土曜日の朝、駐車場から数分の所に蓮池? 蓮の花を見て回る。
このように、水面に大きな葉を浮かべる植物、じっくり見るのは多分・・・不忍池いらいかな。
案内板は、何故か 西が上です。
現在地から下側に目をやると・・・天守閣が東側になります。
昨日に続き、朝日を浴びるこちらの城を散策にまたやってきました。
信州・松本 松本城です。
城の西側、内堀に掛かる埋橋(ウズミバシ)、埋門から架かる橋でその名がついているようですが、現代(1955年)に架けられました。
戦国時代は内堀の中に塀を建てた特殊な構造だったようですが、詳細が不明でこのような朱塗りの橋が架けられたようです。
内堀に沿って南側に移動しましょう。
周囲は松本城公園、朝から海外からの観光客が多くみられます。
本丸に進むには、・・・すぐそこ、右側に黒門が見えて来ました。
黒門に進みましょう。
二の門と袖塀は1990年の復元とあります。
本丸に入るにはこちらが正門となります。ここで拝観券を購入します。
そして、海外の観光客に大人気でしょう、忍びの黒衣装です。
この暑さの中で、頭が下がります。オット 派手さは無いが、左手の先で武器を回していましたよ。
この場所は桝形に造られているので、右に進みます。
この先、左側の櫓門を抜けて本丸へと進みます。
右側は帰りの出口のようです。
こちらが一の門(櫓門)(ヤグラモン)、1960年(昭和35年)の復興とあります。
左側に、通り過ぎてしまったのですが、甲冑が展示されてありました。
今日も晴天、ここは記念撮影コーナです。長椅子は置いてないようです。
ここは標高589mとありますが、何と比較すれば・・・
東京都八王子市の高尾山、麓の京王線、高尾山口駅の標高が190mくらい
そこから人気のハイキングコースです・・・山頂まで約400m・・・そうすると高尾山の山頂は599m。
本丸御殿跡を、正面の大手口に向かって進みます。
大手口の上に渡櫓が走りその高さが12m、左が天守、右は乾小天守:高さ16.8mこちらは観覧できません。
右側に回り込んで
この先で拝観券のチェックとあります。
傘立ての先、石段を上がると城内は木造建築です。木製の階段ですから、下足は禁止です。
ビニール袋を渡されて、城内を持ち歩くことになりますが、これが大変な苦行となります。
出口が少し離れた右側の所になるので、持ち歩いて頂きたいのでしょうが・・・方法はあるでしょう要改善。
大手口には頑丈な扉があり、その先から・・・年季の入った滑りそうな木の階段の数々に挑戦することになります。
大半の人がバッグを背負い、階段の端に設けられた手摺を片手で握り、
反対の手に靴の入ったビニール袋を操りながら、階段に取り付いていきます。
階段付近の撮影は禁止です。
急階段が多く、段差が普通の二倍くらいある所もあり、甘く考えていると危険です。
天守の2階に到着、個人の寄贈品、火縄銃と関連資料が展示されています。
松本市出身の赤羽氏の寄贈とありました。
こちらは甲冑
2階は、東・南・西側に窓があり・・・比較的明るい、
係員の指示に従って、先を急がず無言で上ります。
段差注意!、上りは、階段に手をついて上がるくらい段差が高い所があり、ここは降りるほうが危ない。
天守の3階は窓が無く暗い部屋、五重に見える天守閣が・・・この階があることで、
外からは気づき難いが、内部は実質6階となる構造で、分りにくいこの階は最も安全と考えられたようです。
天守5階部分、この階は天井が高いです。
この5階は、天井が4.54mもあり、稽古場や作戦会議などが開かれたのでしょう。
最上階に上がる階段は、途中に踊り場があります。
最上階、天守6階です。
北側に、守護神が祀ってある・・・その謂(イワ)れが掲げてありました。
眺望の写真と案内が
国宝、旧開智学校が近くにありますが、
現在は修復工事中で見学はできませんでした。
東側が
王ヶ頭の裏側が美ケ原高原、茶臼山の裏側にかけて、ビーナスラインが走っています。
20年頃前は、夏に大勢のファミリーで、霧ヶ峰、車山高原、白樺湖と有料道路をドライブしたのが懐かしい。
南側は
駒ヶ根、木曽方面です。
駒ヶ岳ロープウェイに向かう道路で、バスの最後部左端に座ったら、カーブで身体は谷底の上に振られ・・・始めての恐怖体験。
光善寺のヒカリゴケ・・・懐かしい、久しぶりに・・・夏は信州の旅行が多かった。
中山道の馬籠宿、妻籠宿、カーナビが無い時代に地図を片手に・・・。
西は
天狗岩の向こうに上高地、右に穂高、左に焼岳、その向こうは・・・飛騨高山
・・・高山からの帰りに、中部縦貫自動車道の安房トンネルを通らずに、紅葉の峠を山道ドライブしたら
後ろから・・・爆音が轟くラリーの連中に遭遇、競うように走り・・・シフトチェンジが忙しかった。
多分10数年前を最後に・・・中央道の渋滞が嫌になり、こちら方面は疎遠になっていました。
写真を見ると昔のことが次々と・・・思い出されてくる。
・・・エ! 二十六夜社? 天井?
天井は太い梁で、隙間に・・・何か見えた。
反対側に回ると
頭上に「二十六夜社」が祀ってありました。
石川数政・康長父子が深志城からの城を改築し、御殿、太鼓門、黒門、・・・、
天守の築造は、1593~1594年頃と考えられているとのこと。
では、注意して階段を降りることにしましょう。
こちらは、南側、水深の浅い内堀の向こうが松本城公園
ここは天守の南東(辰巳)に増築された「辰巳附(タツミツケ)櫓」から北側の眺望です。
北側から石垣左側の入口に歩を進める人々、・・・階段気を付けてくださいよ!
国宝、松本城
「辰巳附櫓」の先に増築された「月見櫓」の1階から出口となります。
朱塗りの回廊が見えますが、こちらが北、左が東、向こう側が南になり、
これら三方の戸を外してふきぬきとし、月見をするための贅沢な櫓でした。
出口は、入口の隣の門からとなります。
ありがとうございました。
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