昔の人々はこの島全体を神が宿るとして崇められていたそうです。・・・そこで、陸地では畏(オソ)れ多いと潮の満ち引きする所に社(ヤシロ)が建てられた。
鎌倉時代からはこの島全体が神社地として保護され、農耕が禁じられてきたことから、自然が保存されてきたことも評価され、世界遺産に登録されています。
隣に「大願寺」というお寺があります。
歴史あるお寺で、この場所はかつては僧坊だったようです。
入江の反対側の高台に秀吉が建立させた千畳閣あたりもこの寺の境内で、かつて本堂が建っていた時代もあったと思われます。
神仏習合で有名な所ですから、明治になり神仏分離令以降、千畳閣から本尊の釈迦如来座像などが移され、
五重塔からも本尊の釈迦如来坐像、脇侍・文殊菩薩、脇侍・普賢菩薩が大願寺に移されています。
さらに今日の大願寺の本尊・厳島弁財天は厳島神社の御本殿に祀られていたものです。これは日本三大弁財天の一つとされます。
宗派は、高野山真言宗・・・弘法大師の作と伝えられる国の重要文化財・薬師如来坐像も本堂にあるようです。
これは厳島最古と伝わり・・・この大願寺は、推定794年~1185年頃(平安時代)の創建とありました。
・・・近くの食事処が閉まっているので、商店街を散策・・・途中厳島神社の裏側から、ロープウエー乗り場の案内が
健脚自慢?トレーニングを兼ねて登る予定だったが・・・中止して、清盛通りと呼ばれる表参道商店街へ
お土産といえば、有名所が沢山並んでいました。
「しゃもじ」・・・家にも飾ってありますが・・・本来は実用品、木製の「しゃもじ」この宮島が発祥の地と言われています。
この「しゃもじ」このお店でお話を聞くと、シルク印刷が一般的で、手書きで墨文字を書いているのはこの店(店内で職人の女性が書かれていました)だけになってしまったとか。
・・・しゃもじは・・・江戸時代後期にこの裏にある光明院の誓信(セイシン)という修行僧が「厳島・弁財天」が手に持つ「琵琶ビワ」とよく似た形の杓子(シャクシ)を作られた。
これを宮島参拝の御土産として売り出すことを産業の無い島民に勧めたのが始まりといわれます。
・・・「しゃくし」は多分昔からすくう道具としてあったのでしょう。
オリジナルデザインの木製杓子を「しゃもじ」と名付けて販売したのではないでしょうか(詳しい説明は聞いてませんが)
・・・しゃもじ(杓文字)はご飯などに使い比較的平らな形、しゃくし(杓子)は汁物にも使えるように、丸い窪みがあり柄が付いている、お玉杓子など(自己流の解釈です)
商店街にシンボルが展示されていました。
これは世界一の「しゃもじ」です。一本の木材からの削り出しです、節も無さそうで、多分もう作れないでしょう。
パンフレットでは「大杓子」と紹介しています。樹齢270年の素材はケヤキで製作に2年10か月とか。
長さ7.7m、幅2.7m、重量は2.5トン、厳島神社の世界遺産登録以後に展示されています。
食事を済ませ、大鳥居を見に行ってみました。
結構潮が満ちてきましたが、日暮れまではまだ時間がありそうです。
再度商店街をブラリ、ぶらり・・・
・・・もみじ饅頭の藤い屋さんの店先に、
フェニックスの樹、害虫退治にゴザが巻いてあるのかと思ったが
あまりに綺麗すぎるので上を見上げると、葉が無い、替わりにしめ縄が巻いてありました。
これは、松明(タイマツ)でしょう・・・お店の人に聞いてみましょう。
大晦日にあったそうです、・・・。
それを店先に飾っていたのでした。
・・・厳島神社のHPで、こんな案内を見つけました。
江戸時代から続く松明神事・・・大晦日の夜、鎮火祭(チンカサイ)が行われ、持ち寄った松明に採火を受けて御笠浜を練り歩く。
この神事で付近が火事になったことが無く、松明の燃え残りは火災除けのお守りとされています。
松明の上部、黒い部分は燃え残りで、この後お守りとして利用されるようです。
散策も終了、・・・御笠浜に近い所に人気のお店がありました。
一階で注文し、品物を持って2階に上がりましょう。
ここの2階でバルコニーに出られます。暗くなるまで休憩です。
こんな風景が見られるようになってきました。
PM5:30過ぎ、燈籠に火が入り、大鳥居が燃えるような感じに・・・
スタバから飛び出して参道に向かいましょう。
ライトアップが始まったようです。
海面に温かい光が映ると寒さも忘れ、不思議な感覚です。
波を目の当たりにすると、・・・現実の厳しさに、・・・戻されます。
・・・そして、・・・
フェリー乗り場に戻り、船上に・・・航路は最短で、宮島口へ
宮島口で最後の鳥居に別れを告げ、
駐車場に戻ると、1台だけ残っていました。
花の金曜日道路は混んでいるでしょう。寒かった広島の夜でした。
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