先日、時空旅人編集部編の本 “今こそ知りたいアイヌ“を読んだ。アイヌ民族は、かつて北海道を中心に東北北部や樺太・千島列島などで独自の言語・文化を有していた。
しかし、大和民族単一民族説のもとで長らくその独自性を否定されてきたが、1997年(平成9)、「二風谷ダム訴訟」の判決で、アイヌが日本で先住民族として認められ、アイヌの文化享有権も認められた。また今月の北海道新聞では、アイヌが日本の先住民族であると知っている人は、北海道で95%、全国でも91%に上っている。アイヌは狩猟や漁労などを通じて自然と共生し、生活にかかわる全てのものを神(カムイ)と見る世界観を生み出してきたのである。
参考までに、この本のはじめの部分をご紹介したい。
『アイヌ民族とは、古くから北海道を中心に、東北地方北部やサハリン(樺太)、クリル(千島)列島に生活してきた先住民族をいう。起源には諸説があるが、現在では長い歳月の間に日本列島全域に広がって縄文文化を担った南方系のモンゴロイドが、やがて北方系モンゴロイドの影響を受けて現代に至ったのが和人、影響をほとんど受けずにきた人々がアイヌだと考えられている。
また、古代、大和政権が「エミシ」・「エゾ」と呼んだ東北地方の住民は、必ずしもアイヌ民族とは言い切れないようだ。しかし、東北各地にアイヌ語由来の地名や呼び名が残っていることから、文化的に深いかかわりがあったであろうことは推測される。 (後略) 』
ところで、エミシには、アイヌ説と非アイヌ説があるが、いずれにせよ和人がエミシと混血したことは間違いないと思う。そのため私の母方の両親は北東北出身なので、自分にはエミシの血が流れていることになるのではないかと思うのである。
青森県平内町にはアイヌコタンがあったが、江戸時代には青森県内に5つのアイヌコタンがあり、1669年に起こったシャクシャインの戦いの戦況等は、アイヌ語が分かる津軽藩の武士から、随時、幕府に伝えられていたそうである。また、古代のエミシと並ぶ九州の隼人もアイヌと同様にエミシ族で、九州にもアイヌ語地名が沢山あるのはそのためのようだ。
このような歴史を持つアイヌ民族であるが、残念なことにアイヌには悲しい差別の歴史がある。なぜ、アイヌが差別されてきたのかを調べると、私たち日本人が日本の歴史を知らないことが原因のひとつではないだろうか。今でも中東などに民族紛争が続いているが、これにも同じようなことが言えて、中東の歴史を学ぶことによって中東紛争の理由が分かってくると思う。
新型コロナ禍の現在、先住民族の知恵を学びつつ、持続性の高い平等性に富んだ社会を構築しなくてはならない。そのためにブログを通じて、縄文文化やアイヌ文化などを学ぶ必要性やグローバル資本主義の見直しを訴えてきたが、コロナ禍の現在、日本の再生を願って止まない。
ところで、「差別」とは人に差をつけ、自分とは別の存在(グループ)として一種の排除をすることだと思う。人間には能力や外見など、合理的あるいは非合理的な様々な違い(差)があることは否定できない。「大切なことは、その事実を認めたうえで、その「差」によって人を排除しないこと」である。先日、NHKEテレで学校の“イジメ”のことを放映していた。イジメも“差別”と同じように思うが、イジメを受ける側にとっては差別と変わらないのである。そのため今月、「差別とは・・・」のテーマで、シンポジウムを行なう予定である。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 差別のいろいろ
日本国憲法 第14条は、日本国憲法の第3章にある条文で、法の下の平等、貴族の禁止、栄典について規定している。
第十四条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)