ブラジルの詩人アデマール・デ・パロスの詩「神われらと共に」。題名としては別名の「浜辺の足跡」の方が好きなので、タイトルにはそれを書きました。
私はクリスチャンではないけれど、この詩を読んだとき何か救われた気持ちになった。被災地の皆さんだけでなく、苦しい局面に立っている人たちに捧げたい。きっとだれかがいつも見守っていてくれる。ひとりじゃないということを思い出してほしいと思う。
夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。
ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。
立ち止まって後ろを振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。
ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないことに。
私の生涯が走馬灯のように思い出された。
なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。
苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。
そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。
「あなたは、日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に」
ところが、主は私に答えて言われた。
「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」
大震災から3週間余り経った昨日は、1.8キロ沖合の洋上に浮かんだガレキの山から、1匹のメス犬が生きて救助されたことが唯一明るい話題となった。
今回の震災でどれだけ多くの犬や猫が命を落としたことだろう。
日本盲導犬協会仙台訓練センターを拠点に活躍していたPR犬のヴィンスが津波に流されて行方不明だという。ヴィンスはオスのラブラドール。震災の前日に5歳になったばかりだったそうだ。犬たちだって怖かっただろうなと思うと、胸が張り裂けそうになる。
被災地域で暮らしていた視覚障害者と盲導犬55組は何とか無事に避難できたようだが、信号や歩道の段差などを確認しながら飼い主を誘導する盲導犬にとって、そして盲導犬を頼りに歩く飼い主にとって、信号も流され、歩道にはガレキの山がうず高く積まれ、障害物が多い場所を歩くことは、どれだけ大変なことだろう。
家庭で飼われていた犬や猫が飼い主とともに命からがら逃げられたとしても、避難所で一緒に暮らすことはなかなか難しい。動物愛護団体やボランティアの人たちへ引き取りを依頼する件数も増えている。
私が飼育規制のない一戸建ての家に住んでいて、何も飼育していなかったら、被災した人たちが少し落ち着けるまで、何頭か預かってあげるのだけど……。避難している人たちも犬や猫も「みんな、こらえて」としか言えない。