さて、キリスト教とあまり縁のない者としては、世界の宗教、信者の数を調べてみました。
14年前、1997年時点で、カトリック教が10億4000万人、イスラム教スンニ派が9億5200万人、ヒンドゥ教が7億4000万人、儒教・道教が3億6900万人、プロテスタントが3億6100万人、東方正教(キリスト教)が2億2300万人、大乗仏教が1億9800万人、イスラム教シーア派が1億8400万人、上座部仏教が1億3400万人、英国教会派(キリスト教)が5500万人、イスラム教シーク派が2300万人、チベット仏教が2100万人、ユダヤ教が1500万人、イスラム教ワッハーブ派が1100万人・・・キリスト教とイスラム教が圧倒的に多い。
2009年時点で、カトリック教は、11億3040万人と増加している。プロテスタントは3億8500万人。
世界の人口が増えていることもあるがイタリーでは、若者の宗教離れが多いと聞いたし現に離婚も増えているそうだが・・・
聖書を読んでみよう、どうするか?・・・図書館に行こう・・・ありました。
これは、参考(ローマのホテルに置いてある聖書)
聖書は、旧約聖書が約3/4頁、新約聖書が約1/4か、
旧約聖書の最初のページ 創世記
1 初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。
・・・・・システィーナ礼拝堂の天井画、ミケランジェロが創世記の題材で描いています。
ついで神は、「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。神はその大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第二日。
第三日、天の下の水を集め海と名づけ、かわいた所を地と名づけ、地に植物を芽生えさせよ、
第四日、二つの大きな光る物を造られた。大きいのが昼、小さいのが夜、また星を造られた。
神の右手の先が太陽、左手で月を造っている。
神の腕の下にいる4人の子供は?左から昼、朝(まぶしそう)、夜(寝ている)、夕の表情か。
第五日、水は生き物の群れが、群がるようになれ。また鳥は地の上、天の大空を飛べ。
第六日、神は「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ」・・そのようになった。そして神は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」、神は人をご自身のかたちに創造された。男と女とに創造された。・・・
2.こうして、第七日、神はわざの完成を告げられ、すべてのわざを休まれた。
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きものとなった。・・・エデンに園をもうけ、人を置きそこを耕させ、またそこを守らせた。生き物を連れてきて人に名前をつけさせた。神である主は、彼を眠らせ、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。あばら骨からひとりの女を造り上げた。
・・・以下略 下図はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画抜粋
中央9画面が創世記を題材にしている、左が祭壇側、右が入口(別途yahooブログにて)
旧約聖書 創世記の作者(伝承で作者不明のようですが)は、世界各地にある神話とは大きく異なり、物語をこの世の誕生から始めている。無から天と地を造った(地球誕生から)、この想像力は素晴らしいと思う。人間誕生、この世の誕生を長い間想像し、色んなことが口伝され、修正され、2500年前頃、このような神話として伝承されることになったのでしょう。
当時は天動説、現代人でも教育を受けなければ、地は限りなく続き、しかしどこかに端がある(有限)、空は丸く、太陽と月は決まった動きをし、夜の星は手が届きそうに近くにある。丸い円盤の地面の上に円蓋の天空がある。地の下は地獄で、天空の上に天国がある。
当時の人々が、天の雷雨、地の地震、夜の闇の恐怖の中で、多分食べることに精一杯の毎日を送りながら、楽しいことはあったのか、何を喜びに、何を生きがいに生活をしていたのか。
就寝前の会話の中で、口伝として旧約聖書に取り上げられたような物語が数限りなく伝えられていて、その話題が一番の楽しみだったのか。
ガリレイ以前の人々は、旧約聖書、新約聖書の物語を無条件で信じていたのでしょう。
信仰心を持つには、無条件に信じる必要がある。 「あなたは、神を信じますか?」
私は、無条件には信じません!
システィーナ礼拝堂の天井画をミケランジェロが描いたのは、1508年~1512年です。
この後、コペルニクスが地動説を体系化、1543年出版。
ガリレイは「星界の使者」1610年で地動説を支持、ローマ教会は異端邪説扱い、1632年「天文対話」で地動説を主張するとローマ教会は異端審問所に告発、火刑か学説の放棄かを迫り、放棄を誓わせ1633年、フィレンツェ郊外に幽閉されて余生を送ることになる。
1980年、教皇ヨハネ・パウロス2世はこの裁判の見直しを命令し、再審の結果を受けて、ガリレイに対する破門を解いた。1992年
このガリレイの時代でも文字の読み書きができる人は限られていて、多くの人々が教育を受け始めたのは100年前。
カトリック教の布教に、教会の絵画は最大の貢献をしている。
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