白うさぎの神話から御慈愛の御神像が置かれています。

隣が手水舎です。

荒垣が並ぶ中央に、重厚感のある四の鳥居があります。

国の重要文化財、胴鳥居、1,666年に毛利綱広によって寄進された由来が刻み込まれているようです。

入って左側はこの様な風景です。

ここは天神さまではないのに、牛がいるようです。牛舎ではないです。

神馬神牛像のようです。神様の乗り物とされる動物で、神馬は子宝を授かり安産に、神牛はここでも学力向上にご利益があるそうです。

では、拝殿に向かいましょう。

鳥居の先右斜め前方に銅屋根の建物があります。この拝殿は戦後(昭和28年)焼失してしまい、昭和34年に現在の拝殿が完成しています。

高さは12.9mとあります。

大きなしめ縄の先で、伊勢神宮などとは違う古式といわれる参拝方法があるようです。

賽銭を入れ、「二礼四拍手一礼」がこの地の作法のようです。

参拝を終えて境内の右側に

この出雲大社の遷宮(セングウ)が完了したことが掲げられていました。

 

「平成の大遷宮」が二年前平成25年5月10日新本殿が修復され完了されたとのこと

右隣の写真が、古代文明の謎が解き明かされる・・・以前大きなニュースになった発掘の写真です。

イラストを拡大してみましょう。

新聞などで見られた方も多いと思います。・・・かつて古事記に書かれた天まで届く巨大な建物があったという。案内板には・・・平安時代(970年)の子供の教科書に東大寺の大仏殿(高さ45m)よりも大きく、48mと伝えられ、階段の長さを一町(約109m)と記しています。

当時の木造建築の技術では48mの高層建築は無理・・・木造は腐るし・・・否定的な意見が多かった所にこの境内から丸太の基礎部分が発掘されたのでした。

この後に発掘された場所を見てみましょう。

その前に、隣のテントに入ってみましょう。

龍蛇神 をどうぞご自由にご参拝くださいとあります。

神棚がありました。参拝しお神酒を頂き、その盃を頂いて・・・お札も必要数頂きました。

・・・大国主大神は因幡の白うさぎの話では、大きな袋を担いでいました。そこから後にだいこくさまと言われているようです。

さて、拝殿とテントの間を進むと、拝殿の裏に御本殿がありました。

拝殿でお参りしているので、その真裏の本殿にもお参りをしたことになります。

本殿は四方を垣(瑞垣ミズガキ)で囲まれています。この前を左(西)に進み、御守門の先を右(北)に曲がると一段高い本殿が見えます。

そして中ほどにこの様な案内板があります。

本殿は参道や鳥居のある南が正面となりますが、殿内の御神座は西向きとなっています。

昔より参拝は大神様に向かい合う正面(西側)より礼拝なさいます。

どうぞ御礼拝下さいませ。  出雲大社

「拝礼作法」二拝四拍手1拝・・・・・と書かれてありました。

南の正面に戻ろう。

正面の八足門から本殿に向かい礼拝します。この階段の手前の三つの円形が”祈りの神御柱”

岩根御柱(心御柱)と案内板に書かれていたもので、発掘跡にこの様な図が描かれていました。

直径140㎝の杉巨木を3本束ねて、巨大な1本の柱とされていました。ベンガラの塗着があり柱は赤く彩色されていたと思われますとありました。

・・・年が変わりそう、良い年となりますように!

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする