気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

トレド 世界遺産

2017-03-18 | 旅行記

トレドは、・・・約30年前 トレド大聖堂など旧市街全域が古都トレドとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

かつて都であり、1479年からは宮廷があった・・・マドリードに遷都するまでは、

・・・遷都、いつのことかと思ったら、1560年・・・日本では桶狭間の戦い・・・そんな大昔のことでした。

そうでした、レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍していた時代までは都だった。

古代ローマ時代、(ローマ帝国東西に分裂)、西ゴート王国、後ウマイヤ朝、スペイン黄金時代・・・これらの痕跡を残し「16世紀で歩みを止めた街」ともいわれます。

・・・古都・トレド観光・半日間のオプショナルコースに参加して、観光バスで向かっています。

マドリードから約70km、無料の高速道をひたすら走る・・・風景は・赤茶色の大地に緑の筋・・・ブドウ畑や苗木の畝が続く・・・1時間が過ぎたころ、気が付くと景観が急に変わった・・・

タホ Tajo(切り傷・切断)と呼ばれる深くえぐられた川が見えてきた。

タホ川沿い進むと、写真で見た13世紀建造の古い橋、アルカンダラ橋が近づいてくる、橋の向こう側がトレド旧市街です

さらに川沿いを進むと、高台の旧市街を囲む城壁も見えてきた、遠目にはすっきりした城壁に見える。

・・・崖下のタホ川は、水量が結構多いように感じる。

スペイン、ここは標高600mの高地、乾燥地帯と聞いているが・・・最近天候が悪かったのだろう、濁流だった。


花崗岩の高台にある大地は、北側の一画を残し三方をこのタホ川に囲まれている、

山城よりも好立地でしょう、天然の要塞として発展して来たと書かれています。

・・・旧市街の対岸、急峻な崖の上の道路を進むと・・・この旧市街の全体が見えてきました。

南側から見た旧市街、もうすぐこの様子が鳥瞰図のようにわかると言う一等地に着きます。

すぐ近くのここが展望台、そしてこれは合成写真、パノラマ写真では・・・、

あまり変わらないですか。右側でひときわ高く目立つ建物がアルカサルと呼ばれるかつての要塞。

要塞と言うよりは宮殿の雰囲気です、この場所がこの高台で最も標高の高い地点と言われています。

ですからここに古代ローマ人が築城し、その後ムーアや西ゴートが利用して11世紀に新たな要塞が完成するが、

1227年解体してまた新たに築城・・1493年完成、16世紀にかけて改築され、近年に改装・・・やっと終了したようです。

現在は軍事博物館で、中世の武器、近代の兵器など展示されています。日本の鎧、兜、剣、なども展示されています。

・・・そうでした江戸時代、伊達政宗が家康の許可を得て1613年10月28日、スペインに遣欧使節を送っていました。

太平洋を渡り、メキシコ(スペイン領)経由で1年後、1614年10月5日スペイン南部に到着、セビリア、コルドバ、そして12月3日トレドにも立ち寄っています。

12月30日首都マドリードに到着。その時の宿舎が王宮の南500m、サン・フランシスコ修道院

もう少し離れると、天井部の立派なドームが見えてくるのですが。

多少、ドームが見えてます。しかしこの建物は1761年から建て替えられています。

1784年完成ですから、支倉(ハセクラ)一行は建て替え前の古い建物に宿泊されたようです。

一か月後の1615年1月30日、マドリードにて当時世界最強・・・(少し斜陽の国)、スペイン国王フェリペ3世に謁見しています。

(もちろん刀剣を含め、お土産をたくさん持参していました。その後、ローマでパウルス5世にも謁見しています)

支倉一行は驚きの連続だったことでしょう、赤茶色の砂漠のような荒野を延々と進むと、突然現れる城壁と石畳の道路、石造りの強固な高層建物。

・・・座礁したスペイン船から乗組員を救助してくれた恩のある極東の大切な日本からの使節団です。

先々で歓迎されたようですが、石の文化と木・紙の文化は違いすぎます・・・畳の上で横になりたい・・・障子が少し開いていて、縁側からやわらかい風が・・・と思ったかどうか。

今回のトレドの見学コースは不明ですが、主役はカテドラル(大聖堂、スペインカトリックの総本山)でしょうか、・・・正面右側にその鐘楼が見えています。

この場所がMirador del Valle(谷の展望台)、ここからの眺望です。眼下のタホ川はこんな感じです。

さて、観光バスは、タホ川に沿って旧市街を半周して、北側の駐車場へ向かいました。

上の画像は上が南側の先程の展望台になります、半周して下側(北)にやってきました。

下の緑色部が駐車場です。ここで下車して、現地ガイドさんと合流、徒歩で旧市街に入ります。

では、ガイドの後に続いて、迷路で迷子にならないように

・・・ここから右側(上の画像の赤い線)に沿って2~3分で

城壁の下に、トンネルか地下道か?見えてきました。

地下道の先に・・・エスカレーター。

このエスカレーターを3本くらい乗り継いで

下りも利用できるようです。これは便利です。

エスカレーター上部からの眺望、トレドの郊外です。

サア、高台の上に来ました。旧市街地の北端にいます。真っ直ぐ(南に)進みます。

大聖堂の次に観光地としての人気は、エル・グレコの作品がある教会でしょうか。いっぱいある・・・そうでした。

歴史地区ですから建物を勝手に増築、改造はできません。しかし狭い路地が多いです。

雨が少ないから歩けるのでしょうが、大雨が降ったら小川でしょうね。

・・・路地ですから日陰になっているようです?・・・高い建物、日影ができる・・・日陰の場所が多ければ・・・

・・・日中40度近くになっても・・・直射日光が当たらず、木陰と一緒、すごし易いのだそうですよ。

それで高い建物に、狭い路地、日影ができれば多少快適に過ごせる・・・この土地の工夫だそうですよ。

このような教会は数多くあります。ここは立派な紋章が付いている貴族の館です。

Residencia Universitaria Nuestra Señora de los Remedios、現在はキリスト教の女子学生寮

この街の建物は、通りに面する部分からは内部は見えない。大きな扉で塞がれています、しかし内部には中庭があり廻廊もある広い邸宅が多い。

この地でも何度となく争いがあり・・・戦争状態に入ると長期戦には食料と水が欠かせない。

中庭は樹木も茂り噴水もあったりと・・・そう、ローマ時代から・・・同じ光景が・・・ナポリ、火山灰に埋もれたポンペイの遺跡にも中庭様式がありました。

アラブ風でしょうか?、中庭は生活のオアシスであり、重要な水瓶の役目もあったようです。

この先を左に曲がり、コレヒオ・ドンセージャス通りと言う所に入ると目の前に、

 

・・・道路の目の前が、・・・左右の住居の屋根を繋いで、更にその上に建て増しをしたような構造です。

木製の梁や窓枠が・・・風雨にさらされて・・・歴史を感じます。これも日陰効果を求めて?

ここを通り抜けて右に曲がり、・・・路地を進み、商店街?などを抜けて、旧市街の西側、フデリア通りに入った・・・

すると角の建物にこのようなシンボルが・・・1492年 BARRIO DE LA JUDERIA ユダヤ人街 ・・・何か訳ありでしょう。

1492年とは、コロンブスが大西洋を横断し新大陸発見しています。・・・ユダヤとの関係? 

1492年南部のグラナダがようやく陥落し、キリスト教徒がスペイン全土を奪還し、3月31日「ユダヤ教徒追放令」が発せられています。

全てのユダヤ人(一説では、ユダヤ教徒)は、キリスト教に改宗するか4か月以内に国外退去をせよ!

ユダヤ人は金融・医学・錬金術などに才能を発揮し・・・社会でも重要な地位に就くようになってくるとキリスト教社会から反発も生まれます。

・・・これ以前にもイスラム教徒、ユダヤ教徒に異端審判もありました・・・隠れユダヤ教徒の告発が目的とされたが、

実態は、改宗したユダヤ人が裕福になり、ねたまれて・・・財産を徴収することが狙いだったとの説もあります・・・

・・・追放令後約15~20万人が国外に去ったとの説がありましたが、脱出してくると近隣国も迷惑で受入れに抵抗もあり、最近では10万人以下との説が注目されてます。

トレドでは多くのユダヤ人が改宗して残り、彼らの集まりシナゴーグ(集会所・教会)は追放令以後も利用が認められました。

ユダヤ人街 1492 伝いたいメッセージは? ユダヤ人への迫害の歴史、それとも神に選ばれた民族の復興・・・? ユダヤ人も住んでいるユダヤ人街です。

・・・ここから左に折れ、間もなくサント・トメ通り、商店街を進むと時々見えた鐘楼が目の前に近づいてきました。

この煉瓦積み、モザイク模様で洒落ているでしょう。・・・素材が・・・タホ川の河原の石も陶器も利用しているそうです。

手前の路地を右に曲がり横の入口から・・・チケットが必要です。

この教会は?・・・期待して・・・では、帽子をとって、・・・写真撮影はできないようです。

ガイドに続いて、・・・一直線に・・・この作品の前に、

・・・サント・トメ教会の再建に尽くしたオルガス伯爵が1323年に亡くなる、この埋葬の際に天国から殉教者と聖人が降臨し参列者の目前で埋葬したという逸話が題材。

 

エル・グレコが1586年から1588年にかけて、この教会の聖母マリア礼拝堂に描いた作品で、今日でも鮮やかな色彩です、

祭壇画ですから天井まで届く、460cm×360cmと大作です。人物は特徴のある10頭身以上とも思えるプロポーション。

参列者は首回りのひだ襟(ラフ)を身に着けていますが、これは16世紀中頃から17世紀前半の流行といわれます。

題材の主人公オルガス伯爵の時代(14世紀当時)にはこの様なファッションは無く、ここに描かれている参列者は・・・

・・・エル・グレコが生活していた当時、トレドに実在した著名人を参列者として描きこんでいるとされています。

登場人物の一例 解釈としては左下は内縁の妻の子供、左から7番目はグレコ自身・・・といわれています。

・・・ところで、エル・グレコの名声を高めたジャンルは肖像画である。(プラド美術館ガイドブックより)

そして、パンフッレットの表紙にも

・・・この肖像画「胸に手を置く騎士」、モデルはトレドの上級公証人ファン・デ・シルバの可能性が指摘されています。

この肖像画は、「オルガス伯爵の埋葬」の参列者達と同じようなファッションです。

この方参列者の中に・・・左から8番目、顔をか少し傾けた人がこの肖像画の方でしょう。

肖像画は、スペインの騎士スタイルで描かれ、中指と薬指を合わせています・・・この手の形がスマートだそうでエル・グレコの特徴です。

不明とされていたモデルを今日でも熱心に調査されている方達が存在していることに・・・感心します。

 

「オルガス伯爵の埋葬」を鑑賞し、正面から出てくると、教会はこのような建物でした・・・近くて全景が映らない。

右隣が PALACIO DE FUENSALIDA  フェンサリダ宮殿、手前にEU(ユーロ)の旗も見えます。

これから・・・トレドの名物、刃物工業、象嵌・彫金の店に入ります。これらのコースも定番のようです。

スペインは大航海時代にボリビアやメキシコの銀山から大量の銀を手に入れ突然裕福になりました。

銀製品もその後、有力な商品となります、今日では、お土産の鎧、剣、短剣、ナイフ、民生品、アクセサリー、Etc.

このショップから少し離れた所に、このような工芸品のショップもありました。よく見るとショーウインドウ内は、

 レトロな日本、ジャポニズム・・・輸出用の陶器でしょうか。

日本語で店の人に話しかけられたが、時間が無く、商品の説明が聞けなかった。

この店の前の道路を渡り、路地の先に目指す別の高い鐘楼が見えます。上部に三輪のような・・・特徴的です。

この路地を下っていくと、視界が開け・・・広場に出ました。

ここがトレド大聖堂でしょう。

正面に奥行きのある3つの門があります、左に先程の鐘楼、広場がそれほど広くないので下から見上げることになります。

ファサード(正面)中央に大きな門、左右に小さな門の3廊式、ここまではフランスに多くあるノートルダム寺院(大聖堂)と同じですが

何故か左隣の鐘楼の幅が広くて上層部まで重厚感があり、塔の存在感が大きい・・・アンバランス。

・・・この大聖堂はスペインカトリック教会の総本山、トレド大司教座が置かれているといいます。(司教座:カテドラ、司教座教会:カテドラル)

 ここにも車が入ってきた・・・トレド警察!、・・・隣は、小さいセニョリータ 学校帰り?

 広場の反対側は市庁舎、これも古い・・・この市庁舎はエル・グレコの息子が設計したそうです。

・・・では大聖堂内部へ、右側の路地を進むとチケット売り場と入口があります。

入場券(一般の教会は入場料は無いのですが、ここも有料10€です)が必要となります。

ここが入口です。建築時は資材の搬入口といわれます。

 いざ内部へ、・・・教会内は予想以上に暗い、目が慣れればという感じ、天井は高いが・・・採光が弱いか?

先ずは、身廊(シンロウ)の全景を眺めながら、左前方の一角に案内された、

・・・左奥の部屋は宝物室、数々のお宝の中で、中央の台上の物が遠くから光り輝いている・・・

いきなり黄金と思われるお宝に遭遇、これは高さ3m、総重量200㎏、金、銀、宝石の置物が・・・

金の一部はコロンブスがアメリカから持ち帰ったものが使われていると説明されている。

16世紀の作品、これが聖体顕示台、祭りで市中に登場するお宝といえば、日本のお神輿と似ているでしょうか

 正面入り口近くに戻って、天井を見上げる。

採光を兼ねたステンドグラス、通称「バラ窓」と呼ばれる。ステンドグラスは、材料が進化するので作成された年代が新しいほど明るく鮮やか。

バラ窓も、多分この時代頃から作られたと思いますが。

 中央部の身廊、天井を見上げると、

 この天井のリブ構造はよく見かけます。天井を高くできるようになったゴシック建築の特徴です。

左右にステンドグラスがたくさんありますが、位置が高く壁面に占める面積が少なく、採光の効果や鑑賞をするには残念な結果になっていますが、

当時トレドの人々はこの教会に入ると、・・・天上界から彩色されたまばゆい光が差し込んで、

・・・多少薄暗い参列席に座ると、ここは異次元の世界だったことでしょう。演出効果は十分発揮されています。

身廊を東に進むと、中央部が仕切られていました。

一般の教会参列者はここまで、通路の左右の席に着席(我々は見学者で別)仕切りの向こうは聖歌隊席となり前後左右、四面ともに囲まれています。

聖歌隊席への入口は東側、回り込んで・・・

仕切られた鉄柵の内部は結構広い、西の正面側天井に先程のバラ窓が見えています。

そして、一般住民との中央仕切り部の上にも大きな彫刻があります、左右にも・・・

入口の扉から中に入ると、少し高い壇上中央に

マリア像、トレドの守護神が立っていました。

 そして聖歌隊席の側面に設置されているのが・・・

 パイプオルガン、音が出ていなくても重厚で威厳のある装飾物

反対側にもこのように豪華な

これらは歴史的に重要なパイプオルガンのようです。他にも周囲には、彫刻類がたくさんあります。

椅子などにもストーリのある彫刻が彫られています。

・・・そして、教会内部で一番重要な場所は・・・

ここで振り返ると、その先は内陣と呼ばれる場所となります。そしてそこに置かれた祭壇が見えます。

 この位置から見る内陣の荘厳さは、創造以上であり、トレドにこんな凄い教会があったんだと驚きました。

 よく見ると、この位置からは、背景の構造物が焦点をセンターラインに集め、縦方向のポイントで奥行き感が演出され、

色彩効果と合わさり、祭壇部の磔刑像が悲劇のヒーローとして視線が集まります。

ここの聖歌隊席から結構離れています・・・近づいて・・・黒いシルエットの柵は、エッ!ここにも頑丈な鉄柵?施錠されている。

・・・この間のスペース(聖歌隊席と祭壇の間)は、貴族や来賓などの特別席として使用されたと思います。

我々見学者は鉄柵に遮断されて内陣には入れません。

柵の幅が15Cm位だったので、何とかカメラのレンズを柵の間に入れて撮影しましょう。(もちろんストロボは禁止)

これが主催壇、凝ってますね。

鉄柵で下側が見えなかったが、磔刑のシンボルは天井に近いところにあります。

あえて失礼な表現をするならば、オッ! 時計仕掛けのカラクリ人形が次々に動き回るかな?と思ってしまう。

人物が彩色されて目立つ存在なのですが、各コーナーのバルコニー状の台座が気になる。

少しアップしてみましょう。

 凹凸のゴールドが眩しく、豪華な材料は気が散って、人物像・そして場面展開のストーリー?・・・集中できそうに無い。

新約聖書の20場面とのことですが・・・

講談社 世界美術大系 第17巻 スペイン美術 によれば、当時トレドに在中していた内外の彫刻家を総動員して、1504年に完成させたとあります。

・・・主祭壇の裏側にも、凝った彫刻が施された祭壇衝立があります、後期スペイン・バロック様式の最高傑作、1732年完成、トランスパレンテと呼ばれる。

後陣の一部を打ち抜き天上の窓からの光を大理石とブロンズの祭壇上部に降り注ぐような演出で劇的な空間を実現しています。

この写真、露光不足で作品の豪華さが表現できていないのをお詫びします。

隣の礼拝堂など・・・割愛。

・・・もう一か所重要な場所が、礼拝堂の横にあります。・・・聖具室に進みます。

左右にも著名人の作品がたくさんあるのですが、正面の存在感が大きすぎます。

赤い衣装の聖母ではなく、男性です・・・、・・・主人公の衣装が目立ちすぎます、ヴェネチア時代の師テッツィアーノ「聖母被昇天」の影響もあると思われます。

 この作品「聖衣剥奪」、エル・グレコ 有名な作品ですが、絵の構成、技法ではなくて・・・様々な解説があります。

 作品の制作年代:1577~1579年 サイズ:285×173cm

エル・グレコ 宮廷画家を目指したが・・・なれなかった。37歳の作品

題材は、ナザレのイエスが朝9時頃、ゴルゴダの丘の上、磔刑になる直前、衣類(聖衣)をはぎ取られる(剥奪)そんなシーンです。

左下に女性が1.2.3人・・・誰を描いたのでしょうか? 小ヤコブの母、聖母、マクダラのマリア、・・・だったのでしょう、

しかし、教会側は認められない人が含まれている・・・すると、マリアはOKなので、マリアがなぜ3人か?と作者に不満から文句が出てくる。

さらに、キリストの頭上に人々がいるのは、冒涜だろうとお怒りになり、教会からの支払いは1/3位に減額と言われた。

グレコは金額のトラブルは過去によくあり、訴えたが・・・敗訴、そこで作品を渡さず、・・・教会側は、異端審問にかけると脅したとか?

結局どうなったか? 多少金額が上乗せされたとの説がありますが出典元は不明で関心のある方は調べて頂けますように。

・・・

天井画の説明も受けたが・・・「聖イルデフォンソの昇天」も有名です。

他の作品を見ていて、確か・・・奥から手前に鑑賞者が移動すると・・・

天井画で、龍の目がどこに行っても睨んでいる作品がありますが・・・似たような話だったか?

天井画で同じような印象として残っているのが、2013.11.17 アップの南ドイツ ヴィース教会です。

天井には

何もない田舎に観光客がどっとやって来るドイツの教会です。

・・・他、割愛、他にも寄りたい所があったが時間のようです。 

追記です、グーグルの衛星画像から大聖堂配置をご参照ください。

では、街中に・・・ 

 商店街の散策もできず・・・休憩用の椅子?

 違いますね、車輛進入禁止、車止めです。エリア内の住民は、リモコンで上下させ通行可能です。

中心部から下り坂を進んできました。こちらの教会は相当古いようです。

この先、狭い路地を下れば、数百メートルでエスカレータ乗り場でしょう。

・・・

 駐車場から北に500m、古い円形の競技場、Plaza de toros de Toledo トレド闘牛場がありました。

ゴヤが闘牛場の石版画を描いていました。

様式化される前の荒々しい格闘スタイル、溢れた観客が場内の片隅で歓声を上げている・・・

 歓声が聞こえたような・・・トレドでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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