日本各地の観光名所に、神社仏閣があります。
土地の歴史と建築文化、立ち寄ってみたいですね。・・・パワースポットや神頼みは、あまり興味がないのですが、
ヨーロッパでも文化の中心に、キリスト教、中でもカトリック教、いや教義よりもバチカンの影響力に関心があります。
松本市から諏訪に向かうと塩尻峠の先、下諏訪地区に入ります。
諏訪湖の北、中山道が通り諏訪湖に流れ込む砥川の右岸に諏訪大社があります。
正確には、下社 春宮と位置付けられ、ここから約1km南東に下社 秋宮が鎮座しています。
諏訪大社は古事記などに登場する杵築神社(出雲大社)と共に神話の世界を祖としています。
神話の世界は古事記や日本書紀を基に、さまざまに伝えられているようですが、神社本庁の国譲りを転記しましょう。
以下、神社本庁HPから拝借
天照大御神さまは、孫の瓊々杵命に豊葦原水穂国を治めさせようと考えられ、建御雷神と天鳥船神に命じて、様子をうかがわせてみました。
二柱の神は、出雲の国稲佐の浜に降ると、剣を抜き、その剣を波間に逆に刺したて、その先にあぐらをくんで座りました。
そしてこの国を治めている大国主神に、この国を天神の御子に譲るかどうかを問いました。
大国主神はしばらく考える様子でしたが、もし自分の子どもたちがよいというのであれば、この国は天神の御子にお譲り致しますと答えました。
大国主神には、事代主神と建御名方神という二柱の子供がいましたが、そのうち建御名方神は、力じまんの神でなかなか納得しませんでした。
そこで建御雷神と力競べをすることにしました。ところがどうでしょう。
建御名方神が、建御雷神の手をとると、氷のようになり、剣の刃のようになりました。 これはたまりません。
建御名方神は、父である大国主神の命に従うことを約束しました。
その後、建御名方神は信濃国に移り、信濃国の国造りをしました。
以下、割愛
・・・ここに登場する大国主神を祀っているのが杵築神社(現在の出雲大社)、
そして、その子供 建御名方神 が建御雷神に負けて逃げてきたところが諏訪湖の南といわれています。
・・・そのような言い伝えのある諏訪大社は、下社以外に、上社 前宮と上社 本宮 の二社を合わせて4カ所を参拝します。
では、先程の鳥居から北に進むと、出雲大社よりは小さいが、立派なしめ縄のある拝殿?でしょうか
・・・立て札に、神楽殿とあります。
立派な神楽殿です。
神楽殿が中央に置かれているので、神話の時代のように神楽は重要だったのでしょう。
左から回り込んで
奥に見えるのが本殿?でしょう。
弊拝殿とあります。拝殿と幣殿の機能が一体になった建物です。
中央階段の先に、楼門造りは2階建て、門に対して屋根が大きい・・・ここの拝殿で参拝。
奥に続くのが、幣殿と称する神職がお供えなどをされる場所となっているのでしょう。
もう一つの立て札、左右片拝殿とは
中央の弊拝殿から長い平屋建て(約11m)が、吹きぬけが多い・・・こちらも拝殿、両サイドに建てられています。
そして向かって右側の拝殿の手前に、大木が四方をしめ縄で囲ってあります。
これが御柱です。この場所が 一之御柱となります。
神木(御柱)はモミの木で、直径1m、高さ17m・・・この奥に四之柱が見えますが立ち入り禁止のようです。
先程のもう一方の片拝殿に戻りましょう。
こちらが、二之御柱です。もちろん奥に三之御柱があり、四角で囲っています。
何を囲っているのか? 御宝殿を囲っているのでしょうが、ご本尊を祀る本殿が無いのです。
春宮では御柱で囲われ、その内側に塀で囲まれた神域には「ご神体」があります。
ご神体は、・・・「杉の木」が植えられているとのことです。
この神域の後部には、神聖なる自然の山があります。
振り返って、
諏訪湖に延びる、一直線の少し下り坂の道路が続いています。
右側に、下記の案内図がありました。
万治の石仏が、この近くにあることを知り、散策に出かけます。
境内から右の砥川に向かい小道を下っていくと、川に出ました。
観光地にするには、目立つ橋を架けよう。
太鼓橋ではありません、鉄製の幅は狭いが丈夫な橋が架かっています。
そして、上流に向かうと間もなく案内板が
そうでした、誰だったか有名人が・・・岡本太郎氏が訪れた、そのように記述されていました。
大きな石に阿弥陀如来の頭部を彫って・・・いつしか、御利益と作法まで・・・
観光協会も商工会も、万治の石は観光資源です。
すでに立派な物語が継承されているようで、SNSでブームになれば土産物屋も・・・。
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